手術と禁忌の絶対領域

はる❀

ep.1 Rémi Coste《レミ・コスト》

 昔々、死者をも生き返らせるほどの名医がいました。彼の名は『アスクレピオス』。

 しかし、死者の蘇生は生老不死を乱すとして神の怒りに触れ、彼は神に打ち殺されてしまいました。


 ……これは、有名な《医術の神》の神話である。

 本当に死者を蘇生できる程の技術があったら、凄いよな。



 私はレミ・コスト。医者。救急部所属。

 いわゆる普通の人間。

 性別は男。趣味は人間観察。

 フランス人にしても背が高い方であり、そこそこしっかりした体格の私は、ベージュの髪をオールバックにして後ろで軽く結っている。

 とりわけ特技はないが、大学時代は天文部に居たため、星にはまぁまぁ詳しい。先程の《医術の神・アスクレピオス》というのは、星座で言うへびつかい座となったことでも有名だ。


 私は現在医師4年目の32歳。4年目だけど32歳というのは、医学部に入るまでに2浪し、大学でも1年留年するという、回り道をしながら現在に至ったからだ。

 一応体型には気を遣っているためまだ締まってはいるが、まぁ総評してどこにでもいるような、至って普通の人間。



 だけど、そんな私には思い出せない過去がある。

 8年前に起きた、天地を揺るがす大災害。地は割れ、天は怒り狂ったかのように荒れ、世界が終わるかと思うほどだった。その時……私は誰かに救われたのだが、それが誰かわからない。その前後もよく覚えていないし、気が付いたら病院のベッドで横になっていた。

 当時の大災害は類を見ない程に壮絶で、救助隊での生存者はたった一人の救助隊長だけ。……でも、私を助けたのはその彼では無い。

 覚えているのはただ、『貴方は生きて……、―――してください』の言葉だけ。だが、肝心の『―――』の部分は今でも思い出せないままだし、言った相手のことも何も思い出せない。

 私の記憶はどうなっているんだ? 肝心な部分が思い出せないなんて。



 だけど、その出来事は私を変えた。大学時代ダラけまくって留年までしてしまった私は、この時漠然と胸の裡に息づいた意思をきっかけに、真面目に勉強するようになった。その出来事も、私を救ってくれた相手のことも思い出せないままなのに。……だけど勝手に、もしかしたらと思っている人物がいる。

 もしかしたら……いや、きっとその可能性は極めて低いのだが、その医者が私を助けてくれたんじゃないかと、初めて見た時に、なぜかそうなのだと思った。

 恐ろしいほどに整った顔をしたその先生は、『医術の神・アスクレピオスの再来』とも言われるほどの神がかった医療技術を持つと言われている。……だけど常に難しい顔をして、生きにくい世界を生きているようにも見える。

 しかも、彼はまだ26歳だという。8年前はまだ高校生のはずだから、正直彼が私を助けたとは考えにくい。

 ……その医者の名は、リアム・ロアン医師。彼は一体何者なんだろう。彼は私とは別の病院所属の為、詳しいこともよくわからない。

 彼は私の救世主ではないかもしれないけれど、なんとなく生き辛さを感じていそうな彼には、幸多い人生を歩んで欲しいと、勝手に応援している私がいる。



 時計を見る。今は朝の7:20。月曜日の朝だ。

 いつもなら月曜の朝なんて、まだ眠っていたいし、これから仕事かぁ……と気分もどんよりとしているところだが、今日は違う。なぜなら、その彼がやって来るのだ。おかげで今日は朝5:00には目が覚めたし、朝食もいつものように手早く食べるのではなく、きちんとバケットにジャムを塗ったタルティーヌとカフェオレを用意し、それももうとっくに頂いた。まぁ、我ながら美味だった。いつもならそのままにしてしまう皿洗いも綺麗に済ませ、歯磨きや身支度まで全てが終わっている。

 遠足前の小学生かよ、とも思ったが、正直そんな気持ちに近い。有名人に会う前って、みんなそうだろう?



 ……今日の仕事は脳神経外科領域の手術なんだけど。執刀は……鬼教授で噂の怖ーい先生だ。その噂は私が所属する救急部でも有名である。で、私は今日、その教授の手術に助手で入ることになっている。月曜から。週の初めから! 考えてみて。職場で噂の鬼上司の助手に入る気持ちを。正直最初はまじか~……って思ったし、いつもなら緊張で吐きそうになるくらいには気持ちがミジンコになる。だけど今日は例の彼が来るために、緊張が彼へのベクトルもあって謎に分散されるいう事象も起きているからなのか、どことなく気持ちも前向きだ。



 私は出勤の準備をする。職場の病院は自転車圏内。

 私は誰に向かって言うでもなく、気合いを入れるために呟く。



「さぁて……今日もがんばるかぁ」



 ……そんな私は、まさか今日と言う日がめちゃくちゃ濃い一日になることなど、この時には知る由もなかったのだ。

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