転生した世界で推しの誕生日を祝いたかっただけなのに、同僚獣人に押し倒された話
藤之恵
第1話 推しの誕生日は全力で祝わなければなりません
朝の光が窓から差し込み、モンスターの毛で編んだラグマットを照らしていた。ラグマットが敷かれていない部分も、磨きこまれた木製の床がしっとりとした色を放っていた。
木の香りがわずかに漂う部屋には、ハンターとしての装備が無造作に掛けられている。出入り口に近い壁際に、小さな傷があるボウガンがや装備が使い込まれていることを教えていた。
(朝……?)
薄い布のカーテンが風に揺れ、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。その声を
眠い。朝に抗うように布団を引き寄せる。
と、ぼんやりした世界に、元気いっぱいの声が降ってきた。
「アラワ、この世界に来て一年おめでとう!」
「ふぁ……パヤ?」
目の前に立つパヤは、ふわふわの金髪に朝の光が反射して光り輝いているようだった。
眠気眼を擦りながら、寝起きには眩しい同僚を見つめる。
通常の人より長いく尖った耳は獣人の特徴であり、特に兎の獣人であるパヤの耳はぴょこぴょことよく動く。
こんな朝早くから元気だなぁと、顕はパヤに引っ張られるようにして起き上がる。
「一年?」
「そうだよ。今日が、私がアラワを拾った日」
もうそんなに経つのかと顕は満面の笑みを浮かべるパヤを見ながら思った。
寝ぼけた頭でカレンダーを確認する。紙の端がめくれたカレンダーには、この世界の月と日付が記されていた。読めるようにはなったが、まだ顕にとってピンとこない。
パヤが顕を拾った日ということは、顕がこの世界に来た日だ。
「って、ことは……わたしが死んだ日?」
「むぅ、その言い方は好きじゃない」
パヤは唇を尖らせ、耳をピクリと動かした。
死んだ本人が気にしてないのに、パヤは気に入らなそうなのが面白くて 顕は小さく笑う。
「パヤに拾ってもらって良かったよ」
森を彷徨う一般人なんて、今考えるとよくモンスターに襲われなかったものだ。
顕はこの世界に来た日のことを思い出す。どうにも情けない記憶しか浮かばない。
いわゆる転生トラックだ。推しの誕生日を祝うのに浮かれ、前方不注意でトラックにバーンとぶつかり、気づけばこの世界に来ていた。
恥ずかしすぎる。
ベッドの端に腰掛けながら、顕は膝に顔を埋めた。
(わたしが死んだ日ってことは、日本の三月三日……やっば、ひなまつりじゃん)
脳裏に浮かぶ推しの顔。
顕の推しは才能のあるアイドルなんだが、才能に胡坐をかいて少しばかり怠け者なのだ。そのくせ、やるときはやる。ステージの上で輝く姿と普段のギャップに顕はやられた。
彼女はいわゆる性悪として知られていて、笑顔のまま圧力をかける姿がよく描かれている。
この失態に「ありえへん」と怒られそうな気がした。顕は思わず頭を抱える。いくら生きるのに必死だったとはいえ、ありえない。
「推しの誕生日を祝えないなんて、終わってる……」
「どうしたの?」
パヤが頭を抱えた顕に小首を傾げて、瞬きをする。ウサギの獣人の特徴でもある赤い瞳には少しずつ色合いを変えている。
パヤはウサギ族の中でも、色素が薄いから瞳も透明感のある夕日のような赤だった。そこには、心底理解できないものを見る、不思議そうな色が浮かんでいた。
「パヤ、悪いんだけど、この近くで桃の実を落とすモンスターいない?」
「桃の実? なんで? 食べたいなら、買いに行けばいいんじゃない」
パヤの首の角度がさらに深くなる。もう少しで肩につきそうだ。
ふわふわと揺れる金髪の下で丸い尻尾がよく動いた。どうなっているのか、純粋な人間のままだった顕には未だに謎だ。
顕はもっともなことを言うパヤに宣言した。
「推しのためには、最高級の桃の実を手に入れなければならないのですっ」
顕は力強く拳を握って言ってみたけれど、パヤはますます疑問符を増やしただけのようだった。
「……よくわかんないけど、桃の実ならプラヤーモモだよ。でも、アラワ、あのモンスター嫌いじゃん」
プラヤーモモ、嫌いなモンスターと二つの単語をつなげてやっと映像になる。
大きな桃の実とスカンクを混ぜたような姿のモンスターだ。
思い出した瞬間に、顕は眉間にしわを寄せた。
「あー、あのすっごい甘い匂いのするモンスターかぁ」
「そうだよ。一回討伐依頼受けてから、絶対受けなかったよね?」
「匂いがしばらく染みつく気がしてヤだったんだよぉ」
枕をクッション代わりに抱きしめて、じたばたする。
あのモンスターの近くに寄るのさえ嫌だ。一度討伐しただけだったが、しばらく鼻の奥に甘ったるい匂いがついて回った。
パヤは顕をじっと見つめながら、静かに耳をぴくぴくとさせた。
「アラワはボウガンなんだから、そんなに近づかないじゃん」
「それとこれとは話が別なの」
パヤは俊敏性を生かして、避けながら手数を加えていくタイプだ。くるくる回る様に太刀を振り回し、モンスターにダメージを与える。
あんな紙一重の動きをできるなんて、顕には考えられない。遠くからちまちまボウガンを撃っているだけでも怖いのに。
「どーうーしーよー……」
祝いたい。祝わなければならない。だけど、プラヤーモモは嫌だ。
行くか、寝るか。それが問題だ。
と、そんな顕を見張っているかのように、脳内の推しが「あ、り、え、へ、ん」といつかのシーンで見た表情をしてくる。
うん、ありえない。やはり、行かなければならないのだ。
顕は深い溜息を吐きながら、ベッドから立ち上がる。
「推しのためなら仕方ないか……パヤ、今日依頼受けれる?」
「プラヤーモモの? できるとは思うけど、行くの?」
目を丸くしたパヤが、顕の体調を確かめるように額に手を置いた。
自分から依頼を受けると顕が言うことが珍しいからだ。
その反応に苦笑を返しながら、顕は小さく頷いた。
「うん。どうしても今日、桃が欲しい」
「ふーん」
パヤは顕の言葉に少し唇を尖らせた。尻尾がふわりと揺れるが、準備を始めた顕はその変化にはまるで気づいていなかった。
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