わたしの恋人は病気でした

まさか からだ

第1話 謎の恋人

 千尋は今日も息を切らしながらオフィスの廊下を駆け抜ける。パソコンを抱え、電話を肩に挟み、昼食をとる時間すら惜しんで仕事に没頭する日々。眠れない夜が続いていたが、そんなことを気にしている暇はなかった。


 そんな彼女の前に、ある夜、不思議な青年が現れた。


 「ようやく会えたね」


 彼は、まるで長年の恋人のように千尋を見つめた。


 ──冷えた夜風の中、路地裏の薄明かりの下に立つその男は、整った顔立ちにどこか儚げな雰囲気を纏っていた。黒髪が夜に溶け込みそうで、微笑む唇の端にはわずかに寂しさがにじむ。


 「……誰?」


 千尋は戸惑いながらも、彼の眼差しに妙な既視感を覚えた。初めて会うはずなのに、まるで長年自分のそばにいたかのような、懐かしさと温かさが胸に広がる。


 「僕は玲。ずっと君のそばにいたよ」


 千尋は怪訝な表情を浮かべる。こんな美しい男性と知り合いだっただろうか? いや、それ以前に、彼が言った「そばにいた」という言葉の意味が分からなかった。


 「君は、ずっと僕の声を無視してたけどね」


 玲は微笑む。その声はどこまでも優しく、心の奥深くに染み込むようだった。


 「僕の声?」


 千尋は彼の言葉に引っかかりながらも、ふと胸の奥に鈍い痛みを覚えた。


 「そう。……でも、もう大丈夫。これからはちゃんと君を守るから」


 玲はそう言いながら、そっと千尋の髪に触れた。ほんの一瞬だったのに、彼の指先が触れた場所から体温が伝わり、じんわりと胸が締めつけられる。




 ──これは、恋に落ちる感覚に似ていた。


 「待って……あなた、本当は誰?」


 玲は優しく笑った。その瞳の奥には、千尋の知らない何かが宿っている気がした。


 「僕は、君の中にずっといた存在だよ。ほら、思い出して」


 その瞬間、千尋の頭の中に、これまで感じていた“違和感”が溢れ出した。

 息苦しさ、頭痛、胸の痛み、倦怠感……。


 思い返せば、ずっと前から身体は何かを訴えていた。でも、千尋はそれを気のせいだと言い聞かせ、無理を重ね、見ないふりをしていた。


 「……まさか」


 玲はゆっくりと頷いた。


 「そう、僕は──君の病気、そのものなんだよ」


 その言葉が静かに夜の空気に溶けていく。


 千尋の胸に広がるのは恐怖か、安堵か、それとも……。


 彼の温もりを感じるたびに、涙がこぼれそうになるのはなぜだろう。


 ──こうして、千尋と玲の奇妙な恋が始まった。

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