第9話 夏風吹く火曜日。そして不穏の水曜日



 先日誘ってくれた通り、帰り道が同じなので、七城尾花は彰人の隣を、歩いてついてくる。


「やっぱり、楽しそうな部活だったね。執筆活動頑張れそうな気がするよ」

「外部の人らからすると、『変人の巣窟』って評価らしいんだけどね」


 あー、それも、わかるかも。愛想笑いで七城尾花は返す。その巣窟に、七城尾花という真っ白な少女が入ったことで、ますますそれが加速した感がある。


「バランスがいいんだよねえ。男子四人、女子四人。ユーモアの鈴奈と船尾くんに、純粋なさくらちゃんをみんなが可愛がってて、ほんわか王子様な葵原くんに、ツッコミ役の千鶴くん。そんで部長さん達夫婦」


 俺、ツッコミ役って扱いなんだ……と多少不本意に思いながらも、彰人は相槌を打つ。

 七城尾花と、共に二人きりで歩く。

 既にしたことがありそうに見えて、初めての経験である。時間帯が時間帯なら、目撃されて何かしらの悪評が立ったかもしれない。


 その後、一時的に彰人の話題のストックが尽きてしまった。七城尾花は彰人が黙ったら黙ったで、鼻歌を歌いながら、彰人の隣をピッタリとついてくるが。

 そして、話題欲しさに、先刻から気になっていたことを、ついに彰人は切り出した。


「……通院、ってさ」

「んー?」

「やっぱり、完治はしていないって事?」

「そんな事ないよ? これこの通り、あたし、すっごく元気だし。ただ……」


 ただ、といった後、「んー……」と唸ると。


「後遺症? みたいなのは残った」


 いつになく、声に元気がない。

 

「後遺症……」

「そう。残念ながら、対処をサボったらお陀仏になる、一生お付き合いしなきゃならない感じのやつ。こっちがお付き合い頼んだわけでもないのにねー。本当、困っちゃうよ」


 心底ありがた迷惑そうに、虚空を見上げながら腕を頭の後ろで組む七城尾花。

 真っ先に彰人が思い浮かんだのは、人工透析。

 週に数回、機能が低下した腎臓に代わり、血液中の老廃物や余分な水分を病院で取り除いてもらう治療だ。腎臓移植を成功させれば、あるいは、というケースもあるらしいが、基本は、一生付き合っていかなくてはならない類のものだ。生活にかかる影響や負担は、少なくないものとなる。だが、これを怠れば、命に係わる。

 

「一生って。そんなのを抱えてるのに……」


 何故だろう、キミは本当に明るくて、楽しそうだ。眩しいくらいに。眩いくらいに。

 だがそれは言葉に詰まり、不思議と出てこなかった。


「ふふん、千鶴くん。言ったはずじゃん。あたしはJKを満喫するために戻って来たんだって」


 続けて、言う。


「勉強も、スポーツも、部活動も、オシャレも、学校行事イベントも、友達との交流も、ときにはクラスメートとのケンカやギスりも――そして恋愛も。JKとしての青春をぜんぶぜーんぶ、骨の髄まで味わい尽くす。そのために、あたしはここにいるんだよ。通院これくらいで、あたしの青春は曇ったりはしないって。

 何ていったって、花の女子高生じょしこーせいだよ。花の命は短いんだから、命短し恋せよ何たらってね」


 だから、ね。と七城尾花は続ける。


「そう、しんみりしないでよ。明日もまた、いつもの七城尾花で宜しくお願いします!」

「いつものって」


 思わず彰人はふふっと笑ってしまった。

 その姿になって戻ってきて、まだ二日なのに「いつもの」はないだろう。つくづく、暗い雰囲気とは無縁の子だなと、彰人は半ば呆れるように感心した。


「それに、どうせお付き合いするなら、後遺症じゃなくてやっぱり男の子だよねー。できれば優しくて、爽やかそうな。できればできればイケメンな!」


 はは、と彰人はどう反応していいものか困り、愛想笑いで返した。たぶん自分は条件全部合ってないわ、と内心で思う。


「あ、そういや忘れるところだった。今日借りたノート」


 ゴソゴソと藍色のバッグから、今日の朝借した彰人のノートを取り出すと、卒業証書授与のように仰々しい仕草で彰人の前に手渡す。


「何とか、今日のうちに返却できました! ありがとうございます!」

「いえいえ。次のノートは、また明日の朝にでも」

「ほんっっっとに助かってます! 明日の朝イチで受け取らせていただきます! ノートの件は、必ずどこかで埋め合わせするから!」


 気にしないでよ、と彰人は手を横に振る。

 その後、交差点に差し掛かると「あたしはこっちだから。千鶴くん、また明日ね」と左の道を七城尾花は少し速足で歩いて行った。


 また明日、か。


 一応断りはしたが、彼女の性格だ。「埋め合わせ」とやらをさせてほしいと、せがんでくるだろう。それが一体何になるかはわからないが。

 彰人は明日もあの笑顔に会えることをほのかに期待し、天使の翼のような七城尾花の長く白い髪が揺れるのを見送った。


 ——その直後の出来事だった

「……ねえ」「……だわ」という、二つの声が聞こえてくる。


「……浮浪者かしら……ものすごいにおい漂わせてたわ」

「……あれ、体臭とかそんなもんじゃないわ」


 主婦仲間と思われる二人が、ひそひそと小声で話しながら歩いてくる。


「そうよねえ腐敗臭。いえ、死臭よ死臭! 死体が歩いてたんじゃないかしらって」

「まさか。でも、不気味だったわねえ」

「ホントホント!髪とか振り乱して、顔が見えなかったもの。怖~」

「世の中には色んな人がいるって言ってもあれはねえ」


 距離が離れ、会話の内容はそれ以上は聞こえなくなった。一体、何を見たというのだろう。何か、おぞましいものが歩いていた、ということくらいは理解できたが。

 そう思っていると、七城尾花から、メッセージが飛んできた。着信音が鳴る。


「神様! 仏様! 千鶴様! マジ感謝です!」


 という、たいそう大げさなノートへの感謝のメッセージだった。彰人は「ふっ」と笑い「また明日学校で」と返したら、ゲームキャラのスタンプが飛んできて、そのまま会話は終了した。

 そう、また明日学校で。



 ――だが。



 次の日、七城尾花は、学校を欠席した。

 ざわめく教室に静粛を呼び掛けた後、その理由を、担任は「通院のため」と説明した。

 


 どんよりとした曇天がさらに黒く染まっていき、雨がぽつぽつと降り始めたかと思うと、一気に本降りに。暑さと共に湿度まで加わって、不快度指数がみるみるうちに上昇していく。

 そんな生憎の天気と、七城尾花という白く明るい輝きの喪失により、クラスはまるで、明かりが消えたようだった。そして、七城尾花という女子生徒が、かつて病気を患っていたということを、皆改めて認識したようだった。


 クラスのそこかしこで、七城尾花の話題が聞こえてくる。男子は「今日は七城いないのかよ」「残念だよなあ」。女子は「あの子、結局、何の病気したんだろう……」「また病気が出ちゃったんじゃ……」と心配する声や、中には「あの白髪女しらがおんなが居なくて、静かでいいわ」と、陰口を叩く者まで、様々だ。


(……おいそこ聞こえてるぞ、バカヤロー)


 義憤は募るがそれと同時に、彰人には喉にかかった魚の小骨のように、引っかかっている事柄があった。


「……」

 

 机に置かれたノートを見つめ、腕を組みながら、顔を曇らす彰人。


「おーい、彰人。何か聞いてないのか? 七城ちゃんから」


 下敷きで顔を扇ぎながら、船尾がテンション低めの声で訊いてくる。


「いや、本人から直接話を聞いてる。だからこそ、妙だし、不安なんだ」

「妙って、何だよ」

「あの子、『また明日ね』って言って昨日俺と別れたんだよ」


 ほう、と反応を示す船尾。


「それに、これ……」

 

 彰人は、貸し出す相手を失った、日本史のノートを手に取る。


「今日、七城さんに貸し出す予定だったノート。本人の口から、朝イチで借りるって意志をシッカリ確認してる。七城さん、本当は今日、学校に来る気満々だったんじゃないかな。『通院』が一日がかりになるってことも、今まで同じような治療を行ってきたならそんなの百も承知だろうし。今日が通院の予定日だって知っていたなら『また明日』なんて受け答えはしないよなあって。それが妙だし、不安なんだ」

「昨日のお前と別れる直前まで、今日が通院の予定日だって忘れていた説」


 いや、それは考えにくい。彰人は首を横に振る。


「その『通院』の話題で、少し会話をしたんだ。随分としんみりとさせてしまったけど……。とにかく、そんな会話をしたのに、その『通院』の予定日の意識が、記憶から逸れてしまうとは考えにくい」

「ってことは、今日のは、本人も予期せぬ『通院』だったってことか?」

「……そんな気がする」

「でもそれっておかしくないか? 俺はそういうの経験ないからよくわかんねえけど、基本的に『通院』ってのは、あらかじめ日付けの予定スケジュールとかを組んで、それに従って病院通いするもんじゃないのか?」

「基本的にはそうだよな。でも、予期せず、病院に行かざるを得なくなる事態。理由はいくつか思いつくけど、その中でも一番単純で最悪なのが……」


 雨音が強まってくる。遠くでは、小さく雷鳴が聞こえる。


「病状の再発……か!」


 船尾が顔を強張らせながら、言う。


「それか、過去の診断結果で予想外にヤバいのが見つかったから緊急で、とか……あんまり、考えたくはないけど」 


 病状の再発、もしくは予想外の診断結果による緊急検査。それによる、欠席。

 昨日、あれほど完治と健康をアピールしていた七城尾花。だが、病魔の残滓が本人も医者も知らぬところで生き残り、潜伏して、きょう、身体に対して叛旗を翻したのだとすれば――。


「場合によっては、また休みが増えるな。あの子」

「マジか~。せっかく、とびっきり可愛く奇麗になって戻ってきてくれたのに」

 

 がっくりと項垂れる船尾。正直なところ、彰人も同じ心持ちだった。加えて、あれほどまでに高校生活を満喫しようと、無垢なまでに張り切っていた少女の気持ちを、いとも容易く踏みにじる、運命の残酷さをただただ無情に思う。


 ――雨が、また強くなってきた。


 

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