第23話 安堵

「なんなの、あれ・・・・・」


 荷台の上に大きな木樽きだるが横たわっていて、その上をディンがリュアを抱えて走っている。荷台から転げ落ちそうな樽を、ディンが足を使って前進させていた。


 大樽の上にいるディンに向かって、小型の樽が次々に投げつけられていた。荷台の前に立つ妙な格好をした女が、足元に転がる樽を片っ端かたっぱしからディンに向かって蹴り込んでいる。 


 ここまで来ると、道は幅を取り戻している。ディンとリュア王女を救出して、二人をハーキュリーに乗せて坂道を下って逃げる。馬車は簡単には方向転換できないはずだから、逃げる時間は十分に取れるはずだ。


 護衛のいなくなった馬車の脇をすり抜けるため加速した。一旦いったんやり過ごし背後から荷台の様子をうかがうつもりだったが、すれ違う直前、轟音ごうおんと共に木片が飛び散り、その中からディンを抱いたリュアが現れた。リュアの体は完全に荷馬車から飛び出していて、重力に従って地面に向けて落下を始めていた。


「リュア、つかまって!」

 

 疾走するハーキュリーから手を差し伸べた。この国の王女であるリュアを呼び捨てにしたが、そんなことはどうでも良かった。今はリュアと、リュアの腕の中にいるディンを助け出すことが先決だ。


 リュアが右手を伸ばしてきた。左腕の中にはディンがいる。ここでリュアを掴めなければ、命に係わる怪我を負うかもしれない。


 チャムチャムの指先がリュアの指に触れた。元々肌は白かったが、野良仕事や武術の稽古で荒れて黒ずんでしまった。その指先が、染みひとつないリュアの指先に触れた。それだけだった。チャムチャムの指はリュアの手を掴めず空を切った。


「しまった」


 呟いて振り返った。走る馬車から落下したはずのリュアとディンの姿を探すが、二人の姿はどこにもなかった。


「たむたむ、ストップ。馬を止めて!」


 背後から声がした。目をらすと、栗毛色のハーキュリーの尻尾の中からリュアの金髪が見え隠れした。


「止まってハーキュリー。お願い」


 ハーキュリーが馬脚を弱めると、尻尾の毛にしがみついたリュアの姿が見えた。


「止まって、タムタム。あれっ、タムタムじゃないよね。みちゃみちゃ?違う、チャムチャム、チャムチャムだ」


 普通なら平手で泣き出すまでリュアを打ってやるところだが、そんなことすら忘れるほどの安堵あんどに包まれた。

 ハーキュリーが完全に停止すると、ハーキュリーの長い栗毛をまとわりつかせたリュアがよろよろと立ち上がってきた。


「ああ、もう無理。だるいつらいうちに帰りたい」


 ディンを地面に横たえながらリュアが愚痴ぐちこぼす。


「ディン?ディンはどうしたのですか?」


 ディンに駆け寄り、抱き起した。タフなはずのディンが完全に意識を失っている。有り得ない事態だった。


「怪我は?傷はどこですか?」


 見たところどこにも外傷はない。だとしたら頭を強打したのかもしれない。チャムチャムはパニックにおちいりかけていた。


「うへぇ~い、チャムチャム、うるさいな~。もう少し寝る~」


 眼を見張った。ディンの顔が赤い。額に触れたが熱はない。赤いのは頬だけだ。


「お酒、飲んでる?」


 顔を上げてリュアを見た。親指と人差し指を使ってちょっとだけとジェスチャーすると、リュアは肩を竦めて笑顔を見せた。


「ディン、ディン、起きて」


 ディンの体を揺さぶると、ディンのまぶたがゆっくりと開いた。


「あれ~チャムチャム、なにしてんのぉ~?」


 うれしいやら泣きたいやらで頭が混乱していた。でも一番に感じたのは安心だった。ディンは生きていて、怪我もしていない。


 パンパンパン!


「痛ってぇ~、チャムチャムなにすんのぉ!」


 頬を抑えてディンが跳び起きた。酔いは完全にめたようだ。


「子供のくせにお酒なんか飲むからです。お酒は大人になってから。当たり前の罰です」


「好きで飲んだわけじゃないよ、口からはいっちゃったんだから、仕方ないじゃない」


「いいえ、ダメです。言い訳は聞きません」


 思わず笑いだしてしまった。チャムチャムに釣られてリュアも笑いだした。それを見て、不満そうな顔をしていたディンも笑い出す。


「なんだよ、二人とも。まったく」


 地べたに座り込み、三人そろって笑い転げた。おかしいから笑っているのではない。みんな無事で安心したから笑っているのだ。

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