第5話 ゴースト発動

黒尺を手に入れてから数日後。


春斗は奇妙な現象に気づき始めていた。

物差しを握るたび、どこかで誰かの声が聞こえる。

それは、黒尺に宿った“死者の声”。


でも、この日は違った。

声だけじゃない。

黒尺から、黒い煙のようなものが溢れ出した。


「な、何だこれ……!」


煙はゆっくりと形を作る。

それは人型の影。

透けていて、輪郭はぼやけているのに、目だけがこちらを真っ直ぐ見ている。


──お前、止めたいか?


「え?」


──人を救いたいか?


春斗は震えた。

何を言ってるんだ?

でも、その直後。


「キャハハハ!!」

遠くから、異常な笑い声が響いてきた。


声の主はサラリーマン風の中年男。

両手には両端が赤く染まった透明物差し。

「怒り度99! 悲しみ度100! 殺意度MAX!!!」


道行く人が怯えて逃げる。

信号無視、ガラスを割り、車に飛び蹴り。

まるで感情が暴走している。


「な、何してるんですか!?」

春斗は思わず叫んだ。


男がギロリと振り返る。

「おいガキ!お前も知ってんだろ?物差しなんて全部クソだ!!

俺の気持ちなんか、誰もわかってねえんだ!!

だったら、全部ぶっ壊してやるよ!!」


男の物差しは、明らかに壊れていた。

色が不気味に滲んで、表示はバグったまま「∞」を示している。


──感情が暴走して自我を失った「エラー持ち」。

社会に適合できず、物差しに支配された大人が、

最終的に辿り着く破滅の姿。


「誰か、止めなきゃ!」

でも春斗の足はすくんだ。

「僕に何ができるんだ……?」


その時。

黒尺から、再び声が響いた。


──お前、止めたいか?


「……止めたい!」


──ならば、俺を使え。


黒尺から、黒い手が伸びる。

そのまま春斗の手に巻きつき、黒い鎧のように体を覆った。

「うわっ……!」


黒尺のゴーストが、春斗の体を乗っ取るように纏う。

視界が暗くなる。

でも、頭の中には無数の声が響いている。


──愛されたかった

──頑張ったのに誰も認めてくれなかった

──助けて欲しかった


それは、黒尺に刻まれた無数の死者の声。


「俺たちの力、貸してやる。

代わりに、お前も“こっち側”に近づくけどな。」


春斗の心に、強烈な悲しみと怒りが流れ込む。

同時に、体が勝手に動き出した。


「うおおおおお!!」


春斗の右手から、黒い鎖が飛び出す。

中年サラリーマンの物差しに巻きつき、感情データを強制的に吸い取る。


「な、何だ!?やめろ!!」

「お前の悲しみ、俺が受け止める!」


瞬間、春斗の悲しみ度が120まで跳ね上がる。

普通の物差しでは計測不能なオーバーフロー。


「や、やばい! このままじゃ……!!」


暴走する感情を、春斗は必死で抑え込んだ。

でも、その時ふと快感が走る。


「……助けられるって、気持ちいい。」


黒尺のゴーストが囁く。

──だろ?

──これが“ヒーロー”の快感だ。

──どんどんやればいい。

──その代わり、お前自身の心は消えていくけどな。


「……え?」


──感じる心なんて、邪魔なだけだろ?


「それは……」


春斗の胸に、灯の顔が浮かぶ。


この力があれば、

灯も、助けられるかもしれない。


灯のピンク物差しを壊して、

本当の心を取り戻すために。


でも、もしこのまま使い続ければ——

自分は本当に、心を失う。


「……それでも。」


春斗は、黒尺をさらに強く握りしめる。


「俺は、助けたい。

灯さんも、サラリーマンも、

こんな世界も、

全部、救いたいんだ!」


黒尺のゴーストが笑う。

──面白いじゃねえか。


「ならば、契約成立だ。」


春斗の背中に、黒い翼が生える。

地面を蹴り、中年サラリーマンに突進。


「この感情は……俺のものだ!」


春斗の拳が、サラリーマンの物差しを砕いた。


パリン——


透明な破片が舞い散る中、

サラリーマンはその場に崩れ落ちた。


「……ありがとう。

俺の痛み、受け取ってくれて。」


春斗の目には、涙が浮かんでいた。

でも、その涙は、

もう自分のものかどうか、

わからなかった。


──つづく

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