第三十三話 彼の決意

   §





 ざざ……ん……


 潮のにおいは、魚や貝とはまた別のにおいに感じる。

 宵浜よいはまに来たばかりの頃は気になっていたけれど、今では鼻も慣れたみたいだった。


 磯着いそぎに着替えたわたしは、海には潜れないけれど、岩場で二枚貝を探す。

 見つけたら籠に入れる。ある程度溜まったら、小屋に戻る。

 その作業を繰り返していた。


「おい」


 棘のある声に振り向くと、砂の上に王令おうれいが立っていた。

 わたしは岩場から答える。


「ちょっと。外に出て平気なの?」

「貴様は私を何だと思っているんだ」


 籠を岩に残して、わたしは砂の上に飛び降りた。

 王令はまだ顔色だって悪いし、角だって折れたままなのだ。

 また、いつ倒れてもおかしくない。


(命を狙われて死にかけの第三王子、って言ってやろうかしら)


 もちろん言わないけれど。未来で起きることも含めて。


「おい。何故、黙っている」

「ごめんなさい。適切な表現が思い浮かばなかったから。というより、また追手が来るかもしれないんだし、小屋に隠れていたらいいのに」

「私の敵ではない。襲ってきたら殺せばいいだけだ」


 王令は不機嫌そうに眉をひそめる。どこか幼さを感じる表情だった。


「私にも手伝わせろ」

「えっ?」

「聞こえなかったのか? 私が手伝ってやる、と言ったのだ」


 わたしはぽかん、と口を開けて。

 まじまじと王令を見つめた。


(百年前の王令って、こんな感じだったの? それがどうして王になったらあんな風に……)


「おい」


 三回目の、『おい』呼ばわり。


「はいはい、分かりました。よろしくお願いします」

「何が可笑おかしい」

「いえ。何でもありません。えぇと……」


 わたしは綴さんから教わったように、二枚貝の拾い方を王令へ教える。

 そして二手に分かれて探すことにした。籠はふたりの中間地点辺りに置いておく。


 ちらり、振り返ると。

 足元も不安定だというのに、つま先立ちになって、王令は一生懸命岩場を見つめていた。


 不謹慎とは思う。

 だけど、ふっと口元が緩んでしまった。


(もしかして過去の宵浜でわたしと出会ったことで、未来が変えられるんじゃないかしら?)


 そう思うと、ほんの少しだけ、希望が湧いてくるのだった。




   §




 王令とふたりで小屋へ戻り、二枚貝を開いていたら、綴さんが帰ってきた。


「おかえりなさい、綴さん」

「あら。今日はいっぱい捕れたのね」

「王令が手伝ってくれました」

「……!?」


 わたしとほぼ同じ反応の綴さん。

 王令は、むっとした。いや、最初からむっとして見えるけれど。


「私が進んで手伝ってやったのだ」

「そ、そうでしたか。ありがとうございます……」

「ここ数日、考えていた」


 ぽつり、と王令が呟いた。


「私には王になる意志がない。だからこそ、ろくに話をしたこともないような身内に命を狙われ、投げやりになっていたのは事実だ。私は王の器ではないし、田舎で静かに一生を終えるつもりだった」


 拳を握る力が入ったように、見えた。


「だが宵浜に来て、考えが変わった。私のような立場だからこそできることもあるのではないかと」


 そこでようやく王令は顔を上げた。

 紅い双眸には、体の状態とはちぐはぐに、力が宿っているように――見えた。


「王令様……」 


 綴さんが驚いたように目を見開く。


「お前たちのような者も、恥じずに街中を歩けるようになればいいと思う」


(確実に歴史が動いてる……!)


 わたしもわたしで、胸が、鼻の奥が熱くて。泣きそうになっていた。


 そこへ。

 どたどた、と若干がさつな足音が近づいてくる。


「おーい! 今帰ったぞ! ……ん? どうしたどうした?」

「……何でもないわ。ご飯にしましょう」


 立ち上がった綴さんは、わずかに泣いているように見えた。

 人間を食べないと決めて宵浜で暮らしている綴さん。

 きっと、何か理由があるのだろう。

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