アラフォーヲタクのイヴェンター活動(壱):やっと出会った歌姫さま

隠井 迅

第01イヴェ ヨッポー、やっと歌姫様を見つけてしまう

 二〇二五年三月一日——

 この日、南森義武(なんもり・よしたけ)ことヲタク・ネーム〈ヨッポー〉は〈最おし〉の再帰ライヴに参加した。

 二年前、二〇二三年に、ヨッポーの〈おし〉は、それまで所属していた事務所とレコード会社を辞め、約一年の活動休止状態に入った。その後、フリーとして活動再開はしたものの、復帰後一年近くもの間、その活動はオンラインのみであった。だが、ようやく満を辞して、ヲタクの前にリアルに姿を現したのが今回の再帰ライヴで、そうしたリアル・イヴェントは実に約二年半ぶりだったのである。


 ヨッポーは、ライヴの打ち上げ帰りの埼京線の中で、この日の余韻にどっぷりと浸かりながら、自分の最おしたるアニソン・シンガー〈翼葵(つばさ・あおい)〉との出会いの切っ掛けを思い出していた。


          *


 二〇十九年八月二十五日・日曜日――

 この日は、南森義武の三十八回目の誕生日であった。

 しかし、誕生日の前日の二十四日の朝、突如、同僚が急用で土曜勤務できなくなってしまい、義武が、急遽、休日出勤することになった。


「南森くん、頼むよ。人がいなくて困っているんだ。君、どうせ、週末、暇だろ?」

 上司からの失礼極まりない、ハラスメント紛いの発言でもって、義武は土曜出勤を命じられてしまったのだ。

 家庭を持っていない上に、無趣味な義武は、実際、飼っている熱帯魚の水槽掃除くらいしか休日にやることがないのは事実で、内心渋々ではあったが、休日出勤することを承諾したのであった。

 この日は、人手不足な上に、常の土曜日以上に仕事量が多かったので、残業せざるを得ず、精魂尽き果てた義武が、さいたま市の自宅に戻った時には、時刻は一時をとうに過ぎていたのだった。


「ハッピー・バースデー、俺」

 義武は、応じてくれる者なき部屋の中で独り呟いた。

 仕事着を脱ぎ捨て、帰宅時に郵便受けから引っこ抜いた新聞を、義武は、TVの前に放り投げた。それから、下着姿でベッドの上にうつ伏せ状態で倒れ込むと、スマホでメールをチェックした。だが、誕生日を祝ってくれるようなメッセージは一つとして届いていない。

 誰からも祝ってもらえなくても、当然か……。

 小中高の地元の友人には同窓会でしか会っていないし、大学時代の仲間とも、社会人になってからはすっかり疎遠だ。また、今、恋人はいない。というか、これまで彼女がいたことすらない。

 SNSを眺めながら、自分のアイコンをタッチし、プロフィール欄に移行すると、画面の下から、ドロップのような色とりどりの風船が上がってきて、義武の誕生日を祝ってくれた。だが、こうした誕生日用の機械的演出は、かえって、義武の虚しさを強める効果しかなかった。


 朝、慌てて家を出た際に点けっぱなしにしていたテレビの画面に、義武は目を向けた。

 チャンネルは、埼玉のUHF局に合わさっており、コマーシャル明けに、突然、アニメが始まった。

「っん~だよ、俺、アニメ嫌いなんだよな。所詮、絵の作り話じゃん。なんで、女の子たちがロボに乗って戦ってんの? 意味不明過ぎだろっ! これが〈もえ〉ってやつ? キモっ! しかも、目がデカすぎ、不自然だろっ!」

 義武のメンタル・レヴェルは低空を飛行し続けており、それゆえに、視界に入ってくるもの全てが気に入らず、毒を吐きながら、義武は、チャンネルを変えようとしたのだが、リモコンが見当たらない。

 一分半ほど探し続けた後、脱ぎ捨てた衣類の下に埋もれていた操作機をようやく発掘した。そして、ちょうどその時、流れていた番組の冒頭の短い話が終わって、そのアニメのオープニング・ソングがテレビから流れてきたのだった。


 ピアノの調べから始まる前奏の後に流れてきた高音の女性の歌声が義武の耳に届いた、まさにその瞬間、全身を電流が貫いたようになり、義武は、リモコンを握りしめたまま硬直してしまった。そのスタン状態の間、歌声が身体の内側で反響したようになって、彼女の歌唱が、脳内で再生され続けている。

 意識が明瞭になった時には、時計は二時半近くを指していた。この間のアニメ本編のストーリーを、実は義武は一切覚えてはいない。

 ただただ、もう一度、アニメの冒頭で耳にした歌を聴きたくて、聴きたくて、聴きたくて、どうしようもなくなっていた。

「どうすれば、もう一回聴けるんだ。来週の放映まで一週間も待ってらんないぞ、でも、肝心の曲名も歌手の名前も知らんしな」

 部屋で独り言ちた後で、義武は、ハっと思い付いた。

 テレビの前に放り投げていた新聞のTV欄に目を走らせた義武は、土曜の深夜二時頃から放映されていたアニメの番組名を確認した。

 そのタイトルをメモするや否や、義武は、近所のビデオ・レンタルショップに向かって、全速力で自転車を走らせたのであった。


 レンタルショップから戻るや否や、義武は、大急ぎで部屋に駆け込むと、最近全く利用していなかったDVDデッキにディスクを挿入した。

 再生までの永遠にも思えた数秒後、ようやく作品が始まった。

 始まったのだが――

 曲が全く違うのだ。

 デッキのトレイを開けて、作品名を確認してみたのだが、タイトルに間違いはない。だが聴いたオープニングと歌が全く違っている。

 どういうことだ?

 必死でネットで情報を集めた結果、わかったことは――

 今、テレビで放映されているのは、その作品の第二クールで、現在、DVD化されているのは、最初のクールだけで、最初と二番目のクールでは、オープニング曲を担当する歌手が違っている、との事である。

「そんなアニメ業界の事情なんか知らんわ。俺、オタクじゃないし。こりゃ、DVDの借り損だわ。結局、曲は来週の土曜までお預けかよ。ん? ちょ、ちょっと待てよ」

 義武は、ブラウザの検索窓にアニメのタイトルを入れてから、さらに「オープニング」と打ち込んでみた。

 すると、先ほど自分に衝撃を与えた、曲とその歌手名がヒットしたのだ。


 彼女の名は〈翼葵〉といい、ファンの間では〈エール〉と呼ばれているらしい。

「でも、なんで〈エール〉なんだ?」

 義武は、「翼葵」「エール」と検索窓に打ち込んでみた。


 数年前に、翼葵がフランスで催された日本文化のフェスティバルに招待された際に、地元フランスのファンから「エール」と呼ばれたことが名の由来らしい。

「たしか、〈翼〉はフランス語で〈aile(エール)〉だったよな」

 以来、この音の響きが気に入った日本のファンの中にも、翼葵を〈エール〉と呼ぶ者が現れ始め、この呼び名が徐々に拡散・浸透し、今に至っているそうだ。


 ネットサーフィンの結果、義武は、〈翼葵〉の公式ページに辿り着き、その中の「ニュース」という項目をクリックしてみた。

「な、なにぃぃぃ〜〜〜、なんですとぉぉぉ~~~」

 タイミングが良いことに、次の二十八日の水曜日に、先程アニメのオープニングで流れた曲が発売され、さらに、その発売を記念したイヴェントが池袋で開催され、しかも、そのミニ・ライヴは観覧自由らしいのだ。

「でも、ちょっと待てよ。〈イヴェント〉っていったい何だ? ミニ・ライヴってことは、生であの曲が無料で聴けるってことなのか?」

 池袋なら埼玉の一部だ。

 折よく、次の水曜は、今回の土曜出勤の振替で休みになっている。


 一通りの情報を確認した時には既に、義武は、あの歌をもう一度聴ける、そんな期待感で心が一杯になり、水曜までの三日間を、地に足がつかないような、ふわふわした気持ちのまま過ごしたのであった。

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