伯爵令嬢、開店準備に苦戦する

「……甘く見てたわ」


 私は木のテーブルに突っ伏して、心からのため息をついた。


 カフェを開くと決意してから数週間。

 パン屋で働きながら少しずつ資金を貯め、ようやく手頃な物件を見つけた。

 町の外れにある、小さな石造りの店舗。以前は雑貨屋だったらしいが、今は空き店舗になっている。


「いい場所じゃないの!」


 物件を見に来た時、ミリアムさんは興奮気味にそう言った。


「市場からも近いし、通りの人通りも悪くない。カフェを開くには十分よ!」


「ええ……私も気に入りました」


 家賃は少し高いが、働きながらならなんとか払える範囲だ。

 意気揚々と契約を交わし、いざ開店準備──と意気込んだのだが。


「何から手をつけていいのかわからない……」


 まず、店内には必要なものが何もなかった。

 テーブルや椅子、食器、カウンターの備品、調理器具……挙げればきりがない。

 カフェの看板も必要だし、仕入れ先も決めなくてはならない。


「まあ、開店準備ってのは大変なものよ」


 ミリアムさんが隣で苦笑した。


「そもそもエリー、予算はどのくらい見積もってるの?」


「えっと……」


 私は手元の帳簿を広げた。

 貯めてきた資金と、パン屋の手伝いをしながら少しずつ貯蓄を増やしてきたが──


「うっ……」


 改めて計算してみると、予想以上に資金が少ない。


「全部新品で揃えたら、これじゃ全然足りないわね」


 ミリアムさんが帳簿を覗き込み、ため息をついた。


「え、新品で買うのが普通じゃないんですか?」


「エリー、ちょっとお金の感覚が貴族すぎるわよ!」


 ミリアムさんは呆れたように言った。


「家具も調理器具も、中古で十分よ! ちゃんと探せば掘り出し物が見つかるんだから」


「中古……?」


 正直、私は『中古品を買う』という発想がなかった。

 貴族の生活では、家具も衣服もすべて新品が当たり前。

 誰かが使ったものを譲り受ける、という考え自体がなかったのだ。


「とりあえず、市場に行ってみましょう。うちの店で使ってた古いテーブルも譲れるかもしれないし」


「え!? そんなことまで……!」


「いいのよ、どうせ倉庫で眠ってるやつだから!」


 ミリアムさんは私の肩を叩くと、「さあ行くわよ!」と元気よく市場へ向かった。





 市場には、私がこれまで知らなかった世界が広がっていた。


「お嬢、ほら、こっちだ」


 待ち合わせ場所に現れたオスカーさんは、木製の荷車を引いていた。

 そこには古いがしっかりした作りのテーブルや椅子が積まれている。


「これは……?」


「昔、うちの店で使ってたやつだ。お前のカフェに合うかどうかは知らんが、使えそうなら持っていけ」


「そんな、大丈夫ですか?」


「うちは新しいのに買い替えたからな。処分するのも手間だったんだ」


 オスカーさんは素っ気なく言うが、わざわざ荷車で運んできてくれた時点で、彼なりの気遣いなのだろう。


「……ありがとうございます!」


 私は深く頭を下げた。


「気に入ったら、今度うちの店でお前の作った紅茶でも飲ませてくれ」


 オスカーさんはそう言って、荷車を市場の片隅に止めた。


「さて、それじゃあ調理器具も探しましょ!」


 ミリアムさんに連れられて向かったのは、市場の奥にある古道具屋だった。


「いらっしゃい! 今日は何を探してるんだ?」


 店主の中年男性が愛想よく声をかけてくる。


「エリーがカフェを開くのよ。だから、調理器具を一式揃えたいの!」


「へぇ、それはめでたいな! なら、こっちの棚を見てみな」


 棚には、大小さまざまな鍋やフライパン、ティーポットやカップが並んでいた。


「このティーポット、素敵ですね」


 私が目を留めたのは、白地に金の装飾が施された品だった。


「それは王都の貴族が使ってたものらしいぜ。でも少し欠けてるから安くしてやるよ」


「……いいんですか?」


「気に入ったなら持っていきな。新品を買うよりずっと安く済むぜ」


 私はそっとポットを手に取った。

 たしかに新品ではない。

 でも、貴族の館で使われていたものが、今こうして市場に流れ、私の店で再び使われる──

 そう考えると、なんだか新しい物語が始まるような気がした。


「……はい、これをください!」


 私は小さく頷き、ポーチから金貨を取り出した。




 こうして、私は市場を巡りながら、必要なものを少しずつ集めていった。


 店の内装を整え、オスカーさんから譲られたテーブルを配置し、古道具屋で見つけたティーポットをカウンターに置く。

 ミリアムさんと一緒に壁に布を飾り、小さな観葉植物を置くと、それだけで雰囲気が柔らかくなった。


「ねえエリー、いい感じじゃない?」


 ミリアムさんが嬉しそうに言う。


「はい……本当に、自分の店ができるんですね」


 私はしみじみと答えた。


 貴族の娘だった頃は、こんなことは考えたこともなかった。

 誰かに決められた未来ではなく、自分で道を切り拓く──

 それが、こんなにも大変で、でも楽しいことなのだと実感する。


「まだまだやることはあるわよ! 次はメニューを決めなきゃ!」


「……そうですね!」


 私は大きく息を吸い込み、再び気を引き締めた。


 カフェ開業まで、あと少し──

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