魔をほどく

市町村

 天から落ちる薄灯りの下の集落には蛍火のような光がいくつも漂っている。真白い玉のような光が通り過ぎる度に、散乱した瓦礫の山が浮かび上がっては消えていく。

 その青年は闇のなか、どこからともなくぬるりと空間から浮かび上がるようにして現れた。腰には太刀、肩には大きな巾着のような背嚢はいのう、そして着ざらした紺の着流しの出で立ちである。

 そんな奇妙な現れ方をした侍姿さむらいすがたの青年は、一歩進む度に瓦礫に足をとられかけたが、悪態を吐く様子も無く、懸命に倒壊した家屋に足をかけて乗り越えた。彼が進む度、蛍火も脇をすり抜けて行き交う。

 吹き荒れる風に髪をめちゃくちゃにされて、青年の表情はかすかだがうっとおしそうに歪む。だがすぐに表情は元の不愛想かつ真面目そうなものに戻った。

 そこから半刻も経たずして、青年はなんとか浜辺の岩場まで辿り着いた。先ほどの集落にいた蛍火は着いてきていないようだった。彼は抜刀すると、峰で近場の岩を三回ほど叩く。澄んだ硬質な音が岩場に響き、海面が振動し波紋が作り出される。すると、一部の水面が沸騰したように泡立ち、ざぶっとなにかが飛び出してきた。

 光の下に躍り出た生き物は、見かけは人と魚が混じったようであった。その生き物は空中で青年を見て眉をひそめると、再度海面に潜り、首から下までを更に海中に沈めた。

「初めまして。ユオさん。夜分遅くにすみません」

 青年は太刀を鞘に収める。ユオ、と呼ばれたその生き物は返事の代わりにぶくぶくと泡を海面に吐き出す。それから顔を海面から出した。

「お前……解魔士げましか。ハクガンは、どうした」

 まるで声変わり前の少年のような高い声だ。

「俺はハクガンの後任のシサギです。あなたを探していました。お待たせして申し訳ありません」

 シサギがそう言った途端、妙な沈黙が広がった。

「……死んだんだな? そうだろ?」

 ユオの言葉は震えていた。

「事故です。崖崩れに巻き込まれました」

 シサギはにべもない。それに丁寧な言葉遣いだが、堅すぎて慇懃無礼に聞こえなくもない。ユオはふうっと疲れたような溜息を大きく吐きだした。そしてもう一度跳ね上がると傍にあった岩に腰かけた。

 彼の姿は人間とよく似ていた。月と同じような色をした銀色の髪の毛が藻のように全身に張り付いている。少年のような顔立ちのなか、一際目立つ大きな両目も銀と灰を混ぜたような色合いだ。だが顔から足の先までがぬらぬらとした鱗で覆われていて、手足の指の間には薄い灰色の水かきがついていた。

「いつだ」

 声色は水を思わせる冷たさだった。

「今から十年前ほどになりますね」

 ユオはしばらく黙っていたが、岩にはりついた小さな貝をむしると、勢いのままに海面に叩きつけた。

「……彼の記録のみが頼りだったので、たどりつくのが遅くなってしまいました。……あなたには自由になってもらわなければ」

 シサギのあまりに事務的な言い方にユオはむっとして黙っていたが、彼はまるで気にしていないような様子で話を続ける。

「ですが、それにはあと二刻は必要です」

「ふん、そのくらいで蛇を眠らせることができるってわけか」

「ご存じでしたか」

「まあ、それは、暇つぶしにあいつの話を聞いてたりしたから……」

 決まり悪そうにごにょごにょとユオの語尾がしぼむ。シサギは岩場に降りてくると、重そうな荷を背負ったままユオのいる岩までひとっ飛びし、軽やかに着地する。

「うわっ」

 びっくりしたユオがのけ反ると、助け起こそうとしたのかシサギが手を差し出した。

「すみません。声が遠くて聞き取りづらかったもので」

「だからっていきなり飛んできたら驚くっての」

 ユオはシサギの手を面倒くさそうにしっしと払った。シサギは気分を害したようなそぶりも見せず背嚢はいのうを下ろしにかかる。そして中からずっしりと重そうな、銅でできた香炉を取り出した。

 細い枝のようなものに火打石で火を点け、香炉の蓋の中に入れる。間もなくゆっくりと煙が蓋の間から上がってきた。甘くてつんとした匂いのする煙だ。酒の香りによく似ている。気になったのか、近づいてきたユオがくんくんと小さな鼻孔をひくつかせると、シサギがそれを制した。

「あまり近づいて嗅ぐとあなたも眠ってしまいますよ」

「あー、はいはい」

 適当に返事をするユオを放って、シサギは空を見上げた。雲一つない黒々とした闇の中に広がっているのは砂をまき散らしたような星々。その中で黄金色をした月が一つ、ぽつんと大きく浮いている。だが、月の表面には切れ目のように細く黒い縦筋が入っている。

 その筋が突然ぐわっと横に広がった。――まさしく、爬虫類の目である。

 ユオは疑り深そうに香を焚くシサギを見た。

「あんた……ええと――シサギつったっけ。今度こそ本当に寝るんだろうな、あいつ」

「これは俺の故郷でつくられたものですが、効き目は確かです。龍にだって使われていますよ。……ああ、そうでした。待っている間に、一つお願いしたいことが」

「この後に及んでまだ頼みがあるのか?」

 皮肉っぽくユオが言うと、シサギはそこで初めて人らしい、申し訳なさそうな表情を浮かべた。ユオは水かきの付いた両足を軽く揺らしてみせた。

「冗談だよ。真に受けるな。で?」

「あ、はい。……あなたが結界の守護を請け負った理由わけを教えて頂けませんか」

「……あいつの後任のくせに知らないのかよ」

「ハクガンの手記には、内容が省略して書いてあったものですから」

 シサギは荷物から紐綴ひもとじの手帳を取り出すと、該当箇所を開いて読み上げた。

「ええと、集落跡地の岸辺にてユオと知り合う。干し烏賊いかがいつもより美味しかった……」

「日記じゃねぇか!」

 ユオが手記をひったくると読む。やはりそのページにはみみずがのたくったような字でシサギが言った内容がそのまま描いてあるだけだった。

「あの野郎、結界のことも書かずに……!」

 ユオが憤然として、ぎりぎりと音がするほど歯をこすり合わせる。

「落ち着いて下さい。ハクガンは意図的に省略したわけではありませんよ。多分、書き記す暇がなかったのです」

 シサギが静かに言った。

「なにせ、彼が亡くなったのはここを離れてすぐのことですから」

 ユオは歯軋りを止めると、手帳をシサギに無言のまま返した。倒れるように真っ黒な海にするりと入っていく。しばらくして海面に浮かんでくると、顔をのぞかせた。目の淵が少しばかり赤くなっている。

「……少し、長くなるぞ」

 シサギは頷いた。


 

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