第一話 特攻哲学者と喪中アルバイト ①

 知見寺ちけんじ 紺洋こんよう氏が亡くなったのは四月十三日のことだった。九十二歳だった。


 その五日後、私は知見寺家の門を叩いた。弔問のオプションが付いていたのだ。初七日は出なくていいとのことだったから、その前日の今日を選んで足を運んだ。


 知見寺家の門構えは、どこの寺かと思うほど大仰で大きかった。木造の平屋は驚くほど広く、廊下は深い色の板張りで、歩くと美しい音がした。本物の旧家というのはこういうことか、とまじまじ実感した。


 仏間に通される。私は親族の皆さまに香典を渡して挨拶すると、仏壇の前に座った。隣の後飾りを見やる。紫の骨箱と、穏やかな写真を見つめた。姿勢を正す。


 紺洋さんの宗派は本願寺派だ。私は数珠を手に合掌した。香炉に合わせて線香を折ると、二本まとめて火を付ける。手で扇ぎ消し、寝線香にした。火は左。おりんは鳴らさない。


 目を閉じて、手を合わせる。心の中で、紺洋さんに呼びかけた。雨宮です、約束通り参りました、と。


 そっと目を開ける。遺影に向かって頭を下げる。そうして、私は座布団を後にした。最後に、親族の皆さんにも一礼する。


 目を丸くした親族のひとりが口を開く。


「あなた、まだとても若いのに……本当に綺麗にお線香をあげるのね。雨宮さん、でしたかしら。紺洋さんとは、どういうお付き合いで?」

「緩和ケア病棟でボランティアをしていました。紺洋さんには、そこで大変良くしていただいて……」

「ボランティア。まだ学生さんでしょう」

「はい。今月、高校生になりました」

「まあ」


 いちおう、嘘はついていない。年齢も、病棟のボランティアも、そこで彼と知り合ったことも、なにもかも本当だ。それ以上の〝アルバイト〟については、話す必要はない。


 あとはいくつか思い出話をして、負担にならないうちに帰ろう。私は勧められた座布団をありがたく受けると、生前の紺洋さんについて話しかける親族の方たちに応えた。


 いわく、この上ない人格者だった。穏やかで聡明な紳士だった。素晴らしい、立派な方だった。知見寺家の歴史に残る人物だった。なにもかもその通りだ。


 私は彼らの言葉にうなずくと、かつて紺洋さんと交わしたやり取りや、彼の思慮深い笑顔について語り合った。涙する人もいた。私も少しだけ泣いた。


 あまり長居するとご遺族の負担になる。ひとしきり話をして、そろそろ帰ろう、と思ったときだ。


 数珠と袱紗をしまうため鞄を開けた私の傍で、はっと息を飲む音がした。顔を上げる。そこには、こぼれそうに目を丸くした初老の男性がいた。


「きみ、それは……」

「え?」


 男性の視線を追いかける。鞄の中には、淡紫のお守りが入っていた。ああ、と取り出して顔を上げる。


「これですか。生前に、紺洋さんからいただいたんです」

「っ……!」


 その瞬間。辺りの空気が一気に変わった。え、と見回す。親族の皆さんの顔色が、ざあっと豹変するのが見えた。すべての視線が、私の手元に集まっている。


 なに、と思うより先に、親族のひとりが動いた。転げるように歩み出て、がばっ、と頭を下げる。ほとんど土下座の勢いだった。


「え、ちょっ……なにを」

「頼む! 蘭さんを説得するのを手伝ってくれ!」

「ら──蘭、さん?」


 ほとんど、畳に額をこすりつける勢いだ。途方に暮れて見回すと、他の親族たちも土下座こそしないものの、同じく縋るような目で私を見つめていた。戸惑う。

 まだ頭を下げたまま、親族の男性が言った。


「紺洋さんの孫娘だ。葬儀からずっと地下にこもったまま、もう何日も出てこない」

「……お孫さん」


 ぽつり、と呟いた。かつて病院の中庭で聞いた、紺洋さんの声がよみがえった。ひとり孫がいるとは聞いている。お孫さんについて話すときの彼の目は、やさしくてきれいだった。


 黙ったまま胸を押さえる私に、親族の方たちが口々に言う。


「そのお守りを持っているってことは、君は紺洋さんの信頼を得たんだろう。だったら間違いない、頼むよ」

「外に出ないどころか、喪主なのに初七日もしない、跡も継がないなんて、とんでもないわ」

「彼女が跡を継がなければ、知見寺家はどうなることか」

「もう藁にも縋りたいんです、お願いします」

「あ、あの……えっと……私」


 どうしよう。こんな大勢の大人が、必死で頭を下げてくる光景なんて、生まれてこのかた見たことがない。どうすればいいかわからない。


 逃げるように視線をさまよわせた。ふと、紺洋さんの遺影が目に留まった。黒い額縁に縁取られた笑顔と目が合う。穏やかでやさしい、深慮に満ちたあの表情。


 ──少しお転婆だけど、優しい子だよ。

 ──良かったら、話をしてやってくれないか。


(……紺洋さん)

 たのむ、お願いだ、と声がする。途方に暮れて見下ろした先、白髪交じりのつむじが見える。


 私は呆然と、握りっぱなしだったお守りを見下ろした。淡紫のきれいな袋。


 このお守りを見て、みんなの態度が変わった。あの紺洋さんが、私を信頼したのだという。それこそ、大の大人が何人も、身も世もなく私に頭を下げるくらいには。


 信じられない気持ちだった。でも、彼らはそれを信じている。私がなにを言っても、聞いてはくれないだろう。


 ぎゅっ、とお守りを握った。どうしよう。みんな困ってる。私が動けば、この人たちは助かるのだろうか。紺洋さんの信頼に応えられるのだろうか。蘭という人を連れ出して、跡継ぎをお願いできれば。


「……っ」


 ふーっ、とため息をついた。あの、と小さくつぶやく。親族の男性が、ますます頭を畳に擦り付けた。


「その……頭を上げてください」

「だが」

「……やります。やりますから」


 だから土下座はやめてください、困ります、と告げる。その瞬間。


「ッ、本当か……!」


 ばっ、と土下座の男性が顔を上げ、どっ、と室内の空気が緩んだ。本当に、と何度も問いかけられる。こくこくと頷いた。


「よ……よかった……! 君ならきっと安心だ。さっそく頼むよ」

「はあ……」

「彼女は蔵にいる。案内させよう」


 あれよあれよと話は進む。そうして私は、ほっとした顔の親族たちに見送られ、奥の蔵に案内されたのだった。

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