3
「真央?」
「……そんなの、姉ちゃんは、悪くない……。」
呻くように言って、真央は確かに涙の雫を落とした。テーブルに散った、透明で丸い雫を見て、貴子はほとんど反射で真央の肩を引き寄せていた。
「……ありがとう。」
それ以上、言葉が続かない。自分まで泣いては仕方がないと思うから、泣きはしない。10歳で、母が血を吐いた夜にパニックで泣き叫んで以来、涙を流したことはなかった。
「ありがとうね、真央。」
育ちがいい空気感をそこかしこに残しながら、15歳から売春を続けている真央。彼にだって、幸せな過去はないのだろうに、こうやってひとのために泣いたりする。やっぱり彼は、若い。若くて、うつくしい。
しばらく貴子の胸に抱かれて肩を震わせた後、指先で涙を拭った真央は、照れたように少し笑った。貴子も笑い返し、二人でシチューを食べる。
「弟さんとは、会ってるの?」
真央が器用にスプーンを操りながら、わずかに躊躇いの色がある口調で訊いた。貴子は苦笑し、曖昧に首を振った。
「大学入学が決まったときに会って以来よ。……もう、一年近く会ってないのかな。」
「……どうして?」
「……弟が会いたがらないし、私も、ね。」
「姉ちゃんも?」
「観音通りにいるって、弟は知らないの。」
「……そうなの?」
「うん。子どもの頃は、適当に誤魔化してたけど、今仕事の話とか訊かれたら、もう誤魔化しきれないと思う。」
貴子は心持ち俯いて、冷めかけたシチューをすくう。
「……言ったら、だめなの?」
「うん?」
「観音通りにいるって。……弟さんだって、大人でしょ?」
そう言った真央は、真剣な目をしていた。そんな目をする真央を見たことがなかったので、貴子は彼を直視できずに下を向いた。
「……知られたくない。弟だけには。」
「でも、」
「知られたくないの。」
「……。」
売春をしていることを、誰に知られても構わない。こうやってひとりで生き延びてきたのだと、胸は張れないまでも、言い切ることはできる。でも、弟は違う。父も母も失った弟に、姉まで失わせたくはない。そのためなら貴子は、どんな嘘でもつける。
「……不思議ね。」
思わずつぶやくと、真央が首を傾げて貴子の方を向いた。貴子は真央の肩を撫でながら、泣きたい気持ちで言葉を接いだ。
「弟の側にいるために施設を出て、売春してお金も作った。それなのに、どんどん弟が遠くなっていくみたい。」
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