あなたの不調を治します〜昭和レトロな癒しの空間、青樹医院〜

野地マルテ

第1話 昭和レトロな病院と、イケメン医師

(ああ、倒れそう……)


 栗色のショートボブをゆらゆらと揺らしながら、厚手の白いカーディガンに襟つきシャツ、灰色のテーパードパンツという装いの女が、昼下がりの街を一人彷徨さまよっている。

 彼女の名前は円香まどか、二十五歳。小説家を目指していることを除けば、ごくごく普通の会社員だ。

 今日は体調を崩し、会社を早退した。

 風邪なのかどうか分からないが、肩がどっしりと重く、ゆらゆら眩暈めまいがして、仕事どころではなかったのだ。


(毎日毎日、家で改稿作業してるからなぁ……)


 小説家を目指している円香は、いくつかのコンテストに作品を出していた。

 その一つが今年のコンテストで最終選考まで残り、担当編集がついた。

 担当編集いわく、改稿作業を行い、作品が商業レベルにまで達したら本を出せるという。

 だが、どれだけ書き直しても担当編集からの合格は出ない。それどころか書き直した箇所に関する指摘が増え、改稿すればするほど修正箇所が増えているのだ。

 円香は自分が我慢強いほうだと思っていたが、この無限改稿地獄にはほとほと心が折れかけていた。担当編集が賽の河原の鬼に思えた。

 仕事が終わった後、毎日二時間、土日は一日中改稿作業をしている。その生活がもう半年ほど続いていた。

 心身共に疲労はピークに達している。


 ──もう本を出すのは諦めてしまおうか。

 何度そう考えたか分からない。

 私には無理です。限界です。ごめんなさい──担当編集との打ち合わせの度に、喉から出そうになる。

 だが、小説を書き始めて三年近く、やっと掴んだチャンスだった。この機会を逃したら、次にいつ本を出せる機会がおとずれるか分からない。


(……私から、ギブアップしたくない)


 ここで逃げたら、きっとずっと後悔する。

 円香が顔をあげた、その時だった。


 ざあっと木々が揺れる音を立て、大きな風が吹いた。

 円香はショートボブの髪をおさえながら、目を見開く。

 気がつくと、青々とした木々が立ち並ぶ公園のようなところにいた。

 そして目の前には、白亜の壁の四角い建物があった。建物の前にはこれまた四角い看板があり、青い文字で『青樹あおき医院』と書かれていた。


「こんなところに、病院……?」


 体調を崩した円香は昼過ぎに早退した。今は午後二時。こんな中途半端な時間帯に開いている病院はなかなか見つからず、スマホ片手に途方にくれていた。


(開いてるのかな……?)


 看板には診療時間が書いてあった。平日午後二時から八時とある。休診日は木曜日と日曜日。今日は火曜日だ。

 珍しいと思った。スマホを使って探したが、病院はどこも平日は午前中のみか、午後は夕方からしかやっていないところがほとんどだった。

 目の前にいる青樹医院は内科と循環器科らしい。

 とにかく今は具合が悪くて仕方ない。点滴でもしてもらえたらと思い、円香は病院の白い階段を昇った。


「こんにちは~……」


 恐る恐る扉を開ける。病院らしい消毒薬のツンとしたにおいがした。

 土足禁止らしく、大きな下駄箱とその中には緑色のぺったんこなスリッパがあった。円香はパンプスを脱ぐと、スリッパに履き替える。

 青樹医院は、今時珍しい昭和レトロ感満載の病院だった。入り口の扉の小扉に使われたガラスは、雪の結晶のような模様入りのすりガラスで、このガラスは今はほとんど作られていないのだとネットニュースで報じられていた。

 

 学校の廊下みたいな灰色の床の上を、スリッパでぺたぺた音を立てながら歩く。診療時間内のはずだが、他に患者の姿は見当たらない。

 奥にはカウンターがあり、そこには看護師が一人いた。


「あらあらっ!? こんな時間に患者さん! 珍しいっ!」


 自分の母親と同年代ぐらいの女性はかなりふくよかで、背は円香よりも高い。ぱつぱつの白い看護服を着ていた。髪型は根元からくるくる巻かれた所謂おばちゃんパーマで、頭には今どきなかなか見かけないナース帽がのっている。


(……珍しい?)


 看護師の言葉が引っかかる。もしかして、ここは何か問題のある病院で、近隣の住民から敬遠されているのではないか。

 不安になったが、もう他の病院を探す気力はない。

 問診票を渡され、待合室にあった革張りのソファに座る。問診票に、名前と住所、そして症状を書く。

 眩暈めまい、肩こり、頭痛、……。この半年間、円香は慢性的な倦怠感に悩まされてきた。

 問診票を看護師に渡すと、彼女は人の良さそうな笑顔を浮かべて「少々お待ちくださいね」と言った。

 人当たりの良い看護師に、ホッとする。


 手持ち無沙汰になり、首を巡らせる。昔ながらの細長い蛍光灯が光る天井の隅には、プロペラ付きの扇風機と、いつからそこにあるのか、ブラウン管のテレビが鎮座していた。

 古びた木製の本棚にはずらりと漫画が並んでいるが、最近の漫画はなく、昔の名作系のものばかりだ。


(まるで昭和にタイムスリップしたみたい)


 平成生まれの円香は昭和の時代を知らない。だが、近所の祖母の家によく遊びに行っていたので、馴染みはある。

 今座っている革張りのソファも、かつて祖母の家のリビングにあったものとそっくりだ。今はなかなか見かけない。


(落ち着くな……)


 懐かしい雰囲気に、あれだけ辛かった眩暈が和らいでいく。他に患者がいないこと、看護師が「患者さん、珍しい」と言ったことは気にかかるが、この昭和レトロな雰囲気は好きだと思った。


幸島円香さちじま まどかさん、診察室にお入りください」


 名前を呼ばれ、厚手のカーテンで仕切られた部屋に入る。

 昭和感満載の病院に、きっと医者は老齢の男性なのだろう──と円香は予想していたのだが。


「こんにちは、今日はどうされました?」


 ぱりっとした白衣に身を包んだ医者は、肘つきの黒い椅子に腰かけていた。だが、円香が想像していたような老人ではない。緩く波打った黒々とした前髪の下には、長いまつ毛に縁取られた切れ長の目が覗く。

 どうみても三十歳前後の若い医者だった。しかも目鼻立ちと口元が整ったかなりの美形だ。恋愛ドラマに出てくる俳優のようだと円香は思った。


(若いお医者さんだな。最近、この病院を継いだとかかな……?)


 円香が小学生の頃から通っている歯医者も、最近代変わりした。医者が変わるタイミングで病院の外観も内観も大きく変わって現代的になったことを思い出す。

 この青樹医院も、そのうち現代的な病院に変わってしまうのかもしれない。


「あの、眩暈と頭痛があって、この半年間ずっと倦怠感に悩んでて……」


 俳優のような美形の医者に緊張しながらも、円香は症状を話す。まだ若そうな医者なので、自分の不調は解決できないかもしれない、と考えながら。

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