第10話 不倶戴天
「──行ってきます」
休息を終えた私は、簡素な鎧を身にまとい、騎士たちが命を懸けて回収してくれた家伝のクレイモアを背負い、腰には予備の剣を携えて、お父様とお兄様に別れを告げ、テントの外へと足を踏み出した。
テントの外には、大勢の人が集まっていた。
避難してきた領民たちも、傷ついた騎士たちも──
皆、目を見開いて私を見つめている。
その視線は、まるで重さを持っているかのようだった。
期待と不安が入り混じったその想いに、肩がずしりと重くなる。
──そうか。これが、お父様やお兄様がずっと背負ってきた「重さ」なのだな。
「お、お嬢様……」
騎士が何か言いかけたが、私は手を伸ばして、それを制した。
歩みを進めるたびに、周囲の視線も一斉に動く。
ぎゅうぎゅうに詰まった人垣の中で、聞こえてくるのは、皆の呼吸音だけ。
人々が静かに道を開け、私はその道をまっすぐに進む。
焚き火が揺れていた。
私はそれを背に、深く、深く黒い夜へと足を踏み入れていく。
「……どうか、ご武運を」
誰かが、小さくそう呟いた。
「頼みます、お嬢様」
「どうか、あの化け物を」
「くれぐれも、お気をつけて」
「皆の仇」
「ご無事をお祈りします」
「……勝利を」
「勝利を……っ」
「勝利を!」
いつの間にか、人々の口から言葉が溢れ出していた。
絶望の中から芽生えたような狂熱。
その声を浴びながら、私は一歩も足を止めなかった。
ただ、目前に広がる闇だけを見据えて、まっすぐに歩みを進めていく。
「……ああ。約束するよ、みんな」
ヴァンデシール家伝のクレイモアが、まるで命を得たように、わずかに震えた。
「勝利を」
そして、奴は現れた。
星はかすみ、月光すら色を失う。
闇の中から、一輪の銀の花が咲き誇るように。
あれは──剣で構成された、赤い瞳の銀竜。
記憶結晶の中で見た幻ではない。
現実を切り裂き、そこに「在る」と証明する、伝説の
「よう」
私はゆっくりと、クレイモアを抜き放った。
「ここに人が集まってるのを察して、わざわざ顔を出したのか?──なんとまあ、恥知らずなケモノだな。うちの領地で好き放題暴れた代償、今日こそ払ってもらう」
銀竜は、じっと私を見据え、目を細めた。
私もそれに応じ、睨み返しながら、脚を開き、いつでも動ける構えを取る。
「私は、ヴァンデシール狩爵家のアストラ」
全身に魔力を奮い起こし、この身から放たれる敵意を、すべて眼の前の竜へと叩きつけた。
「我が一族の名に懸けて、今日──お前を、この剣で討つ!」
魔力を帯びた風が襲い、土煙が舞い上がる。
私は奥歯を噛み締め、足に力を込め──
正面から、堂々と、あの化け物へと向かっていった。
◇
目の前の敵の体は、記憶の中で見たそれよりも一回り、大きかった。
爪撃を横に避けながら、私はぼんやりと思った。
……たぶん、お兄様の体が私より大きかったから、そう見えたんだろう。けれど、そんな誤差くらい──とっくに修正済み。
ほら。
こいつは、左の爪を振り下ろした後、必ず右の爪を続けてくる癖がある。
私はそっと一歩後ろへ引いた。
爪が空を裂き、髪の毛を数本、宙に散らした。
その銀の糸など気にも留めず、私はクレイモアの刃を、鱗の隙間に角度を合わせ、戻しきれていない前足へ滑らせる。
そして──後ろへ引く。
「一撃目──」
なるほど、お前の血も赤いんだな。
銀竜の赤い瞳が見開かれる。
竜がシィィッと声を上げ、今度は上からの爪撃を叩きつけてきた。
私は身を低くし、踏み込むようにしてその懐へと潜り込む。
そのまま刃を再び、竜の脇腹へと沿わせるように走らせた。
火花が散り、細い赤い線が竜の体に刻まれる。
「二撃目──」
銀の刃尾が鞭のようにしなり、私の顔面をなぎ払おうとする。
身体をわずかに後ろへ反らして、その刃を紙一重で躱す。
すぐさま、もう一度爪が襲いかかる。
……次。この距離なら──お前は、口で噛みつこうとする。
斜め前へ踏み込むと、竜の牙は私をかすめ、袖だけが裂けて宙を舞った。私は剣を回し、真っ直ぐにあの目へと向ける。
「──ほう」
銀竜は、私の剣先に気づいたのか、まるで壁にぶつかったかのように動きをピタリと止める。すぐさま、応じるように再び爪撃が振り下ろされた。
「……へぇ。避けるだけの知性は、あるってことか。──でも、それももう見切ってる。三。そして、四」
まるで舞うように──
私は相手の動きに合わせて位置を変え、体勢を変え、斬撃を刻み続けた。
量産品の剣では、おそらくこの化け物に傷一つつけることすら叶わなかっただろう。だが今の私は、代々受け継がれてきた名剣を手にし、お兄様の記憶という加護を得ている。
どうすれば最小限の力で、最大の損傷を与えられるのか。
どうすれば隙を晒さず、体力を保ちつつ動けるのか。
私はすべてを知っていた。
無駄な力を使わず、大振りの一撃は避け、警戒を緩めることなく立ち回る。
一人と一体──月明かりの下で、まるで舞を踊るように激しく戦う。
だが、斬られているのは一方的に竜の方だった。
銀の体に、赤い傷が次々と刻まれていく。
苦しいだろう。
腹立たしいだろう。
理解できないだろう。
なぜ、「初めて会った」小柄な人間の雌が、お前のその誇り高い体に、これほどまで多くの傷を残せるのか。
種族としての格。
身体の大きさ。
筋力、魔力、鱗の硬度。
すべてにおいて、お前は私を凌駕しているはずなのに──
竜は咆哮を上げ、その動きはさらに加速していく。
私も、それに合わせて速度を上げた。
──無駄だ。
お前の癖は、すべて把握済み。
人間を、侮るなっ。
ほら、また。怒りに任せたその一撃、見事なまでに隙を晒している。
その焦りが、私に新たな機会を与えてくれている。
今度は──刃を、奴の首筋へと滑らせる。
「────ッ!!」
本能が目覚めたのか、あるいは怒りが頂点に達したのか。
銀竜は両翼を大きく広げ、魔力を帯びた風圧を一気に叩きつけてきた。
私の一撃は、竜の咆哮と共に弾き飛ばされる。
だが、強引に抵抗はせず、その風に逆らわず身を任せる。
空中で一回転し、風を利用して体勢を整え──
私は、着地した。
目の前の銀竜が、突如として動きを止めた。
先ほどまでの激しい怒りが、まるで幻だったかのように。今、このケモノは静かに、真紅の双眸で私を見つめている。
私もまた、動かない。
ただ、見返す。
ほんの数秒だったかもしれない。
あるいは、もっと長い時が流れたのかもしれない。
私たちはただ、黙って向き合っていた。
夜風が吹き抜け、そこに混じるのは、血と鉄錆の匂い。
そして、竜が、発光し始めた。
より正確に言えば、ゆっくりと広げられたその双翼が、光を帯び始めたのだ。
魔力の震えに呼応するように、大気が低く唸る。
まるで鳥の羽ばたきのように重なり合い、剣で構成されたその翼。
一枚一枚の長い鱗が震え、共鳴を始める。
「……来るか」
深く息を吸い、そして吐き出す。
私はわずかに身を沈め、警戒レベルを一段階上げた。
──知っている。
お兄様の記憶の中に、確かにあった。
手の中の剣を握り直す。
心臓の鼓動が早まり、血が逆巻く。
竜が翼を打ち、発光する鱗が動き出す。
赤く光る双眸。
鋭く研ぎ澄まされた視線。
大気が悲鳴を上げ、魔力が渦を巻く。
風鈴のような澄んだ音を立てながら、ドラゴンは片翼を後方へ引き、もう片方の翼は天を指す。
それを見た瞬間、私は歴戦の剣士の姿を見た気がした。
「──ははっ……」
汗が頬を伝い、脳に警鐘が鳴り響く。
それでも、私には恐怖はなかった。
気づいた時には、もう笑っていた。
民を傷つけ、家族を奪った憎しみも、この先にある運命の重圧も、すべてが遠く霞んでいた。他のすべては、白黒に塗り潰されたように、意味を失っていた。
今、世界に存在するのは、私と目の前の、この
前触れもなく、光が、私の方へと突き刺さった。
◇
もし人は死の直前に走馬灯を見るのだとしたら、今の私は、まさにその幻の中に沈んでいたのかもしれない。
あの一撃を避けられたのは、もはや「本能」によるものだった。そして、繰り返しのシミュレーションで神経に刻み込まれた、反射の結果でもある。
「……チッ」
頬に走る熱い痛み。
私は、体勢の崩れを立て直した。
心臓は激しく脈打ち、呼吸が荒くなる。
服は、汗でずぶ濡れになっていた。
すぐさま後方へ跳び、銀竜との距離を少し取る。
竜は追ってこなかった。
ただ、ゆっくりと刃の翼を引き戻す。
その銀白の翼の先端には、わずかに赤が滲んでいた。
沈黙。
一人と一体、再び視線が交錯する。
だが私は知っている。
これは、嵐の前の静けさだ。
お兄様も、お父様もこの構えから斬られたのだ。
「……ふぅ」
長く息を吐く。
私はクレイモアを下段に構え。
銀竜もまた、身を低くし、まるで弾ける寸前のバネのように身を絞っていた。
夜風が吹き抜け、数枚の落葉を連れてくる。
そして、奴が動いた。
「──ッ!」
宙を舞う葉が、銀光の一閃で真っ二つに裂けた。
空気が唸りを上げながら裂ける。
私は重力に身を任せるようにして身を低くし、前方へと飛び出した。
まだだ。まだ!
見極めろ。見極めろ。見極めろ。
筋肉の動き。視線。殺気。魔力の流れ。
──来る!
身体をひねり、クレイモアを斜め前に構える。
瞬間、手首に痺れが走った。
まるで千斤の岩を受け止めたかのような衝撃。
「ぐッ……!」
止まるな。進め!
その翼を弾き、私は身を低くして突き進む。
鼻先が地面に触れそうな姿勢で、叫び声を上げた。
「おおおおおおおおおおッ!!」
翼がまだ戻りきっていない。来るのは──爪。左、右!
避けろ。受けるな。翼が戻る。受け流せ!
上から叩きつけられる一撃。
その狙いは──私の頭。
奥歯を食いしばり、再び奴の攻撃を流し、地面へと導いた。
ドスンと音を立てて、翼は地に深く突き刺さる、まるでそのまま首へと繋がる「橋」となっていた。
私はその翼の上に飛び乗り、まっすぐに──奴の喉元へと駆けた。
「もらった!!」
つま先を支点に、渾身の力でクレイモアを振り抜く。
まるで引き寄せられるように、お兄様とお父様が放った「雷の一太刀」をなぞるように、その一撃は、銀竜の首元を正確に捉えた。
だが──
「……ッぐ!」
斬れない。
刃が、もう少しで肉を裂くというその瞬間。
あいつは再び、翼を強く持ち上げた。
その衝撃で、私の身体は空中へと放り投げられた。
「──しまっ」
反転する視界の中、私は銀竜があの「突き」の構えを取るのを見た。
あれは、お父様を打ち倒した、閃光の一撃。
「くっ」
さっきの衝撃にもかかわらず、手からクレイモアが離れていなかったのは、せめてもの、不幸中の幸いだった。
奥歯を食いしばり、私は殺気が心臓を貫こうとするその隙間に、必死でクレイモアを差し込んだ。
眩い白光と、内臓をすべて押し潰されるような衝撃と共に──
世界が、ぐるぐると回り出す。
「ぐああああああッ!」
思わず、悲鳴が漏れる。
逆さまに回る視界の中、砕け散った剣の破片が見えた。
景色が遠のく。
私は地面に叩きつけられ、跳ね上がる。
また落ちる。
そして、転がる。
──最後に、背中への衝撃。
「げほっ……!」
どうやら、森の中まで吹き飛ばされたようだった。
衝突したのは、たぶん──木だ。
鼻と口から、温かい液体が溢れ出す。
私はそのまま、うつ伏せに倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
自分の呼吸音が、うるさい。
心臓が狂ったように暴れ、今にも胸から飛び出しそうな勢いで鼓動する。
私は視線を動かし、自分の右手を見た。
そこに握られていたのは、かつてクレイモアだった、折れた刃だった。
「立て」
足に力が入らない。
全身が、言うことを聞かない。
「早く、立てよッ!」
膝が、脳の命令を拒絶する。
違う──
「私が……怖がってる?」
力の差なんて、分かってたはずだ。
あれだけ斬り刻んでも、たった一度のミス。
たった一撃で、全部ひっくり返された。
いや、ひっくり返されたんじゃない。
そもそも、私に傾いていたなんて……ただの錯覚だったのかもしれない。
──怖い。
生物としての「格」が違いすぎる。
あまりにも、違いすぎた。
でも……!
相手がどれだけ困難な敵かなんて、覚悟してたはずだ。
それなのに──!
「ふざけるなよ、アストラ……!」
こんなところで、私が、「恐怖」なんて、抱くはずが、ないっ!
「ワイルドハント」と呼ばれた、この私が!
「……ははっ」
血と鉄の味に満ちた口の中から、乾いた笑いが漏れた。
「はは、はははっ……」
笑っていた。
気がつけば、止まらなかった。
そして──
その「
かのケモノは、見下ろしていた。
月光を背に受け、上から下へ。
私は、笑っていた。
せせら笑いが、
そして、哄笑は──天を仰いでの、大笑いへと変わった。
「アハハハハハハハハハッ!」
銀竜は、私の奇行に構うことなく、静かにまた翼を広げ、構えを取る。
──そうだよな。
お前にとって、私がどうあろうと、関係ない。
あの
すべてを見下ろす、私を「餌」として見ているような顔。
──全部、笑えてくる。
「……あっははっ。まったく」
家伝のクレイモアの残骸をその場に捨て、私は背中の木にもたれながら、よろよろと立ち上がった。
銀竜が、目を細める。
私は、涙と
「ああ、畜生っ。運命ってやつは」
笑うしかないよな。
あんな風に、あの婚約者の坊ちゃんを見下しておいて。結局、私も同じだった。
弱い相手ばかりを狩って、調子に乗って、強くなった気でいた。
バカだね、私は。
私は、弱い。
弱いの、くせに。
「お前も、そう思ってるんだろ?ねぇ、ルクスグラディウス」
面倒になったのか。
あるいは、腹が減ったのか。
銀竜は、私の問いかけに対し、「閃撃」で答えた。
「……ああ」
ぼやけた視界の中。
顔面を狙って飛び込んでくるその刃の閃きが、死の走馬灯の中では、やけにゆっくりに見えた。
……まあ、いいさ。
「譲ってやるよ、こんな人生。夢みたいな妄想でできた、おとぎ話みたいな人生。 とっくに輪廻に返すべきだった、お姫様ごっこ」
そっと目を閉じ、私は微笑んだ。
「……終わった。ごめんね、お父様、お兄様、みんな」
調子に乗っていた愚かな自分には、これが一番、相応しい結末なのだろう。
――さよなら。
「……ん?」
痛みが、来ない。
死というのは、こんなにも無感覚なものだったのか。
おかしいな。
どうして、両手が……こんなにも温かく、濡れているんだ?
おそるおそる、私は目を薄く開ける。
目の前には、依然としてあの銀白の竜がいる。
私の頭を狙ったはずの刃の翼は外れ、背後の木に深々と突き刺さっていた。
いや、違う。
私の首が、わずかに横に逸れていたのだ。
そのせいで、攻撃と擦れ違った。
どうして……?
まさか──
「避けた?私、今……避けたのか?」
視線を落とす。
手のひらに感じていた温もりの正体。
ああ──血だ。
赤く、止めどなく流れ出る、温かい血。
私のか?違う。
体に穴は空いていない。痛みもない。
「どういう……こと?」
困惑して
当然、あいつが答えてくれるはずもない。
だが奇妙なことに、今目の前の捕食者は──
まるで凍りついたかのように動かない。
その赤い瞳は、まっすぐに私を見据えていた。
「ねぇ。どうしたの?喰らいに来たんじゃないの?」
手を動かすと、私はまだ剣を握っていたことに気づく。
──こんなモノ、さっき捨てたはずなのに。
「あら」
騎士から借り受けた予備の剣が、竜の翼に深々と刺さっていた。
肉にまで届いたのだろう。
そこからは、確かに血が流れていた。
「……?」
剣を引き抜く。
竜は苦しげに身を引き、傷ついた翼をすばやく引き戻す。
その気配からは──驚きが、にじみ出ていた。
だが、それよりも。
「私、今、反撃したの?なんで?」
諦めたはずだった。
死を受け入れたはずだったのに。
どうして?
血で染まった自分の手を見つめる。
「もしかして──」
銀竜が咆哮する。
魔力の重圧が大気を震わせる。
やかましい。
こっちは今、大事なことを考えてるんだ。
「なるほど」
気づけば、私はまた笑っていた。
「そうか。私、諦めたくなかったんだ」
恐怖は、まだある。
体は震えている。傷も残っていて、決して万全じゃない。
だけど、分かってしまった。
私はまだ、戦える。
今、私を支えているのは、ただのアドレナリンなんかじゃない。
これまでこの世界で積み重ねてきたもの。
日々の鍛錬、家族との絆、受け継いだ記憶。
それらすべてが、私を見捨てなかった。
まるで、天啓のように。
まるで、覚醒のように。
今、私は「運命」というものの、一端に触れた気がした。
「──人事を尽くして、天命を待つ。か」
吠え立つ、喧しいほどの存在。
目の前にそびえる、「運命」という名の試練。
私は踏み出した。
そしてその瞬間。
あの銀白の竜──生態系の頂点に立つケモノが、ほんの僅かに、後ずさった。
構える。
手のひらには、さっき鱗の隙間を斬った時の手応えが、はっきりと残っている。
それが、ただの偶然なんかじゃない。
積み上げてきたすべてのピースが噛み合って生まれた、「奇跡」と呼んでも差し支えない一撃だったのだ。
「さっきは失礼。見苦しいとこ見せちゃったね。でも、もう大丈夫」
敵を見据え、私は大きく息を吐く。
心の中の雑念が、一つ、また一つと沈んでいく。
世界が透き通って見えた。
相手と自分の境界が、溶けていく。
まるで魂が身体から離れ、この戦場を俯瞰しているかのような感覚。
私は、見えていた。
このドラゴンの、すべてを。
──この先にあるものは、もはや天命だ。
「──
その言葉に応えるように、銀竜はまたしても、光のような斬撃を放った。
◇
もし、「因果」というものに形があるのなら──
それは、果てしなく伸びて、絡み合う「糸」のようなものかもしれない。
無数の糸が、複雑に交差し、絡まり、束ねられ、織り上げられるようにして、人生という一本の縄になっていく。
その理きっと、お前にも当てはまるだろう、我が敵よ。
運命だけじゃない。
剣の理もまた、同じようなものだ。
一つの動作から、次の動作へと連なる。
筋肉の動き、足捌き、構え、間合い──
そして、環境のあらゆる要素が、勝敗を左右し、お前と私の「天命」を決定する。
伸びた糸は、また新たな糸を紡ぎ出す。
だが──どこかでその一本を断ち切れば、
その先の未来は、訪れない。
互いの糸を断ち、また、繋ぎ直しながら歩んできた。
ああ──なんて、美しいんだろう。
お前と私が、互いに織り上げ、断ち切り、絡めた、生と死という名の作品。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、呼吸は苦しく、意識は少しずつ霞んでいく。
それでも、はっきりと見える。
奴の咆哮が空気を震わせる。
私は、一歩を踏み出す。
迎え撃つのは、嵐のような剣閃。
──見えた。
幾重にも重なる閃光の中、私と繋がっていた「糸」たちは、次々と断たれていった。
ああ、この線はダメだ、もう延ばせない。
ここもダメだ、途切れた。
どの線も、全て──
私を「死」へと導いていた。
もし、すべての糸が私を「死」へと導くのならば、新しい糸を紡げばいい。
まだ、「生きる」ための道が、確かに存在している。
だから、私は身体をずらした。
剣を動かした。
刃を、あいつの領域へと滑り込ませる。
私は、その攻撃の「内側」へと、踏み込んだ。
そっと刃を撫でるように滑らせ、斜めに一刺し。
これで、どうだ。
見ろ。
私を「死」へと導いていた糸はたった今、断ち切った。
「──ふう」
ルクスグラディウスが痛みによって動きが止まったその瞬間を逃さず、私は剣を引き、そして突き立てた。鱗を避け、我が刃は深く、肉へと沈んでいく。
──見て、我が宿敵。
お前を繋いでいた「糸」が、赤く染まり始めているじゃないか。
ほら、今の一撃でまた一つ、私が首を飛ばされる未来は断ち切られた。
「……次は、左前脚か」
銀竜の身体と魔力の流れを観察して、私は奴が前脚を持ち上げようとしているのを見抜いた。
だから、私は刃をその動きへと合わせ、鱗の薄い関節部へ突き立てる。
「────ッ……!」
「これで、お前の翼の斬撃は、かわしやすくなった」
私は体を捻って刃をかわす。
遅くなった一撃、その間隙を縫って──
刃の翼に沿うように、私の一太刀を滑らせる。
装甲の隙間に刃を滑り込ませ、私は小さく息を吐いた。
その感触を、確かに思い出す。
「……ッ!」
紅が、刃を引き抜いた軌跡に舞う。
月光に反射して、空中に一筋の軌跡を描いた。
「──ああ」
私は一回転しながら足を滑らせる。
敵の爪は空を切った。
ならば──
引き戻しきれていない翼に、再び、私は刃を突き立てた。
「────ッ!」
銀竜が咆哮を上げた。
威嚇か、怒りか。
それは分からない。
だが──確かに見えた。
奴が、後退しようとしている。
だから、私はその「糸」を、斬った。
「──そこだ」
四足歩行の獣が後退するには、一瞬だけ重心を前脚に乗せる。
つまり──今、この部位は動かない。
さっき覚えたばかりの斬撃を応用すれば、ほら。
痛みとダメージで、お前の全身のバランスは崩れる。
私の剣閃が、再び銀竜の左前脚を裂く。
脆い関節を斬り裂き、支えを奪う。
その結果──
銀竜の巨体が左に傾いた。
バランスを崩したことで、運命の「糸」が新たに分岐する。
たとえば。
「──お前の右目が、ちょうど私の間合いに入るってわけだ」
危険を察知したのだろう。
煌剣竜は、咄嗟に翼で防御を試みる。
だが──
遅い。
私の剣のほうが、速い。
赤い瞳を狙い、私の剣が、月下に閃いた。
「また、一つ」
ああ。
なんて、愉しいんだろう。
断ち切って、繋いで。
生と死。
お前と比べれば、私が頼れるのは、ただの平凡な剣だけ。
この身に絡みつく「命の糸」も、
きっとお前のそれより、遥かに細いんだろうな。
それでも、まだ舞える。
頭の片隅には、確かに残っている。
責務だとか、皆の期待だとか、「運命」だとか。
だけど今の私は──
ただ、今この瞬間に感じているこの穏やかな歓びに、ただただ、身を委ねていたいんだ。
殺し合いの最中に「安らぎ」なんて、矛盾しているのかもしれない。
それでも私は、確かに感じていた。
この胸に、静かな「平穏」を。
──お前も、同じ気持ちになれただろうか?
もし、この感覚を分かち合えたのなら、それだけで、どれほど嬉しいことか。
だって、今この瞬間──
お前と私は、確かに「繋がっている」と感じるから。
「ははっ」
また、笑みがこぼれた。
けれど今度は、絶望ではない。
これは、喜びだ。
……でも、そろそろ終わりにしようか。
この身体に残された力も、もう尽きかけている。
「──行くぞ」
横一文字の斬撃をかわす。
傷ついた右目へ。
銀竜が必死に頭部を回転させ、私の位置を探る。
だが、その動きが生んだ一瞬。
それこそが、致命の隙だ。
すべてを込める。
全身の力を絞り、回転の勢いをそのままに。
魔力を、ただ一撃に注ぎ込む。
剣閃が鋭く、運命を繋いでいたその糸が、断ち切った。
一回転して、私は着地する。
竜の背後に。
手にしていた剣は、その一撃の衝撃に耐えきれず、砕け散った。
そして、聞こえた。
どすん──と、大地を揺らす音。
「──ふう……」
膝から力が抜けて、その場に座り込む。
疲労が、どっと押し寄せてくる。
振り返れば、銀竜の巨体が、静かにそこにあった。
「……」
何がそうさせたのか、自分でも分からない。
けれど私は、足を引きずるようにして、その伝説の生物だったモノへと近づいていく。
鮮やかな赤。
生命の証。
それが、流れ出し、月光を受けて──煌めいていた。
「もっと、お前を、知りたかったな。もっと、理解したかった」
手を伸ばす。
残された最後の魔力を込めて。
私は、生まれて初めての、記憶抽出の魔法を発動した。
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