第十八話 新たな希望と可能性

   §




 二度目の人生と同じように、わたしは、こっそりとシキを寄宿舎へ連れて行った。

 当然のように雪絵は目を丸くする。


「咲子さん」

「なに?」

「その……犬? は、何でしょう?」

「鬼に襲われたわたしたちの護身のために、安倍先生が押し付けてきたの。学長も了承済」

「へぇ……かわいいですね……」


 雪絵はすでにシキの虜になっていた。わしゃわしゃと両手でなで回している。


「この子の名前は何ですか」


 シキを抱きかかえたまま、雪絵がわたしを見た。


「……シキ、だよ」

「ふふ。シキ、よろしくお願いします」

「わふわふ」


 シキもまた雪絵に懐いている。少しずつずれながら、三度目の人生も動き出していた。




   §




 陰と陽だけでは、この世界を説明するには難しいのだという。

 さらに世界を解いていくと五つの要素に分かれる。五行だ。


 木は土に勝つ。

 土は水に勝つ。

 水は火に勝つ。

 火は金に勝つ。

 金は木に勝つ。

 それが、五行相克そうこくという考え方。


 木が火を生む。

 火が土を生む。

 土が金を生む。

 金が水を生む。

 水が木を生む。

 それが、五行相生そうじょうという考え方。


「人間も鬼も、魂にひとつずつ要素を含んでいる。人間関係がうまくいったりいかなかったりするのも、五行の相性に左右されている可能性がある。それだけじゃない。すべての動植物は、いや、生命以外もすべて、要素をひとつずつ持っている」


 陰陽学の講義は続いていた。

 皆、きちんと話を聞いているようで聞いていない気がする。玲明の顔に見とれて落書きしている級友もいる。実にのんきなものだ。


「先生。その要素は、どうやって分かるんですか?」


 ひとりが勢いよく手を挙げて尋ねた。


「いい質問だ。結論、普通に生きていても分かることはない。感じて、気づくことしか方法はない。木の呼吸を感じられたら? 炎のはぜる音にどうしようもなく惹かれたら? 土の手触りに懐かしさを覚えたら? ……それを強く感じられる者は、きっと陰陽師になる才能があるよ」


 皆がしんと静まりかえった。


「でも、女性は陰陽師になれないんじゃないですか」

「今はね。これからのことは誰にも分からない」


 そのとき、わたしは気づいてしまった。


(もしかしたら、わたしも陰陽師になれるかもしれないっていうこと……?)


 周りに頼らず、敵と立ち向かえるのでは。

 それは、新たに生まれた希望でもあった。




   §




 中庭にはやわらかな光が降り注いでいる。

 わたしは桜の木の幹に両手を当ててみた。目を閉じる。

 ……何も感じない。


 土はどうだろう。土をすくってみる。これといって何かがあるような感じはしない。

 目を閉じるだけで、視覚以外は敏感になるような気は、するのに。


「何をしているんですの?」

「陰陽師になれないかと思って」

「まぁ」


 通りがかった雪絵は、心底驚いたという表情を返してきた。


「女性初の?」

「そう。女性初の。そうしたら、戦えるから……」

「待ってください、咲子さん。あなたは教師になるんでしょう? 陰陽師だなんて、そんな、危ないです。そもそもなれるかも分からないのに」


 そうだね、とわたしはつぶやく。

 雪絵の言っていることは正しいし、実際に陰陽師になれるなんて思ってはいない。

 だけどわたしに力があれば。

 万が一のとき、鬼の王に抵抗できるかもしれないのだ。

 かすり傷くらいはつけてやれるかも、しれないのだ。


「おや?」


 通りがかったのは玲明だった。


「安倍先生。石井さんを止めてくれませんか? 先ほどの講義に影響されて、陰陽師になると」

「へぇ。すごく頼もしい話じゃないか!」

「先生っ?」

「せっかくなら陰陽省も見学しにこないかい? 石井さんだけじゃ不安なら、中院なかのいんさんもついてくるといいよ。社会勉強の一環で」


 わたしは中庭から喰い気味に手を挙げた。


「行きますっ! 行かせてください」




   §



 

 陰陽学の特別講義。

 最終回はやはり、玲明との別れを惜しむ熱気で満ちていた。終わった瞬間の拍手。手紙を渡す行列。

 わたしは雪絵と一緒に、そそくさと教室を後にする。

 そしてあっという間に、陰陽省見学の日がやってきた。

 

「報告書提出がなければ、もう少し気楽でしょうね」

「そんな訳にはいかないでしょ」

「わんっ」


 シキも一緒だ。

 雪絵は洋装。わたしは洋装はやめた。それでも女学校代表なので、手持ちで一番上等な着物を選んだけれど。


 やはり、街中にはずいぶんと異国人が増えた。

 時折、鬼も歩いている。今はこれが日常の光景なのだ。


 やがてわたしたちは目的地の玄関に到着した。

 陰陽省の建物は悠然としている。玄関で待ち構えていたのは、玲明と斯波さんだった。


「やぁ! ようこそ、陰陽省へ!」


 雪絵が表情を綻ばせる。


「ごきげんよう。安倍様、斯波様」


 斯波が雪絵へと近づいた。


「中院さん。どうぞ手を」

「まぁ!」


 斯波さんが、雪絵へ向かって手を差し伸べる。


 しまった!

 時すでに遅し。雪絵は斯波さんの手を取った。

 ごく自然な流れだった。照れや恥じらいはない。


「……」

「……」


 視線を感じて玲明を見ると、玲明は玲明で、わたしへ向かって手を伸ばしていた。

 二度目の人生と同じだ。


「大丈夫です。ひとりで降りられますから……わっ!」


 着物で来たというのに。

 わたしはすそを踏んづけてしまい、人力車から落ちかけ――不覚にも、玲明に受け止められてしまった。


「ほら」

「……すみません」


 玲明はわたしを責めるでもなく、わたしの肩に手を乗せて、そのまま地面に立たせてくれた。

 わたしは玲明を見上げた。


「……ん? どうしたんだい?」

「わんっ」


 主に会えてうれしいのだろうか。足元でシキが跳ねまわる。


 次の瞬間。

 野太いのに、どこか情けない悲鳴が聞こえてきた。


「わぁ~!!! ま、待ってください~!!!」

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