『幽町(かすかまち)ストレンジ・ゴーストツアー』
ソコニ
第1話「ようこそ、幽町へ」
霧が立ち込める早朝の国道沿い、一台の車がゆっくりと標識の下で停車した。
「幽町(かすかまち)——温泉郷・1km先」
運転席の高瀬誠(28歳)は深く息を吐き出した。東京のPR会社で働き始めて5年。地元を出て初めての帰郷だった。窓を開けると、懐かしい空気が車内に入り込む。微かに硫黄の香りを含んだ湿った風。
「ただいま……か」
恥ずかしくなって言葉を飲み込む。アパートの契約を切り、車に荷物を詰め込んで、会社も辞めてきた。肩書きも住所も、すべてを手放して戻ってきたのだ。
カーナビの案内に従い、誠は山間の道を進んだ。道が開けると、眼下に幽町の全景が広がった。かつては観光客で賑わった温泉街は、今や静けさに包まれている。旅館の屋根瓦のいくつかは崩れ落ち、木々が電柱に絡みついて成長していた。時が止まったような、忘れられたような光景。
「こんなに……」
言葉を失う。五年前に出ていった時よりも、町は確実に衰退していた。
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町の中心部に入ると、わずかに人の気配が感じられた。誠は車を路肩に停め、地図アプリで確認する。目的地はもうすぐだった。
「高瀬さん!」
声のした方向を見ると、短めの黒髪をポニーテールにまとめた女性が手を振っていた。西野美咲(25歳)、幽町観光協会の職員で、事前にメールのやり取りをしていた相手だ。
「西野さん、お世話になります」
頭を下げる誠に、美咲は明るく微笑んだ。
「こんな時間からすみません。でも、高瀬さんの話を聞いたとき、すぐに会いたいと思って」
二人は近くの喫茶店「ミスト」に入った。開店直後のせいか、店内は二人だけだった。レトロな内装は記憶よりも色褪せていた。
「正直、驚きました。東京のPR会社で働いていた方が、いきなり『幽町の町おこしを手伝いたい』なんてメールをくれるなんて」
美咲がコーヒーを前に身を乗り出す。
「僕、この町の出身なんです」誠は窓の外を見つめながら言った。「東京で企業のイメージアップや商品のPRを担当していたんですが……」
「でも戻ってきた」
「はい。たまたま実家から町の様子を聞いて。『このままじゃ町がなくなる』って」
美咲は小さく息を吐いた。
「本当にそうなんです。昨年の観光客は前年比40%減。温泉旅館も一軒閉鎖になって……」
「だからこそ、何かできるんじゃないかと。僕の経験を活かして」
美咲の目が輝いた。「具体的にどんなアイデアが?」
「それが……」誠はノートパソコンを取り出した。「思い切ったことをしないと、もう何も変わらないと思うんです」
画面には『ストレンジ・ゴーストツアー』というタイトルと、幽町のレトロな街並みをバックに幽霊のようなものが浮かぶデザイン画が表示されていた。
「幽霊……ツアー?」
誠は熱っぽく語り始めた。「そうです。幽町という名前を活かして、ホラーをテーマにした町おこしです。廃業した旅館をお化け屋敷に改装したり、夜の温泉街を巡るゴーストツアーを企画したり」
美咲は眉をひそめた。「でも、幽霊って……ちょっとネガティブなイメージじゃ」
「だからこそチャンスなんです」誠は力強く言った。「今の若者は『ホラー』や『怖い』を楽しむ文化があるんですよ。SNSでもホラースポットは大人気で、実際に体験して投稿する人がたくさんいる。幽町の名前を活かした『恐怖』の町おこしは、今の時代にマッチすると思うんです」
美咲は黙ってコーヒーを啜りながら考え込んだ。
「確かに……何もしなければ、このまま町は消えていくかもしれない」彼女は決意を固めたように顔を上げた。「やってみましょう、高瀬さん!」
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幽町の外れ、山際に佇む「湯守荘」。かつては町で最も古く栄えた旅館だったが、今では廃墟と化している。朽ちかけた木造の建物は静かに時を刻んでいた。
その一室で、一人の少年が目を覚ました。
カオル(17歳)は、畳の上に横になったまま天井を見つめていた。頭の中が靄がかかったように朦朧としている。自分の名前は覚えているのに、なぜここにいるのか、何をしていたのかが思い出せなかった。
「ここは……どこだろう」
立ち上がろうとして、カオルは驚愕した。彼の体が床から数センチ浮いていたのだ。そして、自分の足が畳を通り抜けそうになっている。
「え……?」
慌てて手を見る。掌が微かに透けて見える。恐る恐る壁に手を伸ばすと、指先が壁をすり抜けた。
「ま、まさか……」
カオルの中で恐ろしい認識が形作られていく。
「私は……死んでいる?」
その瞬間、襖がゆっくりと開いた。
「ああ、目が覚めたのね」
白髪を綺麗に結い上げた老婦人が立っていた。彼女もまた、微かに透けて見える。
「私はハナ。この旅館の元女将よ」彼女は穏やかな笑顔を向けた。「あなたは最近ここに現れたのね」
「私、死んでいるんですか?」カオルは震える声で尋ねた。
ハナは静かに頷いた。「そうよ。あなたも私も、幽霊なの」
カオルは自分の胸に手を当てた。鼓動はない。呼吸をする必要もない。
「どうして……私がいつ死んだのか、覚えていないんです」
「それはよくあることよ」ハナは襖のそばに静かに座った。彼女の動きには重みがなく、まるで風のようだった。「突然の死や、強い思いを残して死んだ場合は特に。記憶は少しずつ戻ってくるかもしれないし、戻らないままかもしれない」
カオルは途方に暮れた表情で部屋を見回した。古びた障子、埃の積もった鏡台、時が止まったような部屋。
「ここは……湯守荘という旅館よ」ハナが説明した。「今は廃業しているけれど、かつては幽町で一番栄えた場所。私はここの女将だった。20年前に亡くなったの」
「20年も……」カオルは驚いた。「ずっとここにいるんですか?」
「そうよ。この旅館が私の居場所だから」ハナは穏やかに微笑んだ。「あなたはどうなの?なぜここにいるのか、覚えていない?」
カオルは頭を振った。「名前以外、ほとんど覚えていないんです。17歳で……死んだことだけは、なんとなく」
「そう」ハナは立ち上がった。「じゃあ、少し町を見に行きましょうか。あなたの記憶の手がかりがあるかもしれないわ」
カオルは戸惑ったが、ついていくことにした。歩くというより、浮くような感覚で動く。壁をすり抜け、廊下を進むハナについていくと、朽ちた廊下の先に外の景色が見えてきた。
「外に出てもいいんですか?」
「もちろん」ハナは微笑んだ。「私たちは幽霊。自由に動けるのよ」
二人が旅館の玄関を出ると、朝の光が町を照らしていた。遠くの山々、温泉街の古い建物、そして町の入り口付近に停まった見慣れない車。
「町に変化が起きそうなの」ハナがつぶやいた。「久しぶりに都会から人が戻ってきたわ」
カオルは町を見下ろして、不思議な感覚に包まれた。まるでずっと前からこの光景を知っているような、懐かしさと切なさが入り混じった感情。
「私、この町と何か関係があるんでしょうか」
「きっとそうよ」ハナは優しく言った。「あなたがここに現れたということは、この町に何か強い縁があるはず。時間をかけて思い出せばいいの」
カオルは静かに頷いた。「ハナさん、他にも幽霊はいるんですか?」
「ええ、たくさんよ」ハナは町の方を指差した。「この町には昔から幽霊が集まるの。なぜか惹きつけられるのよ。みんなそれぞれの場所で、それぞれの理由で留まっている」
「私は……なぜここにいるんだろう」
「それを見つけるのが、あなたのこれからの旅ね」
朝日に照らされた町を見ながら、カオルは自分の存在理由を考えた。死んでいるのに、何か強い思いがあるから、この世に留まっているのだろう。その思いとは何なのか。
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観光協会のオフィスで、誠と美咲は町長の息子・松田大輔(32歳)に企画を説明していた。
「ホラーで町おこし?」大輔は半信半疑の表情で資料に目を通した。「確かに奇抜だけど、うちの町のイメージダウンにならないかな」
「逆です」誠は熱心に説明した。「今のSNS世代は『怖い』を楽しむんです。しかも『幽町』という名前を活かせるチャンスです」
「それに」美咲が補足した。「最近、似たようなホラーイベントで観光客が増えているんです。あちらは廃病院を使っていますが、私たちは廃旅館と町全体を舞台にできます」
大輔は考え込む様子を見せた。「父親の町長を説得するのは難しいかもしれないが……」彼は突然顔を上げた。「一度、具体的な企画書を作ってみてくれないか?予算や実施プランを含めて」
誠と美咲は顔を見合わせて微笑んだ。
「はい!すぐに取りかかります」
オフィスを出た二人は、興奮を抑えきれずに町の中心部へと歩き始めた。
「高瀬さん、本当にやれそうですね!」
「ええ、これが最初の一歩です」誠は町並みを見渡した。「まずは湯守荘の状態を確認したいんです。お化け屋敷に改装できるか」
「あの廃旅館ですか?」美咲は少し顔色を変えた。「あそこは……少し不気味な噂があるんです」
「噂?」
「地元の子供たちの間では、あそこに行くと幽霊が出るって言われてて」美咲は恥ずかしそうに笑った。「もちろん迷信ですけど」
誠は目を輝かせた。「それは使える!そういう地元の言い伝えや噂も企画に取り入れましょう」
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カオルとハナは町を見下ろす丘に立っていた。カオルは自分の足が地面に触れていないことにまだ慣れていなかった。
「あの車に乗っていた人たちが、何か始めようとしているみたいよ」ハナが町を指さした。「久しぶりに賑やかになるかもしれないわね」
「でも……」カオルは不安そうに尋ねた。「もし町が変わったら、私たちはどうなるんですか?」
ハナは穏やかに微笑んだ。「私たちはこの町の一部よ。町の変化を見守るのも、私たちの役目かもしれないわ」
その時、カオルの視界の隅に何かが動いた。振り返ると、遠くの木々の間に黒い霧のような形がちらりと見えたような気がした。だが、よく見ると何もない。
「どうしたの?」ハナが尋ねた。
「いえ……何か見えた気がして」
ハナは少し表情を曇らせた。「この町には色々な幽霊がいるのよ。いずれ会うことになるでしょう」
カオルは再び町に目を向けた。何か懐かしい感覚と、同時に不安な予感。自分がなぜここにいるのか、その答えはこの町のどこかにあるのだろうか。
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町の神社では、神主の北村健太(45歳)が早朝の祈りを捧げていた。彼は突然、背筋に冷たいものを感じて顔を上げた。何者かに見られているような感覚。
「また、始まるのか……」
北村は神社の奥にある小さな祠に向かった。扉を開けると、古い文書が納められた箱が安置されている。その横には「封印」と書かれた札が立てられていた。
「どうか、今度こそ平穏でありますように」
彼が祈りを捧げる姿を、誰にも見られずに見つめる黒い影があった。
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夕方、誠と美咲は湯守荘の前に立っていた。朽ちた看板には「休業中」の文字が風化して残っている。
「ここを改装すれば、絶対に人気スポットになりますよ」誠は確信に満ちた声で言った。
「本当にホラーイベントで人が来るでしょうか?」美咲は不安そうに尋ねた。
「大丈夫です」誠は彼女の肩に手を置いた。「僕が責任を持ちます。この町を、もう一度輝かせましょう」
二人が旅館に入っていくのを、カオルとハナが見つめていた。
「あの人たち、何をするつもりなんだろう」カオルは不思議そうに言った。
「さあ」ハナは微笑んだ。「でも、何か面白いことが始まりそうね」
一陣の風が吹き、夕暮れの町に霧が立ち始めた。幽町の新たな物語の幕が、静かに上がろうとしていた。
(つづく)
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