幼馴染がアイドルになった
宴
1話
幼馴染がアイドルになった。
「家族の」とか「学校の」とか、そういうものではない正真正銘のアイドルに。
「ふふっ。なったんだよね。アイドルに」 と、朝のホームルームの時間に彼女はスマホで自身の宣材写真を見せながら告げてきた。
意味が分からなかった。
確かに彼女は、昔からスカウトに呼び止められることが多かった。
渋谷や新宿を一緒に歩いていると、数回に一度は「モデルにならない?」とか「アイドルに興味ない?」とか声をかけられる。
その
そんな彼女が突然、アイドルに。
「どういうこと?何か弱みでも握られたの?」
そう尋ねると、彼女は目を細め、首を横に振った。
それなら、どうして。
そう問いかけようとした瞬間、タイミング悪くチャイムが鳴った。
一時間目は移動教室。急がなければ遅刻する。
彼女が何か言いかけていた気もするが、その続きを聞くことはできなかった。
当時の私は——と言っても記憶になく、母から聞かされた話だが——気が強く、よく他の子を泣かせていたらしい。
おもちゃの取り合いや口論、喧嘩は日常茶飯事。
しかも全戦全勝。
当然他の子は私を怖がり、次第に私はひとりになっていった。
そんな時、私が目をつけたのが橙花だったようだ。
橙花もいつも一人でいたらしい。
私とは違い、当時彼女はおとなしい性格だったが、どうもコミュニケーションに難があった。
天然、というか。
会話が成立しているのかどうかすら怪しい、周囲の評判はだいたいそんな感じであったという話だ。
当時の私がどうして彼女を気に入ったのか、その経緯は覚えてない。
おおかた、私を怖がらなかったのが彼女だけだったという、しょうもない理由だろう。
兎角、その頃から既に私と橙花はよく一緒にいるようになっていったらしい。
小学生の頃、彼女はトイストーリーにひどくはまった。
橙花の家に遊びに行く度、必ずと言っていいほどトイストーリーの鑑賞会が行われるようになったのを覚えている。
何度も見せられてうんざりだったが、食い入るように画面を見つめる橙花を眺めるのは嫌いではなかった。
特に彼女は、「You've got a friend in me」、字幕では「俺がついてるぜ」。
このフレーズがことさらお気に入りで、何かある度に口にするようになった。
中学生の頃、彼女は突然「富士に登ります」と言った。
彼女の奇行は年を重ねるにつれ収まっていくものであると期待されていたが、実際は真逆であった。
体が大きく、知識をつけていくにつれてやれることが多くなっていき、結果おとなしい性格から奔放に、そしておかしな行動のバリエーションも富んでいくという次第であった。
しかし一応、この宣言には心当たりはあった。
というのも、彼女はこの時期から、自身の容姿に振り回され始めているように見えたからである。
大きな目、高い鼻、ウルフカットの髪。
可愛い、というよりも美しいと称されるような容姿。
見た目とは対照的な奇行の数々も、それが逆にウケたのか、彼女は割とモテ始めた。
学校では, 週に一度は告白され, その度に首を傾げて、きょとんとした顔で断る。それがもうお決まりの流れになっていた。
断られた男子は肩を落とし、大抵はすごすご去っていく。しかし中には逆恨みをし 「どうせ顔がいいからって調子に乗ってるんだろう」とか「あんな変なやつのくせに」など、 しょうもない悪口を広めるやつもいた。
女子は女子で、目立つ顔が気に入らないだの、何考えてるかわかんないのがムカつくだの、そういうどうでもいい理由で陰でこそこそ文句言ってたりする。
「すごい漫画みたいだ」
と橙花は漏らしていた。
「有名な漫画とか、こういうシーンあるのかな。『ガラスの仮面』とか」
なんて呑気なことも言っていた。
それが現状から目を逸らすための冗談なのか、それとも本当に何も考えず、ただとぼけていただけなのか。
どちらもあり得るが、恐らく前者だろうと私は思っている。
そうでもなければ「富士に登ろう」なんて、手間のかかりそうなことは言い出さないはずだ。
橙花は、何かから逃げたかったのかもしれない。
夏休み前、彼女は計画を実行に移す準備を始めた。
登山装備一式、日程、何合目まで行くか、そういった具体的な計画を、私に立てさせた。
嘘だろお前。
私がやるのか?
っていうか私も登るのか?
湧き出る疑問に対して、橙花は
「You’ve got a friend in me、俺がついてるぜ」
と返してきた。
橙花の幼少からの会話が成り立たなさや奇行には慣れていたが、それに巻き込まれることにはいつまでたっても慣れなかった。
ぶっ飛ばしてやろうかと思った。
結局、計画は全部私が立てた。
早朝から高尾、大月を経由して、二時間かけて富士山の麓へ向かった。
快晴だった。
目の前にそびえる富士山を見て、思ってたよりデカいなという、どうでもいい感想が最初に出た。
橙花は何を考えているのだろうかと目を向けると、彼女は目に何か得体の知れない光を宿していた。
「帰ろうか」
唐突に、橙花はそう言った。
最初、私は怖気づいたのかと思った。
正直私も、想像よりはるかに大きな富士山を前にして、これは無理があるんじゃないかと考え直していたところだった。
無論、登頂が目的ではない。
五合目くらいまで登るだけ。
さらに言えば、計画したのは私だ。
ここで帰るのはもったいない。せめて観光してから帰ろうよ、と声をかけようとした。
でも、無理だった。
何か、違う。
橙花が橙花ではないような気がした。
声をかけても、返事が
怖くなった。
このままここにいたら、彼女がまったく別のものになってしまうんじゃないか。
彼女はそれを悟り、「帰ろう」と言ったのではないか。
そんな気がした。
私は橙花の手を掴んで、急いで改札へ引き返した。
帰りの電車の中、橙花は「大きかったね」と呟いた。
「なんかもう……どうでもよくなったな……」
間に合ったのだろうかと、急に不安になった。彼女が何か、大きなものに呑まれる前に、連れ戻せたのだろうか。もう既に、橙花は橙花ではない存在に成り代わってしまったのではないかと。
彼女が口を開いた。
「あれがおっぱいだったら、地球はびっくり巨乳だ」
私は、彼女の鼻に思いっきり指を突っ込んだ。
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