8不倫をする理由なんてないでしょ?

 リナはバス停の短い列に加わり、肩下の長さの金髪を後ろでひとつに結んだ。


 誰にでも毎週やって来る土曜日のお昼時。

 後を追いながら思う。

(太陽が眩しい。こんなにポッカポカな日は琴里とピクニックしたいな)

 一瞬、自分だけがすれ違う人々とはまるで別世界にいる感覚になった。

 人に興味が湧かないほど、自分の事で精一杯だった。


 1人挟んで、わたしも列に並ぶ。

 このバスの終点は、平屋タイプの団地が建ち並ぶ「七郷ななさと団地」。

 30年前に完成したこのマンモス団地は、自治会もしっかり機能しており、仕事で何度か行ったことがある。

 ほどなくしてプワーンと扉が開いたバスに乗り込み、リナは後部の2人掛けに1人で座った。

 わたしは前方の1人席に腰を下ろす。

 リナの様子は分からないが、特に問題はない。


 しばらく走ると、景色は駅前の喧騒を忘れたかのような住宅街に姿を変える。

 やがて地名や病院の名称の付いたバス停を経由し、「七郷団地入口」でリナは下車した。

 わたしもリナに続く。


 団地入口のアーチをくぐると、時計台を中心に石畳の広場になっており、それは奥に向かって道になり、それはまた商店街に変貌する。

 商店街は生活するのに不便がないくらいのバラエティーにとんでおり、子どもも多く活気があった。


 リナはそこを無言でブーツのヒールを鳴らして進み、同じ造りが並ぶ平屋の一戸にカギを開ける動作の後、入って行った。

 わたしはそっと近寄り表札をキョロキョロと探した。

 表札は出ていないようだ。

 それにしても家の周りは、かなりこざっぱりしている。

 他の家は車にバイク、自転車やプランターなどが並んでいる。


(引っ越してきたばかりなのかなぁ)


 一先ず自宅は突き止めた。

 もう少し張り込みたいなと考えながらも、ここで突っ立ってたら怪しまれる。

(あれ、ちょっと見に行ってみるかな)

 先ほどから気になっていた。

 リナの自宅と同じ並びの数百メートル先で、何やら人が集まっているようだった。


 そちらに足を向けてみると、突如視界が拓けてグラウンドでサッカーの試合の真っ最中だった。

 部活の練習試合だろう。

 ウインドブレーカーに中学校名がプリントされている少年たちと、応援にかけつけた保護者の声援が飛んでいる。

 わたしはその群衆にいいかんじに混ざってみる。


(えーと、まずは帰りのバスの時刻表を調べて……次はお義母さんに電話いれとかなきゃ)


 トゥルトゥルトゥル

 プッ


『はい紅緒ちゃん、体調どうお?』

「あ、お義母さん、ご迷惑おかけしてすみません。大介さんがリンゴを買って来てくれたりして、だいぶ元気になりました。琴里はどうしてますか?」

『そう! 良かったわぁ。琴ちゃんね、今一緒にお庭でスケッチしてるのよ。チョウチョなんかもとっても上手よー』

「今日、あったかいですものね。夕方には、お義母さんのお好きなタルト買ってお迎えに行きます。それまでよろしくお願いします」

『はいはーい。嬉しいわ、じゃあねー』


 ツーツーツー

 ピッ


 あと3時間くらい張り込めそうだ。

 たまにグラウンドから道路に出てみて、リナ家の玄関を見張った。

 何でもいい、情報が欲しい。

 すると1台の白い軽自動車が、リナ家に沿うように駐車した。

 わたしは電話をしている振りをしながら近づく。

 すると運転席から20代後半の青い作業着姿の男性が降りてきて、慣れた様子でリナ家に入って行った。


(お兄さんとかかな)


 電話を耳にあてたまま、更にもう一歩近寄った、その時──


「お前は部屋に入ってくんじゃねぇよ! 財布とスマホ出したら玄関にいろ!」


(へ?)

 家の中から怒号が聞こえた。

 たぶんリナの声だ。

 次に男性の声で──


「わかってるよ。ただ、会社でジュース貰ったから広大こうたにあげたかったんだよ」

「ふえーん、ママこわいよー」

「ああ、広大、パパが悪いんだ。ジュースあげるから、泣かないで、ほら」

「ありがとうパパ」

「あたしばっか悪者にして! とっとと将来有望な男つかまえて、あんたとなんか離婚してやるからね! 広大だって、こんな古くさい借家じゃなくて広いお家の方がいいでしょ?」

「ぼくはパパとママと一緒ならどんなお家でも好きだよ。だからパパにもっと優しくしてあげてよ」

「広大は優しいね。大丈夫だよ。広大がちゃんと大人になるまで一緒だから」


 信じられない気持ちだった。

 リナもまた既婚者で「コウタ」という名の子どもまでいるようだ。


 しばらくして、引き戸タイプの玄関のすりガラスに、青い人影が見えた。

 その人影は冷たいであろう、靴と同じ場所に座ったと思われた。

 会話の内容からして、作業着で帰って来た男性がリナの夫で、玄関に座っているのも同一人物だろう。


(何があったか知らないけど、こんな扱い酷いよ。仲悪いならさっさと離婚すればいいのに)


 わたしはスマホをバッグにしまうと、態勢を低くして近寄り、玄関の引き戸の前にしゃがみこんだ。

 たぶんこの辺がリナの夫の顔だろうと予想して、小声で話し掛ける。


「あの、ここだけの話、わたしは公務員探偵なんです。ちょっと張り込んでましたら、お宅の会話が聴こえちゃいまして、大丈夫ですか? 助けます?」

「探偵さん?」

 リナの夫もまた小声で返答してきた。

「こんな扱いされても離婚しないんですか?」

「まあ、堪えるしか」

「助けます?」

「…………できれば」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る