七城尾花の夏、亡者の秋。そして厄災の里

天流貞明

第1話 僕が、殺しました



「はい。——はい。さっきも言った通りです……! 場所は県立九重高校。名前は千鶴彰人ちづるあきと。冗談やデタラメなんかじゃありません。……決して!! はい。ええ、ええ。間違いなく――」


 千鶴彰人は大きく息を吸い込み、自身の人生をなげうつであろうその一言を絞り出した。


「間違いなく、僕が殺しました」


 はあ、はあ、と全力疾走したかのような息をつき、喘ぐように、千鶴彰人は電話相手に続ける。殺した。僕が殺した。ついに、ついに言ってしまった。


「そう、死体です。何を言っているか、わからないと思いますが――ほ……本当なんです! 事実です! 僕がこ、殺したのは確かに死体……。死体なんです!」


 夜もふけゆく中。震える手と声。七月の湿気がかった熱帯夜の中、流れ出ては垂れる汗がシャツをびしょびしょに濡らす。

 そんな中で、千鶴彰人は至極剣呑かつ、支離滅裂な内容の電話を、警察に必死に伝えようとする。


「ひっ……ひっ……ああ……」


 彰人の胸元には、ひたすらに泣きじゃくり、しゃくりあげる小柄な後輩の女子の姿がある。

 彼女の上半身を包んでいたセーラー服は破かれている。下着が見えてしまうところを、それを隠すために、サイズの全く合っていない、彰人のカッターシャツを彼女に着せている。


 警察に電話をする間も、彰人は不器用に彼女の頭や背中をひたすらに撫でていた。どうにか宥めて、落ち着かせようとしていた。彰人自身でさえ、思考や情緒が滅茶苦茶になっている中だというのに。


「とりあえずげ、現場で皆様方、警察の方々を待ちます。ええ、まかり間違っても、逃げたりはしません。信じてください……!! ――ええ、ええ」


 千鶴彰人はなおも震える手で、スマホの通話をオフにした。

 はあー、と天に向かって深くため息を吐く。肺の中のものを、全部放出するかのように。

 包み隠さず、自分の行った行為を、警察に告発した。

 罪状。罪状は?

 ……少なくとも、死体損壊は免れないだろう。

 未成年ということで、どうなるかはわからないが、これで罪に問われたとしたら、どうすればいいか。周囲にかける迷惑は、多大なものとなるだろう。本当は「あの時」どうすればよかったのか。本当にこれでよかったのか。


 ……どうすれば?


 では、どう動けば正解だった? あの状況で。

 胸に縋りつく、このか弱く助けを求める声を、お前は無視できたのか? 

 ――答えなど、最初から一つしかなかったじゃないか。


「せん……ぱい。あっ……ああ……わた、わた……ひっ。ああ……」

「大丈夫。もう、大丈夫だよ、さくらちゃん」


 自分のとった行動に、悔いはない。悔いなど、あっていいはずがない。

 いま、胸の中で泣きじゃくる後輩に、万が一のことがあってみろ。それを、手をこまねいて見ている、情けない自分を想像してみるがいい。それこそ自身を許せなかっただろう。

 さくら、と呼ばれた後輩はなおも泣きじゃくる。彰人のTシャツにしがみつく力がさらに強くなる。30㎝の身長差で、彰人の胸に顔を埋める形になっている彼女を、包み込むように彰人は優しく抱きしめる。


 しかしながら――。

 警察が到着したら、全てを説明するとは言ったものの。——これを、この状況を、いかに順序だてて説明すればいいのか。


 彰人たちの目下には――首無し死体が突っ伏している。その首は、紛れもなく彰人自らが刎ね飛ばしたものだ。これだけでも、凄惨で、尋常ならざる事態だ。大事件だ。

 だが――実態は、それを遥かに上回る、信じ難いものだった。そんな事態が、つい先程まで、彰人に襲いかかっていたのだ。

 死体の首根っこからは、首を繋ぎとめていた頚椎が、わずかに顔をのぞかせている。テレビドラマのチープな首無し死体の描写では、お目にかかれないおぞましさがそこにはある。

 刎ね飛ばされた首は、少し離れた場所に転がっている。

 その首は、完全に肉が腐り果てており、半分は髑髏のような状態だ。腐汁と腐肉が流れ出し、眼窩の中ではうねうねと蛆が這っている。


 首無し死体をもう一度見てみる。

 纏っている服は泥まみれでボロボロだ。だが辛うじて、彰人が在学する県立九重高等学校の制服であるとわかる。

 半袖から露出している肌の部分は腐っており、崩れた腐肉の隙間からは骨が見えている。

 なおも垂れだす腐汁は彰人とさくら、どちらにも付着してしまっており、酷い臭気を漂わせている。だが、二人とも既に嗅覚が麻痺しており、さらに恐慌状態で、既に何も感じなくなってしまっている。


 一体、どうしてこんなことになったのか。

 

 ショートしようとしている思考の中、記憶を探っていく。

 すると、この事象に至る前の、数々の、伏線とでもいうべき過去の出来事が、走馬灯のように浮かんできた。事の発端は、どこにあるのか。一体、何がきっかけで、こんな事が起こるようになった?


 真っ先に思い浮かんだのは――七城尾花ななしろおはなが、「あの姿」になって戻ってきたこと。

 それが、全ての始まりだったように思えてくる。あの日を境に、日常は変質し始めていたのかもしれない。


 今から遡ること、ちょうど一週間前のことである――。

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