夢の中で幼なじみに鼻ナポ告白してフラれたんだけど、これって現実でも脈なしってことですか?
彩世ひより
第1話 なぜ! 鼻でナポリタンを啜っていた!
もし、自分の気持ちをよどみなく言葉にできたならば人はこれほどまでに思い悩むことはないのかもしれない。
胸の奥の想いをありのままに相手に伝え、そして温かく受け止められたのならば、夜ごと枕を濡らすような苦悩など存在しないだろう。
けれど現実は、いつも「どうしよう」という戸惑いから始まる。そしてその入り口は、まるで運命の悪戯のように予期せぬ瞬間に目の前に現れるのだ。
「フラれた……!」
バサッと勢いよく枕に顔を埋め、頭を何度も左右に振る。
まるで悪霊に取り憑かれたかのように髪を振り乱しているのは、私、神代紫(かみしろゆかり)親しい友人からは、もっぱらユカと呼ばれている。
自分で言うのもなんだが、容姿は中の上、いや、少し贔屓目に見て中の上の中、といったところだろうか。
息を呑むほどの華やかさはないけれど、その他大勢に紛れてしまうほど地味でもない……はず。
天から遣わされたのではと疑うほどの超絶美少女の智絵里は、私のことを屈託なく「可愛い」と言ってくれる。
自慢であり宝物である幼なじみに、私は夢の中で無残にもフラれたのだ。
それも、考えうる限り最低最悪のシチュエーションで。
夢の中の私は、一体全体、どんな血迷い方をして智絵里に告白しようなどと思い立ったのだろう? しかも、あろうことか、鼻の穴からのナポリタンを景気よく啜り上げながら「好きです」などと。
そんな状況では、相手がどれほどの慈愛に満ちた聖人であろうと、歴史に名を残す絶世の美女であろうと、眉間に深い皺を刻み「ノーサンキュー」と丁重に、しかし断固として断るのが道理というもの。
夢の中の智絵里も、その美しい顔に困惑と、ほんのわずかな嫌悪……いや、憐憫の色を浮かべて、静かに、しかしはっきりと首を横に振ったのだった。
あの時の、わずかに伏せられた睫毛の影が、妙にリアルに脳裏に焼き付いている。
それにしても、なぜ夢の中で私は鼻からナポリタンを啜っていたのか。
夢の中では時空も物理法則も歪むとはいえ、あまりにもシュールで、意味不明すぎる。
私の深層心理は、一体どれほどまでに奇天烈なのだろうか。
「でも……それで、こんなに胸が痛くて、悲しいってことは……私、智絵里のことが、好きなんだな……」
ぽつりと、自分でも意図せずに言葉が唇から零れ落ちた。
それは驚くほど静かに、しかし確かな重みを持ってすとんと胸の奥底に落ちた。
まるで、長年探し続けていたパズルの最後のピースがカチリと音を立てて嵌まった瞬間のように。
幼い頃から、いわゆる「恋」という感情を私は経験したことがない。
少女漫画を読んでも登場人物たちの熱烈な愛情表現や、切ないすれ違いにどこか一歩引いた冷めた視線を送ってしまう自分がいた。
智絵里が「これ、すごく感動するよ!」と目をキラキラさせて貸してくれた漫画も、物語の筋書き自体は面白いと感じるものの、そこに描かれる恋愛の機微、甘酸っぱさや胸を締め付けるような切なさについては、どうしても他人事のようにしか感じられなかったのだ。
登場人物たちが悩み、傷つき、それでも相手を想い続ける姿は物語として興味深く見ることができた。
けれど、なぜ彼らがそこまで心をかき乱され、些細なことで天にも昇る心地になったり、地の底に突き落とされたような絶望を味わったりするのか、その感情の核心には、まるで分厚い磨りガラスを隔てているかのように、触れることができないままだった。
それが今、鼻からナポリタンを啜りながらフラれるという、あまりにも滑稽で情けない夢をきっかけに、私は自分の中にずっと前から潜んでいた感情の正体に、はっきりと気づいてしまった。
重い体をのろのろとベッドから起こし、朝の支度を始める。
鏡に映る自分の顔は、心なしか寝不足気味で、目の下にはうっすらと青い影が落ちている。
リビングへ行きトーストをかじりながら、朝のニュース番組を眺めていると、キッチンで朝食の後片付けをしていた母の声が軽やかに飛んできた。
「智絵里ちゃんがお迎えに来たわよー」
その瞬間、まるで条件反射のように、背筋が意思とは無関係にピンと伸びた。
智絵里。夢の中で私をあのナポリタンごと(ナポリタンに対する熱い風評被害)無慈悲にフッた相手が、今、この家の玄関にいる。
――そして何より、今朝、彼女への恋心をはっきりと自覚してから初めて顔を合わせるのだ。
心臓が、ドクン、ドクン、と大きく、まるで警告音のように跳ねる。
なぜだ。朝、智絵里が迎えに来るのは、小学校の頃からの当たり前の日常なのに。
どうして、こんなにも胸が騒ぎ呼吸が浅くなるのだろう? まるで、生まれて初めて会う人に対するような、そんな緊張感。
慌てて残りのトーストを口に詰め込み、牛乳で喉の奥へと流し込む。
玄関へと向かう足取りが、妙にぎこちなく、まるで自分の体ではないみたいだ。
ドアの前で一度立ち止まり、小さく深呼吸を一つ。震える指でゆっくりとドアノブに手をかける。
「おはよう、まだご飯?」
ドアを開けると、朝の柔らかい光がまぶしく差し込んできた。
その光の中に、智絵里が立っていた。いつもと同じの夏用の制服。
アイロンがきちんとかけられた真っ白な半袖ブラウスは清潔感に溢れ、襟元には控えめな紺色のリボンが結ばれている。
胸ポケットには小さな校章の刺繍。スカートは、紺とグレーを基調とした上品なチェック柄で細かなプリーツが歩くたびに軽やかに揺れる。
膝が隠れるか隠れないかくらいの絶妙な丈。
今日はなぜか、後光が差しているかのように神々しく、そして切ないほどに綺麗に見える。
「お、おはよう! う、うん。すぐに食べる、っていうか、もう食べ終わった!」
しどろもどろになりながら答える私に、智絵里は不思議そうに小さく首を傾げた。その仕草一つでさえ胸がきゅんと締め付けられる。
「それはダメだよ。ちゃんとよく噛まないと、消化に良くないって、いつも言ってるでしょ」
少しだけ眉を寄せつつ発せられる優しい声。気遣わしげな、真剣な眼差し。ああ、もう、この子のこういうところが、本当に、どうしようもなく好きなんだ。
そう思った瞬間に自分の単純さに苦笑いしたくなる。けれどそれ以上に、どうしようもなく愛おしい気持ちが胸いっぱいに広がっていく。
改めて智絵里の顔をまじまじと見つめてしまう。その完璧なまでの造形美に息を呑む。
幼なじみという贔屓目を抜きにしたとしても、これはもう、神様が特別に精魂込めて創り上げた芸術品だ。
100人中100人が、いや、世界中の誰もが、彼女を一目見れば美少女だと認めるだろう。
陽の光を吸い込んで艶やかに輝く長い黒髪。吸い込まれそうなほど大きく潤んだ瞳は、まるで夜空に輝く星々のよう。
少しだけ幼さを残しながらも、すっと通った気品のある鼻筋。
言葉を紡ぐ形の良い桜色の唇。華奢で触れたら壊れてしまいそうな、なで肩。
全体的に、どこか儚げで、守ってあげたくなるような、小ぢんまりとした愛らしい印象を与える。
身長は、平均よりも少し低いくらいだろうか。胸は……まあ、控えめだけれど、それがまた彼女の可憐さを引き立てている。いや、そんなことは、今はどうでもいい。
「……何? そんなにじっと見て。私の顔に、何か、ついてる?」
私のあまりにも熱心な視線に気づいたのか、智絵里が戸惑ったように問いかけてきた。
その声には、どことなく不安そうな響きが混じっている。
その純粋な瞳に射抜かれ、私は心臓が跳ね上がるのを感じながら慌てて言葉を取り繕う。
「う、ううん! 別に、なんでもないって! ただ、ちょっと……気になっちゃって……」
やってしまった「何か、ついてる?」という問いかけに対し、「気になる」と返答するのは「はい、あなたの顔には、私の心を激しく揺さぶる何かが確かについていますよ」と自白しているようなものだ。
その可愛い口元も、綺麗な鼻筋も、吸い込まれそうな瞳も、世界で一番制服が似合っていることも……。
そのどれもが、今の私にはうまく言葉にならない。普段であれば、じゃれ合いの一環として「今日の智絵里も、文句なしに可愛いね!」なんて、お世辞ではなく本心からの褒め言葉の一つや二つ、軽口のように、さらりと言ってのけていたはずなのに。
しかし、夢の中での、あの鮮烈すぎる失恋体験が、トラウマのように私の思考回路を鈍らせ、あらゆる言葉を億劫なものに変えてしまっている。
「気になる? やっぱり、どこか変かな? 前髪とか……分け目、ずれてる?」
智絵里は自分の前髪を気にしながら、さらに不安そうな表情を深める。その仕草さえ愛おしくてたまらない。
「ち、違う、そうじゃないんだってば! だけどね……ううん、もういい! ご飯、もう食べたから! 行こ!」
変なのはどう考えても私の方だ。支離滅裂で挙動不審。私は、努めて冷静さを装い、半ば逃げるようにリビングに戻って歯を磨き、自分のスクールバッグを掴む。
玄関でどことなく所在なげな様子で待っている、愛しい幼なじみと再び合流する。
「ごめんね、待たせて」
「ううん、全然。大丈夫だよ。それに、こうして待ってる時間、結構好きだから」
「好き」――その、たった二文字の言葉が、鼓膜を震わせた瞬間、心臓が、まるで打ち上げ花火のように、大きく、高く、空へと打ち上がった。
いや、落ち着け、私。智絵里は「待っている時間」が好きだと言っただけだ。
私のことを好きだと言ったわけではない。そんなことは百も承知だ。
わかっているけれど、それでも、何故だか、たまらなく嬉しくて、心が晴れ渡っていくのを感じる。さっきまでの、悪夢の残滓のような憂鬱が、嘘みたいに消し飛んでいく。
中学二年生の頃から、少しずつ自己主張を始めた胸が、まるで喜びのあまり、ぽよんと、ささやかに跳ね上がるのを感じた。
まあ、胸がほんの少し揺れたところで、彼女が私を好きになってくれるわけではないだろうけれど。
それでもこの、胸を満たす温かくて甘い喜びを今はただ、大切に、大切に抱きしめていたいと思った。
私たちはいつものように並んで、朝日が眩しい通学路を歩き始めた。隣を歩く智絵里の横顔をそっと盗み見る。
朝の柔らかな光の中で彼女は昨日よりも、ずっと、ずっと、切ないくらいに綺麗に見えた。
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