研究室の紳士
案内されたのは、教員たちに割り当てられた学内の研究部棟の一角にある研究室だった。
襟塚先生に続いて研究室へ足を踏み入れると、そこは一見、森のような空間が広がっていた。入口は何の変哲もない事務室のようなアルミ扉だったはずなのだが、内部は蔦が生い茂り、古びた書棚を侵食している。そこここの床に積まれた本の山も苔むして、表紙の文字は判読できない。およそ研究室という言葉が似つかわしくない空間だ。窓から差す木漏れ日に、妖精の一人や二人が現れてもおかしくない幻想的な雰囲気を感じていると、名も無き虫が仄かに光を放ってそばを飛んでいった。
「凄いですね、まるで庭園みたい。どうなってるんですか、この部屋」
「一応僕の専門は西洋文化学、ということになっている。研究に必要だとはいえ、内装はほとんど趣味のようなものだよ。僕が田舎の生まれでね。自然に囲まれていると落ち着くんだ」
先生はそう言うが、いくら何でも自然に囲まれすぎだ。これが彼の蒐集部屋、ということなのだろうか。
ジャケットを脱いでベスト姿になった彼は、興味津々で棚を覗く私に笑みかけた。
「誰かが足を踏み入れるのは本当に久しぶりのことなんだ。良かったら寛いでいくと良いよ」
お茶を入れて来よう、と先生が奥へ消えると、私は仕事も忘れて整然と棚に並んだ瓶を眺めた。
「わあ、きれい……」
人の頭ほどもある大瓶には、きらきらと陽光を返す鉱石や星屑のように瞬く鱗粉、極彩色の羽束などあらゆる珍品が詰め込まれている。どれもミットフォード卿の蒐集部屋にはないもので、物珍しくなって見惚れてしまう。
しばらくそうしていると、研究室の奥から妙な音がした。
何だろう。こんな森みたいな空間には似つかわしくない、ガシャンガシャンと鳴る騒々しい金属音は。
音の主を探そうと書棚の陰に首を伸ばし、私はぎょっとした。
「先生、あの、その格好は……」
「ん? お客様が来た時の正装だよ」
先程までいたはずの柔和な紳士は――銀色の甲冑の騎士へと変貌を遂げていた。
笑った方が良いのだろうか。しかし先生はにこりとも笑みを零さず、「西洋文化学、形から入りすぎでは」と突っ込むことすら許されない雰囲気だった。
彼は手にしていた何かを振るい――それが何かを瞬時に悟った私は、咄嗟に身を伏せた。
「ひっっ!!」
確かめる間もなく、先程まで私の頭があった辺りの書棚が弾け飛んだ。千切れた蔦の葉と古文書のページの欠片が降ってきて、遅れて心臓がどくどくと鳴る。何だ、今私、襲われたのか?
「おや、避けられるんだ。凄いね」
感心したように呟く先生の手元には、白くごつごつとした長い鞭がとぐろを巻いていた。人間の背骨を引き摺り出して継いだようにも見えるそれを、私に向かって振るったらしい。
兜の目元を覆う
「ここにあるものは皆、僕が世界各国から集めた蒐集品の数々だ。そのどれも、一般人にはただのガラクタにしか見えないはずなんだ。君、僕の蒐集物が視えているんだろう? 僕のものを狙う輩はここで消しておかなくちゃね」
油断していた。あまりにも普通に接していたから、彼が妖精を匿う者だということを忘れていた。やはり普通じゃない。
瞬く間に銀色の騎士の足元から影が染み出したかと思うと、やがてそれは明確な形をとり、一頭の漆黒の馬となった。彼がそれにひらりと跨ると、鎧の首ごとぼろりと落ちて頭部が宙に浮く。
「
「日本でもその名で呼んでくれる人間がいるなんてね。光栄だよ」
まさか人の振りをした妖精が研究室に潜んでいるとは思わなかった。
どう太刀打ちしよう、いや一旦逃げた方が得策か。それともミットフォード卿に助けを……。頬を冷や汗が伝うのを感じていると――突然、私の鞄が白い煙を上げて何かが飛び出した。
「アラアラ勇マシイ騎士デスコト」
煙の中から現れたのは、先日蒐集部屋に持ち帰ったばかりの人形――絶対婚姻雛飾りだった。
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