第六話 式神ともふもふ
§
「ふわぁ……」
中庭には今日もやわらかな空気が満ち満ちている。
わたしはあくびをかみころす。淑女たるもの、教本で顔を隠すのも、忘れない。
「やぁ。今日もちゃんと来たね」
木製の長いすの端に腰かけていたら、空いている側の背もたれに玲明が手を乗せた。
わたしはしぶしぶ顔を上げる。
「約束ですから」
「頑なだなぁ。まぁいいや、前回の続きを話そうか」
玲明がわたしの隣に、前回と同じように離れて座った。
女性用の長いすでは窮屈そうに見えた。この男は、背が高いだけではなくて足も長いのだ。
「人間と鬼の世界は『陽』と『陰』として成立している。それだけでは、世界は不安定だ。そこで次の要素が生まれた。『
「五行のことなら知っています」
「ほぅ」
わたしは始業前に図書室で調べた事柄を諳んじる。
「五行
玲明のわたしを見る表情は、形容するならば狐につままれたようだった。
「いや、突然やる気になって、驚いただけだ」
「不服でしょうか」
「とんでもない。素晴らしい方針転換だ」
玲明が手を叩く。
「世界は巡る。いっときも止まることはない。……だからこそ美しいんだ」
玲明が歌うように言う。
しかし、この男はこんなにも軽い性格をしていたのだろうか?
一度目の人生ではすぐに婚約を結ばれてしまい、その後、顔を合わせる機会がほとんどなかった。
玲明について知らないことが多すぎる?
死を回避することばかり考えていたため、それは、新たな発見でもあった。
「陰陽師はこの理を利用して、協定違反の鬼を討伐するのさ」
玲明が立ち上がって、振り返った。
腰に佩いている刀の鞘に触れる。
「これは安倍家に代々受け継がれている『
「……式神……?」
「たとえば」
玲明は軍服の内懐から一枚の紙を取り出した。
「『×××』」
何かを唱えて、手のひらの上の紙へ息を吹きかける。
しゅぽんっ!
「きゃっ!?」
飛び出したのは――小さくて白い子犬だった。
わたしの膝の上に乗ると、つぶらな瞳で尻尾を振り振り、見上げてくる。
「これは先日この中庭に現れた鬼だ。今は無力化して、見ての通り、ただの犬。君にあげよう」
「は、はぁ?」
わたしは眉をひそめて玲明を見上げた。
雪絵とわたしを襲ってきた鬼が、こんな子犬になっただなんて、信じられない。
「また協定違反の鬼に襲われることがあったとしても、敷地内であれば、これが守ってくれる」
「要りません」
「まぁまぁ、そう言わずに」
式神と目が合う。
「わふっ」
「……分かりました。しかたありませんね、そこまで言うのであれば」
「わんっ」
ふわふわな生き物に、弱くないと言えば嘘になる。
とはいえ学舎へ式神を入れる訳にはいかないので、わたしは、式神を寮へ連れてきた。
「咲子さん」
「なに?」
「その……犬? は、何でしょう?」
「わたしたちの護身のために、安倍先生が押し付けてきたの。学長も了承済」
「わふっわふっ」
護身は事実。
わたしたち、と言ったのは、雪絵だって鬼に襲われたからだ。
「かわいいですね……」
雪絵はすでに式神の虜になっていた。わしゃわしゃと両手でなで回している。
なんとなく、式神ということは雪絵には伏せておきたかった。
「この子の名前は何ですか」
「名前? うーん……」
「ないならわたくしがつけていいでしょうか? そうですね……」
雪絵が流行の名前を並べる。
ポチ、シロ。ジョン。
わたしは式神を見た。式神は舌を出しながらしっぽを振っている。
「……シキ、じゃないかな」
「わんっ」
式神の式。実に安易だけど、どうやらお気に召したらしい。
「この子の反応的に、シキ、みたいですわね」
シキと名付けられた式神は部屋の中を走り回りはじめた。
ふぅ、とわたしは息を吐き出す。
一度目の人生とは確実に変わりはじめている。
(これなら、……これなら、無事に卒業できそう)
§
麦飯と魚の干物。それからぬか漬けと、味噌汁。
食堂で出される定食の献立は大体決まっている。
「いただきます」
「ねぇねぇ」
あまり話したことのない級友が、わたしの前に座った。
「安倍先生とどうやって仲良くなったのか教えてほしいんだけどっ」
「……?」
わたしは思い切り首をかしげた。それはもう、わざとらしいくらいに。
「仲良くなってなんか、ないけれど」
「中庭でむつまじそうにしていたじゃない」
「あれは、ただの、補講」
「へぇ。特別扱いってこと? 特待生っていいわね」
ちくり、とどこかにとげが刺さる。
どうしたものかと思ったとき。
「それだけ日頃努力を積み重ねているということですわ。咲子さんは消灯後だって勉強しているんですのよ」
「雪絵」
割り込んできたのは雪絵だった。
「……あら、中院さん。ごきげんよう」
気まずそうに、級友は食事ごと立ち去った。
「ありがとう」
「事実を述べたまでです」
雪絵の実家は士族であり、この女学校にも多額の資金を投じている。
あまり睨まれるようなことをしてはいけないというのが暗黙の了解になっているらしい。
とはいえわたしも最初はそんな噂はまったく知らず、あまりにも普通に接していた。接しすぎて今回みたいな忠告もどきを受けたこともある。
それが雪絵にとってかえってよかったらしい。
空いた席に、雪絵が腰かける。
「もうすぐ特別講義が終了するから、皆、焦っているんですわ。この機会にあわよくば陰陽師との縁をつないでしまおうとしているんです」
「……婚約、即、退学だっていうのに?」
「皆、そこまで師範を目指している訳ではないのでしょうね」
「……ふぅん」
なんだか、味がしない。せっかくの肉厚の干物なのに。
「雪絵は? 雪絵は、どうなの。斯波さんのことをいたく気に入っていたみたいだけど」
「斯波様を気に入ってはいますけれど、わたくしの希望で決まるものではないですから。結婚というものは」
雪絵の言う通りだ。
一度目の人生でも、わたしの結婚は親によって決められた。
あれだけ教師になりたいと訴えてきたわたしの意志を。
応援してくれていたのに、あっさりと裏切った。
そういうものだと分かっていても、許せなかった……。
「さぁさぁ、早く食べてしまいましょう」
「そうね」
わたしは、無理やり飲み込んだ。飲み込むしかなかった。
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