三度目の人生

第十六話 戻ったからには

   §




「……え?」


 ――明るい。

 次に目が覚めたとき、わたしは布団のなかに寝かされていた。

 心臓が早鐘を打つ。慌てて体を起こす。その勢いで、布団がばさっと乱暴に折れた。

 見慣れた部屋だった。女学校の寄宿舎。わたしが雪絵と生活していた、二人部屋だ。


 ……訳が分からないなりに思い出す、己の最期の光景。

 二度目の人生で、わたしは鬼の王に殺されたはず。

 鬼の王。幽世かくりよの王。――その正体は、安倍玲明の真の姿だった。


 あのとき、玲明は確かに言っていた。『消えてたまるか』と。

 鬼の王とは玲明の真の姿で。そして、昼の姿である玲明が邪魔で……。


(玲明もまた、鬼の王から狙われていたということ……?)


 ぽと。

 何かが手から布団の上に滑り落ちた。


「かんざし……!?」


 濃いべっ甲のかんざし。そこに、真珠はない。二度目の人生の終わりがけに玲明から託された呪具にそっくりだった。

 いや、確かにこれは玲明から貰ったものだ。

 確かに、わたしへ『逃げろ』と言ったのだ、玲明は。


 一体何が起きているのだろう。どこからが夢で、どこからが現実で。

 不安を押さえつけるように、わたしは両腕で己を抱きしめた。


「咲子さん。体調はどうですか? 入りますよ?」


 廊下から声が響いた。

 扉が引かれる。雪絵の大きな瞳が、わたしを心配するように見つめてきた。


「まだ体調が悪いようでしたら、医務室の先生を呼んできましょうか」

「雪絵……」

「ちょっと! いきなり泣き出してどうしたんですか」

「大丈夫。大丈夫だから」


 鼻水が出そうになって、すする。

 雪絵はまだ怪訝そうにわたしを見た。


「泣きながら笑うなんて全然大丈夫そうに見えないけれど、いいでしょう。明日からは陰陽省の特別講義ですよ。休む訳にはいきません」


 待って、とわたしは雪絵の袖を掴んだ。


「今日って何年の何月何日?」

「……明慈めいじ十五年三月十日ですが」


 雪絵は呆れたような表情になる。やはり熱があるのではと言いたげだ。


(……まさか)


 これが夢でないとするならば。


(時間が、再び巻き戻っている……?)


 かんざしに視線を落とす。

 玲明がわたしに託してくれたこのかんざし。

 鬼の王のつがいであることを隠してくれるだけでなく、どうやら時間を巻き戻してくれるらしい。

 つまり、一度目も二度目も。

 こうしてわたしは玲明に助けられたのだ。


 それなら、三度目こそ。

 わたしが鬼の王から逃げ切れば。

 わたしが立ち向かえばいい。


 雪絵のことも、巻き込まない。

 生き延びてみせる。


 わたしは、ぎゅっとかんざしを握りしめた。




   §




 教壇に立つのは、黄土色の軍服に身を包んだ安倍玲明だ。


「陰陽省から派遣されました安倍玲明といいます。短い時間ではありますが、将来教師となられる皆さんに、正しく我々の仕事を知ってもらえたらと思います。よろしく」


 拍手と共に教室に満ちる、玲明への好意。好奇心。

 女学校に男性が来ることはめったにない。女性では陰陽師となれないから、特例中の特例中で派遣されてきた男性。玲明の容姿も相まって、級友たちの好奇心は見事なまでに玲明に集中している。


(陽の出ている間は、人間の姿……)


 確かにわたしの目の前で、玲明は鬼の王へと変化したのだ。

 何故そんな玲明が陰陽師をしているのか?

 わたしのなかで、新たな疑問が生じている。


「……さん? 石井さん?」

「はい!?」


 がたっと椅子を引いて勢いよく立ち上がる。

 級友たちの視線が玲明ではなくわたしに集まっていた。

 玲明の隣に立つ担任が、わたしを呼んでいたのだ。


「あなたが呆けるなんて珍しい。安倍先生、彼女が級長の石井さんです。書類をまとめたりするのは彼女の役目です」

「い、石井、咲子です。よろしくお願いします……」

「よろしくね、石井さん」


 玲明がわたしへ向かって微笑む。


(ま、まぶしい……!)


 級友たちは淑女でいつづけることを諦めたらしく、きゃーっと悲鳴が上がった。

 わたしはたぶん、苦虫を嚙み潰したような顔になっていたと、思う。

 ちなみに今のわたしは、二度目の人生で玲明からもらったべっ甲のかんざしは髪に挿している。

 これがあれば、わたし石井咲子が鬼の王のつがいだとは気づかれないはず。


「こら、あなたたち。静かにしなさい」


 案の定、担任がわたしたちを諫めてくる。わたしはその騒ぎに紛れるように席に着いた。

 ふぅ、と静かに息を吐く。


「石井さん、いいなぁ。私も級長だったらよかったのに」


 隣の席から声をかけられても苦笑いするしかない。


 わたしは玲明を知っているのに、この玲明は、わたしのことを知らない。

 なんだか違和感がある。

 三度目の人生では玲明とはつかず離れずやっていこうと、わたしは密かに決意するのだった。




   §




 陰陽学の初回講義後。

 わたしは学長室に呼び出された。玲明の向かいに座るよう学長に促され、おとなしく従う。

 つかず離れず、と決意したそばからこれである。


「石井さんは特待生なんだ。勉強ができるんだね」

「まぁ、それなりには」


 どうしてもぎこちなくなってしまう。

 男性に不慣れだから、と勝手に解釈してもらえたらありがたいけれど、どうだろうか。


「講義内容はどうだった?」

「わかりやすかったです」


 一度聞いているから、というのは言わないけれど。

 それがなくても玲明の説明は丁寧で、話し方は聞きやすく、要点を押さえていた。下手な教師よりもうまいくらいだ。


「『陰』と『陽』で成立した世界は、優劣なく、すべてが裏表。循環していく。鬼の住む幽世かくりよが『陰』。人間の住む現世を『陽』と呼ぶ。ですよね?」

「その通り。二つの世界は長い時間をかけてゆっくりと廻っていく。その最後の仕上げが『しょく』だ」


 そういえば、さっきの講義で、玲明はひとつ説明を省いていた。

 ――前回の『蝕』が二十五年前であるということを。


「ひとつ聞いてもいいですか」

「なんだい?」

「安倍先生はどうして陰陽師になったんですか」

「代々続く陰陽師の家系だからだよ」


 玲明がわずかに驚いたのをわたしは見逃さなかった。


(……嘘つき)


 人間じゃないくせに。

 だけど、まだ、の玲明へは何も言うことができないのだった。

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