TSモブ悪役令嬢、剣一本でモンスターあふれる世界のシナリオを叩き斬る

浜彦

第1章 夢見る乙女

プロローグ

 ――奴は、剣でできている。


 私は、手にした武器を強く握りしめた。

 家から持ち出した、父のクレイモア。この体には少し長すぎるが、振るえないほどではない。

 おそらくは受け継いだ血のせいか、それとも幼い頃からの鍛錬の賜物か――今の私は、この重さの武器を容易に振るうことができる。

 前世の感覚で考えれば、私がこれほどの剣を扱うなど、「怪力」としか言いようがないだろう。


 だが、この怪力も所詮は「人間」の枠を超えない。「怪物」にはほど遠い。


 これまで戦ってきたモンスターとは違う。目の前の敵に立ち向かうには、こんな程度の力ではまるで足りない。


 血潮がたぎる。  

 呼吸が速まる。

 私は顔を上げ、奴を仰ぎ見た。


 ――夜。


 星はかすみ、月は光を失う。

 その巨大な生物の鱗は剣の刃のように鋭く。  

 鎌のような首、鋭利な爪、燃えるような紅い瞳。


 圧倒的な威圧感を放ち、感情の読めない視線で私を見下ろしている。

 私は思わず唾を飲み込む。


 ――ドラゴン


 界域の覇者、捕食者の頂点、神秘の象徴。


 前世ではただの空想や物語の中にしか存在しなかった生物が、今、喉の奥から低いうなり声を漏らしながら、ゆっくりと片翼を広げる。

 鋭い翼は、まるで一本の剣。

 その姿は、構えた歴戦の剣士のようだった。


 その威容を目の当たりにし、私は奴の名を思い出す。


 ――煌剣竜ルクスグラディウス


 なるほど。

 確かに、こいつにふさわしい名だ。


 父や兄の体に巻かれていた、幾重にも重ねられた血滲む包帯。

 破壊された領地。

 嘆き悲しむ民たちの姿。


 そのすべてが脳裏を駆け巡る。


 私はクレイモアを高く掲げ、乾いた唇を舐める。

 そして、戦闘態勢を取る。


 私の構えを見た竜が、細く低いうなり声を漏らす。

 それは、不機嫌そうな響きを帯びていた。

 まるで、私の挑戦が気に入らないとでも言うように――


「私は、ヴァンデシール狩爵家の娘、アストラ」


 歯を食いしばり、敵の瞳を真正面から睨みつける。

 全身の敵意を、その目に叩きつける。


「我が一族の名に誓う。今日、お前を叩き斬る」


 言い終えた瞬間、煌剣こうけんの竜が天地を揺るがすような咆哮を上げた。




 ◇


「見ろ、アストラ。これこそ我が故郷、狩爵の一族が守るべき地――ヴァンデシール辺境領だ」


 あれとの最初の出会いは、おそらく父が私をこの世界で初めて領地内で最も高い山に連れて行ったときのことだった。


 ――春。


 風が、花の香りを運ぶ。

 石造りの建物が朝陽に照らされ、きらめいている。煙突からは薄く煙が立ち上り、生活の営みを感じさせた。

 穏やかで、美しい景色だ。


「守る……?」


 思わず問いかける。


「その通りだ。狩爵の一員として生まれたからには、アストラ、私たちには民を守る義務がある。ここは王国と人外の魔境との境界であり、最前線なのだからな。受け継がれた技と勇気をもってモンスターと戦い、人類の生存圏を守る。それこそが狩爵の役目だ」


 私の父、グレアスは、私を抱き上げて微笑んだ。

 銀髪に翠の瞳、整った顔立ち、見た目は若々しい。

 とても二児の父には見えない。


「……モンスター?」


「そうだな。アストラはまだ知らないか。ちょうどいい、出てきたぞ」


 父の指差す先を見て、私は思わず目を見開いた。


 遥か彼方、青空の下にきらめきながら飛ぶ何かがいた。


 この世界で意識を取り戻して約五年。この文明レベルが中世以前のような世界で、私は初めて、鳥以外の物が空を飛ぶ姿を目撃した。


 大きく広がる翼。長く伸びる尾。


「あれは……?」


「あれはドラゴンだよ」


「……ドラゴン」


「ただの亜竜ワイバーンではなく、正真正銘の、古代の血を継ぐ竜種だ。この地の西に息づく、伝説の竜郷に棲む存在。ドラゴンは、我らヴァンデシールの原点でもある。かつて先祖はガレオン様に従い、モンスターを打ち倒し、荒れ果てた大地を人が暮らせる土地へと変えた。そして――」


 父は私の頬をつまんだ。


「この安寧を守ることこそ、我らの責務だ。そのためにも、オフィーリアお嬢様とは仲良くしなければならない。お前たちは同い年だし、将来学園に入れば彼女を補佐することになる。未来の臣下として――…アストラ、聞いているのか?」


 父が何か雑事について語っていたが、そんなことはどうでもよかった。


 私の意識は、すべて遠く飛び続ける存在へと向けられていた。


 ファンタジーだ。ドラゴンだ。


 ここはただの退屈な中世ではない。

 神秘が存在し、剣と魔法が生きる世界なのだ。


 ドクン、ドクン、ドクン――


 心臓がかつてないほど高鳴る。退屈だった心の奥に、炎が灯る。


「あれ、強いの?」


「ん? ああ、強いとも。伝説によれば、竜の息吹は地形を変え、魔力は世界の理すら歪めるという。そんな力を使わずとも、頑強な鱗と鋭い牙だけで、常識的な手段では太刀打ちできない。先祖様は初代ガレオン公爵様の副将として戦い、三日三晩の死闘の末、ようやく撃退することができた。その功績により、王国の守護者の称号を授けられたのだ」


「――そうか。あれ、強いんだ」


 魂の奥深くで、何かのスイッチが入るのを感じた。


 内なる衝動が沸き上がる。


 自然と口元が歪む。


 きっと、貴族の令嬢が浮かべるべき表情ではなかったのだろう。

 父の顔が引きつる。


「ア、アストラ……?」


「お父様。明日から、私もお兄様と一緒に鍛錬をする」


「……え? い、いや、しかし」


「もし許可しないなら、私、お父様のことが嫌いになる。もう二度と話しない」


「えっ」


 驚愕する父をよそに、私は遠く飛ぶドラゴンを見つめ、思考を巡らせた。


 モンスター、竜種、狩爵の一族、公爵ガレオン、オフィーリアお嬢様――


 どこかで聞いたことがあるような気がする。


「あ」


 散らばっていた記憶の欠片が、一気に繋がる。


「これって、『救国のシズク』じゃない?」




 ◇


『救国のシズク』――それは、乙女ゲームとして分類されているが、巧みにさまざまな要素を融合した、まさにAAAトリプルエーの大作だった。


 多彩なグラフィック、豪華なボイス、そして心をときめかせる数々のセリフやシナリオ。さらに、洗練された戦略性と成長システムが融合し、バトルが楽しめるアクションゲームとしての側面も持ち合わせていた。

 シナリオの完成度も高く、女性ファンはもちろん、一部の男性プレイヤーもその世界に魅了されていた。


 まあ、私も当時、その「一部の男性プレイヤー」の一人だった。

 普段熱中しているゲームとはジャンルが違ったが、話題になっていたから試しに購入してみた。

 元々の予定では、合間に息抜きとしてたまにプレイする程度だった。

 しかし、予想以上に出来が良く、すっかりハマってしまった。


『救国のシズク』のストーリーは、ある意味テンプレートのものだ。


 剣と魔法、そしてモンスターが跋扈する世界。人類は懸命に生存圏を維持しながら生き延びていた。

 そんな世界で、主人公は辺境の村に生まれた少女。


 ある日、偶然にもモンスターを退け、村を守ることに成功した。

 その功績が認められ、村長の推薦を受けた少女は、彼女に懐いた小さなドラゴンと共に王立学園へ入学する。


 学園では様々な人物と出会い――もちろん、いわゆる攻略対象も。


 冷静沈着で博識な知性派貴族。

 余裕たっぷりの生徒会長。

 明るく快活な熱血漢……など。


 彼らとの交流を深め、絆を築いた主人公。

 物語の終盤に王国を襲う魔物の大群を前に、主人公は自身の力と攻略対象たちの支援を受け、その災厄を鎮め、国を守る。

 そして――聖女としての姿を示し、モンスターと共存する新たな王国を築き上げる。

 大筋では、そんなストーリーだった。


 もちろん、こうした展開には定番の「敵役」がつきもの。

 すなわち悪役令嬢の存在である。


 「炎姫」――オフィーリア・フォン・ガレオン。


 モンスターを馴らし、共存を掲げ、均衡を重視する主人公とは対照的に、彼女は狩爵を統べる公爵家の娘であり、王太子の婚約者。

 そして、徹底した主戦派だった。


「モンスターは敵。人類こそ至上の存在。生存圏を拡大し、魔物を駆逐すべし」


 そうした理念のもと、彼女は主人公と幾度となく衝突する。

 さらに、生まれながらの身分差や彼女の高圧的な態度も相まって、二人の対立は激化していく。

 オフィーリアの妨害は次第に苛烈さを増し、ついには――


 堪忍袋の緒が切れた攻略対象たちが、主人公の味方となり、オフィーリアを弾劾する。


 ――確か、そんな展開だったはずだ。


 悪役令嬢としてのオフィーリアのキャラクター性は、まあ、かなり定番ではあるが、完成度は高かった。


 悪役令嬢には、当然ながら「取り巻き」がつくものだ。

 オフィーリアは派閥の長の娘であるため、彼女の取り巻きは狩爵家系の子息たちで構成されていた。

 そして、我がヴァンデシール家もその派閥に属している。


 要するに――


 私は、オフィーリアの後に控えている、顔もろくに覚えられず、セリフも一言二言しかない、悪役モブ取り巻きの一人だったのだ。


 まったく、面倒なことだ。


 もし、ここが『救国のシズク』の世界だとすれば、私はあのオフィーリアと共に断罪される。


 断罪シーンが訪れるのは、学園三年目の卒業舞踏会。

 まだ先の話とはいえ、油断はできない。


 なにせ、あの事件がきっかけで、公爵を筆頭とする派閥が崩壊したのだから。

 オフィーリアは最後まで公爵家に忠誠を誓う狩爵の残党を率い、最前線でモンスターの猛攻に抗戦したが――


 その身は、モンスターの群れに呑み込まれた。


 この国における狩爵の存在は、ここで完全に途絶えた。

 物語の終盤、ある一通の手紙に、その結末を示す手がかりが記されていた。

 もしこの世界のシナリオが、私の知る通りに進むのなら――


 ――私に待ち受けているのは、「死」のみだ。


「アストラ? どうしたの、急に動きが止まったけど。やっぱり、まだ君には早すぎたかな? 少し休むか?」


 私を現実に引き戻したのは、隣からの声だった。


 目の前に映るのは、一人の美少年。

 柔らかそうな銀髪に、微かに垂れ気味の瞳。その目元には泣きぼくろがあり、整った顔立ちをさらに引き立てている。

 動きやすい軽装を身にまとい、手には刃を落とした鉄剣を持っていた。


 彼は心配そうな表情を浮かべ、少し腰を屈めて私の目を覗き込む。


「……いいえ、カートお兄様。私は大丈夫。ただ、少し別のことを考えてしまっていただけ」


「でも」


 目の前の、少し困ったような温かい眼差しを向ける、まるで大型犬のような少年こそ、私の兄、カートレウス。

 もし未来が私の知る通りに進むのなら――

 この優しい兄も、私を溺愛する父も、最終決戦で命を落とすことになる。


 気に食わないな。 

 今生、母は難産でこの世を去った。

 言い換えれば、私はこの二人の男手によって育てられたのだ。

 そんな大切な家族が、あの運命を辿るのをただ黙って見ているほど、私は堕ちてはいない。


 だけど――


 運命を変える確実な方法なんて、私には分からない。

 前世では平凡そのもので、特技といえばゲームのTAタイムアタックくらい。

 そんな私にできることといえば、地道に自分の力を鍛え上げることくらいだろう。


 それに――


 あいつ。


 この世界に君臨する竜種という、圧倒的な強者。

 せっかく手に入れた二度目の人生だ。

 挑みたい。征服したい。

 あいつが支配するその領域を越え、もっと広い世界を、この目で見てみたい。


「見てください。大体コツは掴めましたから」


 額の汗を拭い、短く息を吐く。

 意識を再び手にした刃引きの鉄剣へと集中させる。

 下腹部からじわじわと全身に流れる魔力を感じ取りながら、構えを整える。


「……はっ!」


 目の前の藁束が、両断される。


「……すごいな。まさか、ほんとにこんな短時間でコツを掴むなんて」


 カート兄は目を見開いた後、すぐに優しく微笑んだ。

 そして、そっと手を伸ばし、私の頭を撫でる。


 手のひらの硬いタコが、少しだけざらついている。

 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。


「アストラは、やはり父上が言っていた通りの天才なのかもしれないね」


「でしょう?」


 そっと汗を拭いながら、呼吸を整える。

 この世界に本当に物語の強制力というものが存在するとしても、それが発動するのはまだずっと先の話だろう。


 負けるもんか。


 私は、自分にできることをする。


 つまり――自身の戦力強化。


 少し不謹慎かもしれないが、せっかくモンスターが存在する世界に生まれたのだ。しかも、モンスターを狩ることを宿命づけられた一族に。

 これから運命に抗うことを思うだけで、ゲーマーの血が今まさに滾っている。


「今の私なら剣技を扱える。だから、お約束通り、モンスター討伐へ連れて行ってください」


 私の言葉を聞いたカート兄は、苦笑を浮かべた。


「……アストラ」


「聞きましたよ、カートお兄様。お父様から兵を任されて、森のを巡回し、魔狼ウルフなどが出ていないかを確認しているよね? 連れて行って」


「いや、それって結構危険なんだぞ? それに、アストラはまだ教養の授業があるだろう。父上に怒られるぞ?」


「でも、約束したよね」


「まあ……確かに。でも、そもそもアストラはまだ子供だし、こんなに早く剣技を習得するなんて思ってなかったんだよ……」


 カート兄は困ったように眉を下げた。


 ふふ、やっぱりね。

 どうやら最初から、私が短期間で剣技を習得するとは微塵も思っていなかったらしい。つまり、前にした約束は適当に流されただけ。


 だが、ここで引くわけにはいかない――私はもう一つの武器を使うことにした。


 両手でスカートの裾を摘み、下からカート兄を見上げる。

 自分が一番可愛く見える角度で。


「……ダメ?」


「ぐっ……」


 目の前の少年の動揺がはっきりと見て取れる。

 いい感じ、あともう少し。


「私、カートお兄様のかっこいい姿を近くで見てみたいなぁ~」


「え? そ、そうなのか? 」


 カート兄は照れ臭そうに頬をかき、わずかに顔を赤らめた。


「うん。約束を守るカートお兄様が一番かっこいいもん」


「お、おう……そう、だな。約束は守らないと……」


「ね? だから、連れて行ってくれる?」


「……まあ、仕方ないな。わかった、連れて行ってやるよ」


「やったー!お兄様、大好き!」


「グへへっ」


 ふっん。ちょろいぜ。


 私は勢いよくカート兄に抱きついた。

 まあ、相手は男だけど、家族だし、私の頼みを聞いてくれたわけだから、ここは仕方なくサービスしてやろう。

 カート兄のちょっと気持ち悪い笑い声を聞きながら、私は心の中で静かに決意を固めた。


 ――見ていろよ。


 このモンスターあふれる世界のシナリオ、私が叩き斬る。

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