遠い島の子
あつあげ
フジミ 1
僕らの島では、海の上で
緯度26.64N、経度141.16E、ただいまの時刻は午前八時ちょうど。
僕は上着のフードをめくり、朝の日差しをいっぱいに浴びた。首筋には高性能の太陽電池が埋め込まれていて、今日一日の活動エネルギーが補給できる。ついでに頬の皮膚で紫外線量も計測する。
潮の匂いがする風は、生き物のような温度を帯びている。まるで風そのものが命を持っているようだ。もっとも、温度も湿度も、今の僕の体には関係ないのだが。
と、その時、僕の脳内に管制システムから連絡が入った。月に一度、この島に上陸する人間の作業員を乗せた船が、あと十五分で接岸するらしい。高齢になった前任作業員に代わり、今月から来るのは新人だそうだ。迎えに行ってやらねばなるまい。
十年は舗装されていないため雑草だらけの道路を下り、僕が船着き場の平らなコンクリートの上に出た時、船はあと数十メートルで接岸するところだった。最近の船には船体全体に人工知能が搭載されているから、完全な自動操縦で、入港の際にも人間の作業員を必要としない。それからこの島の希少な動植物を保護するため、入島する人数は少ない方がいい。何より慢性的な人手不足という決定的な現状があって、作業員はたいてい一人で送り込まれてくるから、僕はそれを手助けしてやらなければならないのだ。
自動でかけられたタラップから下りてきた相手があまりに若かったので、僕は少し驚いた。最近は人類全体の寿命が延びて、その分大人になる年齢も上がっているから単純には比較できないが──おそらく、僕がこの体で暮らし始めた年齢より年下だろう。背の高い男で、平べったい顔には職業的責任感で覆い隠した不安が見て取れて、僕は彼に同情を禁じえなかった。いくら効率追求の結果とはいえ、本土からたった一人で大海原を渡ってくるのは、大変なストレスを感じるだろう。このように人間の感情が技術の進歩に追いつかないことにより、昨今の社会では様々な問題が起きている。
だが相手は僕の姿を認めるなりはっとして、「フジミさんですね?」と元気のよい声で言った。「今月からお世話になります、アンノと申します。」
青年は僕を、まっすぐな眼差しで見つめてきた。
「はじめまして。君は第一首都の出身だと聞いたけど?」
「ええ、そうです、祖父母が元島民でした。」
そう言われただけで、彼がどのような経緯でこの仕事を志したのか、だいたい察しがついた。今の日本では世論の分断が進みすぎているため、妥協策として国内を価値観の違ういくつもの地域に分け、国民はその中から自分に合った場所を自由に選択して生活できることになっている。この島の管轄地域でもある第一首都は明治時代からの首都で、昔ながらの倫理より効率と発展を重視する傾向があり、そしてこの島から出て行った人たちが最も多く移住した場所だ。おそらく彼は科学に崇拝の念を抱き、祖父母のことを思う純粋なよい子だったのだろう。
とはいえ…青年は特別屈強な肉体を持っているようには見えなかった。これから歩くのは無人になった島の荒れ果てた坂道だというのに。おまけに彼は質量圧縮リュックまで背負っている。
「それは僕が持とう。…うわぁ、すごい重さだね。生身の人間が持つのは大変だろう。」
僕がリュックを受け取ると、アンノは少し恥ずかしそうな顔をして、
「僕、体力検査はギリギリだったんです」と言った。「おかげで先輩にはしごかれていますよ。昔はもっと肉体派の人が多かったみたいで。」
「だが今時、腕の重力反発装置か、せめて補助ロボットの一台はつけてくれるのが普通じゃないか。」
「ううん、予算が厳しい…みたいですね。」
「そうか…この島から島民が去ってもう何十年も経つから、そんなに金をかけられないのか。」
僕は時代の流れを感じながら、「ほら、こっちだよ」とアンノの前を歩き始めた。増強型の人工筋肉を持たない相手を思いやって、時折後ろを振り返りながら。アンノは舗装のあちこちから顔を出した木の根や勢いよく伸びる草の葉に何度も足をとられそうになりながらも、自分の生まれ故郷にはない亜熱帯の植物に、時折好奇の視線を向けていた。
僕の住まいはかつてこの島の民宿だった建物で、今は研究所も兼ねている。島の夕焼けと同じ色に変色した壁と、窓からぶら下がっているヒスイカズラの蔓(つる)が、個人的に気に入っている点だ。数年に一度、本土から建設チームが来て修繕してくれるが、居住性は生身の人間が住む家ほど考慮しなくていい。機械でできた僕の体は食事も排泄も睡眠も必要とせず、お風呂に入ることもなければ寒さ暑さも関係ないからだ。
僕はアンノを民宿の食堂だった部屋へ通し、椅子を取ってきて勧めた。アンノが質量圧縮リュックから器具を取り出していると、奥から三匹の猫型ロボットが出てきて、ゴロゴロ喉を鳴らし始めた。アンノは少し困惑した様子だ。機械人間に遊び心があるとは思っていなかったらしい。
「こんな姿をしているけど、一応補助ロボットなんだ。」
「猫が好きなんですか?」とアンノは世間話風に聞いた。
「それもあるけど、一番の理由は子供の頃好きだったアニメキャラだよ。内容に関する詳しいことは、消しちゃったけどね。」
そう言いながら僕は食堂から隣の台所へ移動し、この日のために用意したアルコールランプと煎り網で、昨日収穫した豆を煎った。立ち上る香ばしい香りに、もはや記憶とすら呼べない、心の底にある「痕跡」が刺激された気がするが、感傷的になることはない。不要になった記憶は消してしまったからだ。
「長旅お疲れ様。まずは少しリラックスするといい。」
煎った豆をミルで
「島の先人たちが残してくれた株を、裏の畑で育てているんだ。もっとも、僕自身は飲めないけどね。」
「…ああ、『コーヒー』ってやつですね。祖父母は好きでしたが…僕は飲んだことがないです。」
僕はまた時代の流れを実感した。この豆の争奪戦が世界中で行われとてつもなく高価になった結果、今やコーヒーは日常的な飲み物ではなくなっている。アンノぐらいの世代には、これを出すのがもてなしだという常識は通じないかもしれない。若者を相手にするのはなかなか気を遣うものだ。
だがアンノはやはり素直なのか、フィルターから滴り落ちる茶色い液体に興味を示した。そこで僕はカップに液体を注ぎ、彼の前に置いた。彼はおそるおそる一口飲んで、「美味しい」と独り言ち、それからハフハフと息で冷ましながら飲み干して、「御馳走様でした」と言った。
「では、そろそろ始めようか。油を売ってると本土の上司から叱られるぞ。」
アンノはまた一瞬緊張し、「はい」とかしこまった返事をした。腕の端末にはマイクとカメラがついていて、僕たちの会話はすべて記録されているのだ。
だが、質量圧縮リュックから僕と一緒に器具や部品を取り出すこと数分、アンノは再び気まずそうな表情を浮かべた。カフェインが効いてきたのだろう。僕は頷き、外にあるその小屋の方向を指さした。この島の土壌から培養した、人間の排泄物を強力に分解する微生物のおかげで臭いもほとんどしない。
すみませんと言って小屋に駆けていくアンノの後ろ姿を見て、僕はやれやれと思った。飲み食いをし、排泄もし、そのために多くの資源と時間を消費する。そんな効率の悪い体で、かつての自分はよく生活していたものだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます