愛を知らない 酷いヒト

かこ

01* 愛をかたらう 酷いヒト

「打ち上げ行くかぁー!」


 事務所のうっとうしい空気を払うように、大きな声が響いた。

 びっくりしたのは、もちろんわたしだけではなく、でもいつものことだったから、すぐに緊張はとける。

 空いてるか電話してみましょうか、用事があるから無理ですー、と口々に声を上げて、すぐに行くメンツが決まりそう。

 決めかねているわたしに発起人が声をかけてくる。


春日かすがさんも行くよね」


 好きな人に言われたのだから、行かないという選択肢はなかった。



 酒を交わして、腹も満たされてくれば、当然、話に花が咲く。その輪の端っこであいまいな相槌を打つのがいつものパターン。二人、三人なら話せないことはないけど、それ以上で会話を回すのは緊張するので聞き役に回る。

 相手先の愚痴も入り混じるけど、面白おかしく言ってくれるから苦じゃない。程よいお酒は会話をなめらかにする。

 でも、今日は耳を塞ぎたくてたまらなかった。


「春日さんはさ、プロポーズってどういうのがいい?」


 ついに、きた。五十嵐いがらしさんから、聞かれるなんて最悪すぎる。

 チーフ、それ皆に聞いてませんか、と周りから笑われてもへっちゃららしい。いじられるのに慣れているということもあるけど、だいぶ酒が回っているみたい。

 夜景を見ながら、レストランで、花束を準備して、という意見が出た後なので無難な言葉が思い付かなかった。


「人が大勢いるところはちょっと……」


 言葉をにごせば、そうかぁと五十嵐さんが肩を落とした。逆にどんなものを考えていたのだろうと興味を引かれたけど、知ったとしても、わたしが相手ではないので虚しいだけ。

 五十嵐さんの頭は彼女でいっぱいなんだろうな、と考えたら、酒の味もわからなくなってしまった。

 まさか、五十嵐さんが潰れるなんて。飲み放題をいいことに、どんどん杯を進めるわたしに付き合わなくったってよかったのに。わたしも周りも止めたのに、にこにこ飲んだ矢先に眠り込んでしまった。

 ぐでんぐでんなのに、春日さんとまだ飲むとか、ふにゃふにゃ言って、彼女の話も始めるからたまったもんじゃない。


真波まなみがさ、来週の俺の誕生日にお祝いしようって言ってくれてさぁ、その時にプロポーズしようかな、って思ってるんだよね。やっと、ひと山片付いたし、先延ばしにする話でもないから。指輪は準備したけど、他には何がいるんだろね。花とか? やっぱりバラ? 赤いバラかな、やっぱり」


 その話、五回は聞いた。何度聞いても、面白くない。

 店を出た酔いどれ集団は、もう先に行ってしまって、歩ける歩ける詐欺をした五十嵐さんをわたしが抱える羽目になった。身長があるとはいえ、筋肉がないわたしに抱えさせるなんてむごいにも程がある。

 意識して五十嵐さんの匂いを嗅がないようにしていたのに、息が上がってはあらがいようがなかった。

アルコールの匂いに混じる、タバコの苦い香り。

普段はまったく吸わないのに、仕事明けに一本だけ気持ちよさそうに吸う。居酒屋に来る前はしなかったから、居酒屋についてからだろう。

 出会った頃のことを思い出して、目眩がした。

 虚ろな瞳は何を見てるのか、行こうと筋張った指が差したのは、ラブホテル。


「そこで休憩しよう」


 苦情を申立てようと軽く睨んだら、真っ白な五十嵐さんになっていた。赤らんだ顔はどこにいったの。

 肩を支えていたはずなのに、急に手を引かれて明るい入り口へと引っ張られていく。

抵抗する間もなく、部屋に連れていかれ、五十嵐さんはトイレに立てこもり、ベッドに倒れこんだ。

 見てはいけない、聞いてはいけない、と意識に蓋をしていたが、ずっとそうするわけにもいかない。部屋にあったペットボトルの水を片手に、ベッドに向かった。

 息苦しかったのか、うつ伏せから仰向けに寝転がった五十嵐さんは長い手足をベッドの端から端まで広げる。

すぅすぅと小さな寝息を立てる彼を起こすのも気が引けて、こんな機会はもう二度と来ないと観察することにした。

 ワックスで撫で付けたやわらかい髪がシーツに広がっている。連日の作業のせいか、うっすらと浮かぶクマ。いかつそうに見えてやんちゃな瞳はあどけない瞼に隠されていた。高くもなく低くもない鼻に、笑うと大きな口、えくぼの浮かぶ頬にはわずかな髭が生えはじめている。

 薄暗い部屋の中で、生き物のように喉仏が上下していた。

 冷えた手を襟元に忍ばせる。慎重に触れたはずなのに、髭が指をかすめた。呼吸に合わせて動く胸は服の上からでも筋肉質なことがうかがえる。

わたしの鼓動はどこにあるのだろうか。音だけなら体全体に響いている。

息苦しそうだからと理由をつけて、シャツをくつろげた。

 こぼれでた熱い吐息に耳がしびれる。


「あれ、俺、家に――ああ、マナミんか」


撫でるような声で、わたしと同じ名前を呼ばないでほしい。

 触れてみたかった手が、わたしの方にのびてくる。向けられた顔はとろけるように甘い。

 これ以上、落ちようなんてないのに、恋い焦がれた心は呆気なく堕ちた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る