奪楽園~日本国滅亡への序章~

Tasaku the Third

第1話 楽園の崩壊

私たち日本人は世界で一番幸福だった。


日本人なら誰もが思っていた。

この日本という国に生まれて本当に良かった、と……。


便利な国だった。

電車は秒単位で動き、コンビニは24時間営業。

スマホひとつで何でもでき、どこへ行っても清潔で整っていた。

スーパーには食べ物が溢れ、街には世界各国の料理店。


安全な国だった。

夜中に女性が一人で歩いても平気で、落とし物も戻ってくる。

銃声とは無縁で、子供が一人で学校へ行ける国だった。


平和な国だった。

戦争は歴史の教科書の中の話であり、私たちには関係のないものだった。

兵士に銃を向けられることも、爆撃で街が崩れることも、難民になることもなかった。


自由な国だった。

好きな服を着て、好きな人と恋をして、夢を追える。

政府を批判しても、SNSで意見を発信しても、命の危険はなかった。


そして、美しかった。

春の桜、夏の花火、秋の紅葉、冬の雪景色。

四季折々の風景があり、温泉や祭り。

朝、家を出れば、静かで整った街並みが広がっていた。


どの国よりも快適で、どの国よりも清潔で、どの国よりも秩序があった私たちの国。


戦争も、テロも、犯罪も、貧困も、飢餓も、弾圧も全ては外の世界の、ディスプレイの向こうで起きていること。

外国から帰って来た日本人は皆、日本の空港に降り立つとホッとした。

そこはいつでも自分たちを無条件で包み込んでくれる生まれ故郷。

これ以上ないくらい居心地のいい楽園だったからだ。


私は2015年、その楽園で生まれた。


小学校のころは、友達と日が暮れるまで公園で遊び、母の作った温かい夕飯を食べ、家族で笑い合いながらテレビを見る。


中学・高校では、勉強や部活、恋愛、文化祭、修学旅行――輝かしい思い出を重ねながら、進路の時期に悩みながらも、未来には無限の可能性が広がっていた。

いい大学に行って、好きな仕事をして、恋をして、結婚して、家庭を持ち、幸せに暮らす。

両親や祖父母と同じように。


大学に行き、大人になって社会人になっても、それは変わらない。

仕事が大変でも生活は安定していたし、好きなものを買い、美味しいものを食べ、旅行を楽しみ、将来を思い描くことができる。


それが代々続いてきた「普通の人生」であり、日本人の誰もが当たり前に歩める未来だと信じていたのだ。


「昔はもっと良かった」


祖父母や両親はじめ、年配の人たちは言っていたけども、それでも私たちは思っていた。


「今でも十分に幸せだ」


やがて会社で知り合った男性と結婚し、夫と二人で新しい家庭を築いた。

子どもが生まれ、小さな手が私の指を握る感触を感じた時、私はこれ以上の幸福があるのかと思ったものだ。


これからもこれがずっと続くだろう……。

私たちは疑いもしなかった。


しかし——


私たちとは無縁であったはずの恐怖が、災難が、悪意がすべて一挙に私たち日本人に襲いかかってきた。


爆発音と銃声。

燃え上がる街。

血に染まる道路。


かつて私たちが画面の向こうの遠い国の話として見ていた惨劇が私たちの現実になった。

銃を持った隣国のならず者や軍人のような者たちが私たち日本人を襲い、略奪し、拉致し、犯し、殺戮するようになったのだ。


誰も守ってくれない。


私たちの楽園——日本は地獄に変わり、私たちはなすすべもなく逃げ回ったが、もう逃げ場はなかった。


そして数年後の今、私は髪をバッサリと切られ、異臭を放つ上下のトレーナーを着、縄で後ろ手に縛られ、首にロープを掛けられて台の上に立たされている。

横には、同じ有様の日本人の男女が並ぶ。


目の前には、私たちと同じ汚れたトレーナーを着た日本人たちがぎっしりと集まっている。

その周りで銃を向けて日本人を囲むのは、アジア各国から来た戦闘服の男女。


「你们没有活下去的资格!」

「벌레들아!」

「꼴 좋다!」

「快去死吧!」

「Та нар амьд байх эрхгүй!」

「Đồ sâu bọ !」

「အမိုက်စား!」


彼らは各国の言葉で罵声を浴びせてくる。


「作業ノルマも達成できねえ糞虫ども!ルールが守れねえなら死ね!!」


台の上ですぐ後ろにいる男は日本人らしく、チンピラ口調の日本語で見学させられている一群の日本人たちに宣言する。

見せしめにしているのだ。


その日本人の中には、夫とまだ三歳の息子の姿。

処刑される罪人の家族として、わざわざ最前列に立たされ、二人とも声も出せずに私を見ていた。


夫は私を助けたくても助けられず、奥歯を噛み締め、涙をこらえながら私を見つめている。

幼い息子は状況を理解できず、不安そうに小さな手で父の袖を掴んでいた。


——この子は、どうなるのだろう。


母のいない世界で、まだ何も知らないこの子は、生きていけるのだろうか。

お腹が空いたら、誰がご飯を作ってあげるの?

夜になったら、誰がそばにいてあげるの?

泣いたら、誰が抱きしめてあげるの?


私は、何も言えなかった。


ただ、二人の姿を焼き付けるように見つめた。


——どうして、こんなことになってしまったのだろう。


私たちはただ、普通に生きていただけだったのに……。

あの楽しかった日々が、もう戻らないなんて……。


私は涙に暮れて静かに目を閉じる。


——日本に生まれて、本当に幸せだったけど……。


最後に思い出すのは、幼いころの穏やかな風景。

家族の笑い声、夕焼けの色、公園で駆け回る子どもたち。

世界がまだ優しかったころの、日本の姿……。


「해라!」「快做!」


合図が響く。

足元の板が外れる。


首にかかった縄が食い込み息ができない、苦しい。

視界が暗転していく。


最後に見えたのは泣きながらこちらへ走り寄ってくる幼い息子、

それを追おうとして警備兵に殴り倒される夫、

そして我が子に後ろからショットガンを向ける女性警備兵……。


だめ……、その子はまだ……。


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