[13]引きこもり魔女と最後の希望Ⅰ
俺はキッチンに立っている。少し遅めの昼食を終えて、これから洗い物を始めるところだ。
食欲旺盛なお
桶に水を張って皿を沈めると、汚れと一緒に油が浮かぶ。俺のちょっとしたルーティンワークだ。
汚れは水に付けると落としやすい。だからこそ、こうして忍耐の時間を設けて精神を落ち着かせるのだ……。
「アイトこれ見て──っ!!」
俺の精神統一が果たされることはなかった。
背後から無邪気な声が近づいてくる。手を止めて声の先へと視線を向けた。
どうやらイリスが右手に何かを持ってブンブンと振り回しているようだ。
「……待てイリス。それは何だ?」
「ヘックス・キューブから設計図が出てきたの。それで試しに作ってみたんだけど、
そんなものゲームでしか見たことないぞ。とてつもなくスケール感がSFだ、流石はヘックス。
しかし、イリスが刃物を振り回している以上は注意をしなければなるまい。はしゃぎすぎて怪我でもされたら困る。
「あっ」
イリスの間抜けな声が聞こえたかと思うと、何かが俺の顔の横を掠めていった。
間もなくして俺の頬に鋭い痛みが生じ、生暖かい液体の滴る感触がする。
「まさか、今のって……」
俺は恐る恐る振り返る。そこには、包丁が激しく振動しながら壁に突き刺さっているが見えた。
不気味に振動しながら壁の穴を大きくするように抉り続けている背後の包丁が恐怖でたまらない。
「ヒェッ」
「ごめんごめん、ドジっちゃった」
イリスは悪びれない様子で謝ってきた。
危うく俺がさようならするところだったぞ! お前の危機管理能力はどうなってんだ?!
自らの命があることに感謝したのはいつ以来だろう。というか、何で包丁を振動させる必要があるんだ。
「失敗かなぁ? 難しいなぁ」イリスは振動する包丁を手に取って眺めている。
「もういいから片付けなさいそれを。見てると心臓がバクバクして気持ち悪くなる」
ドン! ドン! ドン! ドン!
玄関がノックされる音だ。どうやら来客らしい。
包丁を携えた魔女を人前に出すわけにはいかない、ここは俺が出迎えよう。
そそくさと扉を開ける。しかし、そこには誰もいなかった。
おかしい、確かに扉をノックする音が聞こえたはず。イリスの変な発明品で夢でも見たのだろうか。
「……あっ、あのっ!」
ふと、女の子の声がした。イリスの声ではなく、もう少し幼いような声だ。
「ん? あぁ」視線を下に向けると声の主を見つけた。
「おねがいします!おかあさんを……おかあさんをたすけてくださいっ!」
目の前には、俺の腰ぐらいまでの身長をした少女が立っている。
少女は必死な様子で俺に向かって懇願している。お母さんを助けてほしい……?
こんなところに子供が一人でやってきたのだろうか。見る限り、付近に大人の姿は見当たらない。
とりあえず話を聞いてみるか。流石に子供を相手に俺だけじゃ気が引ける。ここはイリスに協力してもらおう。
俺は少女を招き入れ、少女はイリスと並ぶようにテーブルに着いた。
まずはおもてなしだな。子供の好きそうなものと言えば甘いものだろう。
ミルク多めの紅茶でどうだろうか、あとはお菓子を少々。
それらをテーブルに並べると、少女はワクワクとした表情で見つめている。……隣の魔女も。
残念だがお前の分はない。俺はねだるような表情をしているイリスを横目にテーブルに着いた。
「君の名前は?」
「ユリン……」少女は名乗った。
ユリンは目の前の紅茶を口にすると、驚いた表情をして逸るようにお菓子へと手を付けた。
流石ににやけてしまう。俺の淹れた紅茶とお菓子のコンボで子供の心を鷲掴みにしたんだ。これ以上に嬉しいことはないだろう。
ふと、横を見ると相変わらず恍惚とした表情でユリン……じゃなくて、お菓子を眺めているイリスが目に入る。顔に出すぎだ、お前はもう少し我慢を覚えろ。
……改めてユリンを見る。ユリンは日頃あまり食べていないのだろうか、少し痩せこけている気がする。
「それで、ユリンはどうしてここに?」
「あのね、ここに
ユリンは俯いた。魔女、というのはイリスのことだろう。
「お母さんを助けてほしいって……どういうことだい?」
「おかあさんね、びょうきでおそとでれないの。だから魔女さんにおかあさんたすけてほしくて……」
お母さんが病気、それを魔女のイリスに治してほしい。ということだろうか。
子供らしいと言えばらしいが、とても切実そうな様子だ。こんな子供が一人でやってくるぐらいだしな。
しかし、どうしてユリンはここを訪ねてきたんだ? お母さんが病気なら、真っ先に頼るのは医者だろう。何か事情がありそうだ。
「ユリン、どうしてここに魔女がいるってわかったんだい?」
そもそもの話、イリスは引きこもり魔女だ。外との交流は一切無いと言っていい。
イリスがここにいるのを知っているのは、ダンテのオッサンぐらいだろう。そのオッサンからここを聞いた…… とは考えにくいな。
「むらでみんないってたよ。ここに
「えっ」イリスが反応した。
村で噂になっている……? しかも危険だって?
心当たりは……あ、あれか。
そういえばこの間、夜中に森の中で大爆発を起こしてオッサンに怒られた。……ヘックスと出会ったあの出来事だ。
その時に、確か村人総出で爆発現場を見に来ていた。それが噂になって、ここに
「ふふっ……」
「ちょっとアイト! 笑い事じゃないよ!?」
思わず笑いが出てしまった。
まぁ確かに、イリスが焦るのも無理はない。なんてったってイリスは最強の魔女を目指しているのだからな。それが悪い方向に進んでしまっているのだから少々心苦しい。
だとすると、ユリンは悪魔に生き血を捧げるような覚悟でここに来たということになる。それほどまでに、お母さんの病状は芳しくないのだろう。
……少しイリスと話す必要がありそうだ。俺はイリスを手招きしてテーブルから離れたキッチンへと連れ出した。
「どうする? お前を頼ってきたのはいいが、あの子は少し勘違いをしている気がする。まるで、お前のことを悪魔か何かだと思ってるぞ?」
「そ、それは……」
俺は小声でユリンに聞かれないようイリスと話している。
実際、ユリンにとっては藁にも縋るような思いなのかもしれない。しかし、実際の魔女は自堕落でぐうたら、今にもおやつが欲しくて暴れ出しそうなヤツだ。きっと、これを知ったらユリンは絶望するだろう。
それに、ユリンのお母さんがどんな病気かを知らない。ここで軽々しく承諾してしまうのもどうかと思う。
「……それでも、決めるのはイリスだ」
「!」
「ユリンはイリスを頼ってここに来た。だったら、外野の俺が口を挟むことじゃないだろう。でも、決断にはそれ相応の覚悟がいる。お前はどうしたい?」
「……」
必死に考えているのだろう。ユリンのこと、お母さんのこと。そして、自分の夢のことを。
そうだ、これはイリスの夢に近づく一歩だ。だからこそ、俺の思いはイリス、お前に委ねられた。
「あたしは……ユリンちゃんのお母さんを助けてあげたい。せっかくあたしを頼って来てくれたんだもん、その気持ちに応えたいよ」
どうやらイリスの気持ちは固まったみたいだ。
「それに! あたしが『危険な魔女』じゃないって広めるためのチャンスだからねっ!!」
あぁ……、そっちが目的か。
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