その19

 部室の前には数人の三年生が倒れていた。恐助の入室許可が出るのを待っているところに校内放送で流れた霊素ウイルスに感染したのだろう。

 ということは中にいる恐助も――。

 鵬市が部室へと飛び込む。

「オマエがやったらしいな。あ?」

 しかし、そこで見たのは野球帽を目深にかぶったマネージャーらしい女子生徒をかたわらに侍らせて、何事もなく半裸でソファーに寝そべる恐助の姿だった。

 霊素ウイルスに感染しなかったのか?――鵬市が目を向けた教室に備え付けられているスピーカーはバットで滅多打ちにされたように破壊されていた。考えてみれば部室を治外法権とするために教室からも職員室からも離れた図書室を強奪したのだ。校内放送を聞くつもりなどあろうはずもない。スピーカーはここが部室になった日に壊されていたのだ。

 今思えば階段を下りてきた狂美は恐助ではなく、部室の前で倒れている三年生たちの姿に異常を悟って逃げてきたのだろう。

「どうやったか知らねえが、部室の前で倒れてるのがオマエの仕業だってことはわかってんだよ、転校生」

 起き上がって、鵬市に丸めた紙を投げつける。

「書いてあるだろ」

 拾い上げて開いてみる。

『転校生が野球部にケンカを売ってる、怪しい方法で。なぞの情報通より』

 鵬市は混乱する。

 “なぞの情報通”って誰だ? そもそもウイルスを撒いたのは自分じゃないし。犯人は鈴佳なのに。

 そこで気付く。これを書いたのは鈴佳?

 恐助が殺気を漲らせながらかたわらの女生徒が差し出すタバコをくわえる。女生徒が火をつける。吸った煙を吐き出しながらバットを手に立ち上がる。

「ということで、どこまでも舐めた真似してるオマエを殺す」

 一瞬ひるんだ鵬市だが、すぐに自身を奮い立たせて怨霊を見上げる。

 *言弾のバージョンアップは完了している。ここまで来たらやるしかないぞ、鵬市*

 鵬市が頷く。

 しかし、先に口を開いたのは恐助。

 =オマエがやってるのは野球が巧い俺たちにへたくそがひがんでるだけだ=

 なんのことはない一言だった。だから油断していた。怨霊も鵬市も。

 しかし、その“なんのことはない一言”が鵬市の自我をえぐった。

「???」

 一瞬、なにが起きたのかわからず戸惑う鵬市の頭上で怨霊が気付く。

 *これは……言弾?*

「なんで? どうして?」

 混乱する鵬市の目線の先で女生徒が帽子を脱ぎ捨てる。

 鈴佳だった。

 *タバコだ*

 鵬市は怨霊の声に目を凝らす。鈴佳が渡して火をつけたタバコの箱に呪符が巻かれていた。

「あれで言弾を……」

 絞り出すようにうめく鵬市に鈴佳が笑う。

「絶対来ると思ってたよっ。だから、この呪符持ってこっちへ先回りしてたんだいっ。マネージャー志望者のふりしてねっ。あと、もうひとつ面白いものも……」

 *鵬市、負けるな。撃ち返せ*

 しかし、恐助の言弾が早かった。

 =オマエが俺に勝つことはない。オマエの感情も言葉もすべてが俺に対する劣等感だからだ=

「劣等感?」

 =そうだ。へたくそのオマエが俺にひがんでいるだけだ。俺が小学生の頃からやってきたことすらできないオマエが俺に勝てるわけはない。えらそうなことを言ってもそれはすべてオマエが俺に対して抱く劣等感からの言葉でしかねえからな=

 その言葉が鵬市の自我を直撃してえぐる。

 幼い頃に祖父母によって“人の話を聞けいっ”と怒鳴り散らされた鵬市には自我を守るバカの壁が存在しなかったし、存在したとしてもそれは薄く脆弱なものだった。

 “バカの壁”とは向けられた言葉を聞かない、理解しようとしない自我の防衛機能である。祖父母から支配されることを強要されて育った鵬市にはそんなものは存在しなかったのだ。

 そんな自我がむき出しの鵬市だったが恐助の言弾が致命傷にならなかったのは鈴佳の呪符が急ごしらえのものだったからだろう。

 鵬市が言弾を撃つ。強化されたことで荒々しさを増した言弾を。

 +オマエなんかに劣等感を抱くわけないだろ。オマエが言ってるのは、僕に劣等感を抱いててほしいというオマエの願望だ、あるいは劣等感を抱いているべきという思い上がりだ。自分が優位に立ちたければ自身の優れている点をアピールするのが当たり前なのに、オマエはそれができない。高校生なのにアルファベットも満足に書けないレベルの学力しか持たず、一方で唯一のとりえだと思ってる野球だって一度も公式戦で勝ったことがない。だからオマエにできるのは僕が劣等感を抱いていることにして自分を慰めることだけしかない。なにひとつ人より優れたところはないことを自覚しながら現実逃避してるだけだ+

 撃ち出された言弾は恐助を直撃し、バカの壁に守られた自我に衝撃を与える。

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