ep.8 rencontre fortuite 《邂逅》
あれからサルトルさんは無事に麻酔から覚醒し、呼吸を助ける管を抜いて手術室を後にした。術後CTでも特に異常もなく、そのまま集中治療室へ入る運びとなった。
私はカルテをまとめていたが、リアム先生はここの病院の医師では無いために、少し教授と話したら間もなく次の病院は行くとの事だった。そういえばマティス教授も、リアム先生は今日はこの後北の町の病院へ当直へ行くと言っていた。
こんなにフルで手術をした後にそのまま当直なんて大変すぎる……と思ったが、彼にとっては割といつものことらしい。忙しすぎでは?
だけど、リアム先生とは話したいことが……!
「リアム先生」
「なんでしょう」
「15分……いや、10分だけでいいので、ちょっと話せませんか?」
「いいですよ。ですがこの後回診なのでは」
「えぇーと……そうですね、じゃあ……」
「患者さんが待っておられるでしょう。レミ先生が一段落した後で構いません」
「えっ……ですが今日この後別の病院で当直なのでは?」
「まだ時間はあるので大丈夫です。どこか待たせて頂ける場所はありますか?」
「えぇ、えぇ!それは、もちろん! 外来横のカフェとかでも、当直室を使って頂いても」
まさか、そんなにきちんと時間を割いて話せると思っていなかったので、つい声がでかくなってしまったが、リアム先生は相変わらず綺麗な真顔を携えたまま「ありがとうございます」と言って荷物をまとめていた。
* * *
仕事が一段落したのはもう18:00近くとなってしまったが、私は急いでリアム先生の待つ当直室へ向かう。
当直室で先生は、ベッドを使わずに椅子に腰掛けたまま腕を組み、軽くうつむいた姿勢で眠っていた。机にはノートパソコンが閉じた状態で置いてある。眠る直前まで仕事をしていたのだろうか。ベッドを使えばいいのに……とも思ったが、きっと彼なりの配慮だったのだと思い至った。でもこのまま別の病院で当直なんて、大丈夫なのかと心配にもなる。
先生に近づいて声をかけようとする。……が、その綺麗な寝顔に、声をかけるのを躊躇する。
長い睫毛を閉じて微動だにしないその色素の薄い寝顔は、呼吸と共に微かに上下する肩を見なければまさに彫刻と見間違うようだった。
起こしていいものか悩んだが、私の気配に気づいたのか、先生は静かにその目を開けた。
「……レミ先生。すみません、少し休ませて頂きました」
「いや……いや、いいんです。お疲れですよね。貴重なお時間を頂いてしまいすみません」
リアム先生は一度軽く深呼吸をして軽く目をこすり、こちらに視線を向けた。相変わらず、お綺麗で。もし私が女性なら、いちいちこの動作にドキッとしていたに違いない。
まぁ残念なことに私にそちらの趣味はないし、ドキドキするわけでもないが、男女問わず綺麗な彫刻や絵画は人の心をとらえるような感覚に近い気がする。多分人間観察が趣味の私には芸能人マネージャー等は務まらないだろうと思った。
「それで、話とはなんでしょう」
リアム先生が静かに尋ねてくる。8年前のことを聞きたくて、「リアム先生は、……」とそこまで言ったところで、私はあっ、と思う。もしかして、この先生が感情表現できなくなってしまったのは、8年前の大災害の時のショックだったりするんじゃないか? と。そうだとしたらその時の心の傷も癒えていないことになるし、唐突にデリケートなことを聞くのは憚られるような気がした。さすがにちょっと、自分本位になっていたことを反省する。
「えぇと。えぇー……と。先生の、ご趣味は?」
「趣味?」
「えーと、いや、えーと……好きな食べ物……とか?」
いや、だからって何聞いてるんだ私は?
「趣味は読書、好きな食べ物は……ガトーショコラです」
「え?」
「?」
普通に答えてくれることに拍子抜けしたが、やっぱりいい人なのでは?
そして意外と甘党?
「先生、意外と甘党なのですね」
「えぇ、そうかもしれません」
……
……
私はその綺麗なご尊顔を見据えたまま、まったく次の会話が出てこない。自分の阿呆さ加減にうんざりする。
聞きたいことはあるのに、どうやって聞くべきかと、もっときちんと考えてくればよかった……。
「えぇと」
「話はそれだけですか」
「いや、あの」
「レミ先生」
「はい」
変なことを聞いてしまったがために畏まる私。完全に挙動不審である。
そこまで悪いことをしたわけじゃないのに、校長先生の前に立たされている小学生のような、そんな気持ちに似ている……気がする。
……いや、でも、お忙しいところ待っていて頂いたのに最初に聞くことおかしかったよな……
「レミ先生に、お会いできて良かった」
「……え?」
「先生は、多くの方を救っていらっしゃる」
「……?」
今、何かがひっかかるような気がした。だけど、なんだろう……
……先生の意図することは?
だけど一瞬、優し気な顔をしたように見えたのは……
「レミ先生、私は」
「……っ、リアム先生は……!」
「……?」
「きちんと感情が、伝わってくる、と、思いますよ」
……私は何を言っているんだと、言いながら思っていた。なんだかずっと空回り気味だ。
「……」
「だって、先生はものすごく、丁寧で」
「……」
「ちょっとした配慮も、忘れない」
「……」
「優しい方じゃないですか」
「……」
先生の鋭いオッドアイは、私を直視したまま呆然としているようだった。
何か、変なこと言ったか? いや、突然変なこと言ってるよな。自覚はある。
「えぇーっと、その」
「……」
「感情表現できないと、仰ってたのが……気になって」
しりすぼみになる私に対して、ずっと黙ったまま真っ直ぐな視線のリアム先生は、私から視線を逸らさない。
「レミ先生」
「……」
「ありがとうございます。そんなこと、初めて言われました」
「……」
「レミ先生は、お優しい方だ」
「……リアム先生は、過去に何かあったのですか?」
「……」
……踏み込みすぎただろうか。
この、全てを見透かすようなオッドアイを、どこで見たのか私は思い出せないままなのに。
「私は貴方と、過去に別の場所で会っています」
「えっ……」
「そして、貴方はこうして私を肯定してくれた」
「先生を……肯定……?」
「貴方は8年前のあの時、多くの人々の支えになっていました」
「……はち、ねん……まえ……」
「私はその姿に胸打たれたのだと……思います。貴方が、懸命に人々を
淡々と話すリアム先生の言葉に、脳が全くついていかない。
「待ってください、なんの話をしているのですか? 先生とは……8年前、どこで……私が、誰かを救けた……? 先生、を……? いやまさかそんな……8年前のあの日のことを、私は今でも思い出せないのです。…………私が助けたのは……私を、助けてくれたのは…………先生は、8年前の大災害のとき、どこにいたのですか……?」
「私は8年前、あの場所にいました。大災害の起きた町の、中心部に。……すみません。少し、辛いことを思い出させてしまったようです」
「いや、教えてください!……私は……思い出したいのです……!自分の、空白の時間を」
リアム先生が何かを言いかけたその時、コンコンと当直室をノックする音が聞こえた。
「……時間ですね。思い出すのはゆっくりでいいんですよ。また、お話しましょう」
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