【悩み】他人への期待を捨てられない私

 ジャズを流しながら朝食をいただく。バナナをもぎ取ろうとしたら、食べたいものの隣のものがもげてしまった。

「仕方ない、お前を食してやろう」

 勝手にもげてきたこともあって、ものすごく甘く柔らかいバナナだった。食事の最後にあたたかい麦茶をぐいっと飲み干す。口から喉へと熱が流れていくのが心地良い。

 今年ようやく自分に合う飲み物に出会うことができた。それがお湯で入れたあたたかい麦茶とノンカフェイン且つコーヒーと似た苦さが味わえるチコリコーヒーだった。学生時代、毎日狂ったように烏龍茶を飲んでいたせいか、今では少量のコーヒーを三日と続けて飲むと食欲がなくなるほどになってしまった。コーヒーもお茶も大好きだけれど、そんな事情で毎日愛飲することができない。ルイボスティーやコーン茶などのノンカフェインも試したけど、こちらはこちらでお腹が弱い自分にとっては次の日の下痢につながってしまった。たまにある便秘のときは心強い味方になり得るけれど、平時に飲むにはちょっと勇気がいる。そんなふうにたくさん回り道をしてようやく辿り着いたのが温かい麦茶とチコリコーヒー だった。お腹や体調を気にせず好きなものをゴクゴクと飲めるというのはとても幸せなことだ。

 話は変わって、世の中人とわかり合うというのは本当に難しいことだと思う。誰かにとって取るに足らない何気ないことでも私にとってはものすごく重大なこともある。逆もまた然りだ。折り合いをつけるために伝え方を工夫したり、どうにか自分をコントロールしようとしたりするけれど、そのどれもが空振りとなるとストレスが溜まっていく。こういったとき、どう工夫していったらよいのだろう。空振りが重なると自分のこの「どうしたらよいのだろう」と考えた時間全てが無駄になった気がして悲しくなる。その時間、他のことを考えられたなと思うとかなり悔しい。少し、落ち込んでいる。考えるだけ無駄かと思って他のことを考える。忘れた頃にストレス要因が「やあ」と何食わぬ顔をして再び私の目の前に現れる。こういうことにスマートに対処できる人はものすごく素敵だと思う。感情に振り回される私は、まだまだ素敵じゃない。

 こんなふうにストレスが積み重なったときに助けられるものがある。もう何年前に書いたかもわからない、『心地が良いと感じるとき』ノートだ。一ページにその当時の自分がこれをしたら心地良くなるということが記してある。その中の一つに『名前も知らないジャズをひたすら聴く』というものがある。なるほど、今日はそういう日なのかもしれない。少しだけ音量を上げて穏やかなジャズを流す。今は一旦、色々なモヤモヤを忘れてみようか。

 リストの中にはこんなものもある。

『風の音を聞いているとき』

 それなら西側の小窓も開けてみて、とりあえず風とついでに鳥の声でも聞いてみようか。興奮した頭を静めるために一つ二つ深呼吸をしてみる。

 ──まあ、そんなこともある。

 そんなふうに受け入れられる人になれたらどれだけよいのだろう。私はまだまだ他人への期待を捨てられないみたいだ。

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