十年目の暴露②

 そうして、図書館について遅れること三十分。どこか不機嫌そうな文葉が隣にやってくる。

 はて? と思われた疑問は、文句として解消された。


「なんで、急に先に行っちゃうかな? せめて連絡とかしない?」


 千賀浦から逃げようとして単独行動していたのだ。渡会の登場で、自分の動線を忘れていた。


「ああ、その手があった」

「異世界人なの?」

「悪かったよ。いつも通りだと思って」

「最近は勉強で一緒だったじゃん」


 椅子に背中を預けて、むぅと唇を尖らせる。豊かな文葉の表情の中でも、一等に幼い。


「だからだろ」

「なんで?」


 拗ねた顔に、渋い皺が寄る。絶妙な顔色を難なくやってみせるものだ。


「噂になりかけてるってさ」

「今更過ぎない?」

「確実なのは面倒だろ?」

「否定しない。でも、なんで今更?」


 復唱される今更は、確かにその通りだった。

 俺たちはもう一ヶ月近く、学校から図書館まで一緒に行動している。いつどこで誰に見られていたっておかしくはないし、噂になるならとっくになっていてもおかしくない。

 それこそ、渡会だってよく見ていれば俺に問いかけに来るまでもなかったはずだ。そうして、気がつく。今更もたらされたことを今知る文葉は、渡会から探りを入れられることはなかったのだ、と。

 当人に直撃する愚直さはなかったということか。友人だからこその遠慮があったということか。ならば、その配慮を俺にも見せて欲しかったものだ。

 こうなっては、擦り合わせようとも言い出しがたい。探りを入れられたなどと告げていいものか。

 告げ口だなんだと幼稚に責められても困るが、その発想に至ってしまうと無視することは難しい。こうしてぐだぐだと黙考して、足踏みばかりする。弱腰は俺の癖になってしまっているのかもしれない。

 すべてにおいて馬鹿らしいことだ。


「試験前で図書室に人が増えてきたからだろ」

「えー、面倒だなぁ。せっかく、章人くんに教えてもらえて良い感じだったのに」

「図書室はしばらくお預けかもな」


 学校での対応を示し合わせているわけではない。暗黙の了解で距離を測っているだけだ。文葉はそれが不服とばかりに、机の上に突っ伏した。


「……文葉?」

「面倒事は嫌だから、同意はしてるよ。あたしはいいけど、章人くんは変な誤解とかされると嫌でしょ? 好きな人がちゃんといるわけだし。でもさー、中断されるのはなんか釈然としないっていうか」

「こっちですればいいだろ」

「図書室よりは喋りづらい」


 学校図書室だって、静かではある。けれど、教室のひとつだ。授業中は静かにするけれど、雑談するものはいる。

 それに比べると、図書館は公共の施設だ。小さな子どもの声ならば容認されても、分別のつく年齢ともなれば眉を顰められる。

 ましてや自分たちは日頃からの利用者で、館内の様子を分かっているし、良識がある。図書室じゃ構わないと言うつもりはないが、その差はあった。


「学習室を借りるか」

「いいの? 二人だよ?」


 グループ学習のための部屋と銘打たれているが、使用人数が規定されているわけではない。さすがに一人は無理なので、利用したことはなかったが。

 あの部屋が埋まっているのを見たこともあまりない。ごくたまに複数人の中高生が和気藹々と勉強しているが、この十年の集計をもってしてのごくたまに、は本当に数えるほどだ。


「空いてるならいいだろ。時間決まってたはずだけど」

「じゃあ、借りよう」


 フットワークの軽い文葉は、言って立ち上がる。俺はそのブレザーの裾を引いた。思いきり手首を掴むほどではない。それが自分たちの在り方だった。


「今日はいいだろ? 大人しくしとけば。次からで」

「面倒くさがりだよね、結構」

「それもある」


 同時に、カウンターに視線を投げる。

 カウンターが見通せるわけではない。本棚が並んでいて、透視能力でもなければ見えることはなかった。

 だが、透視能力はなくともエスパーがあれば……ごく普通に、俺の感情と図書館の構造さえ分かっていれば、俺の心中を察することはできる。それが読むことに長けた文葉であるならば尚更。


「今、棚田さんがカウンターにいる、と」

「さすがの俺でも学習室二人で使いますなんて申請したくない」

「あたしが行ってくればよくない?」

「……悪いじゃん」


 これは完全に俺の我が儘だ。自ら提案しておいて、場所取りを相手になすりつける。それも、個人的な理由で。

 そのうえ、直接申請しないで済んだとしても、そんなものは速攻でバレる。同じ空間に二人でいるのを目撃されるのなんて、すぐだ。くだらない弱腰でしかない。

 追いかけたいと願っている。そのくせ、足踏みばかりをしていた。渡会の対応と同じだ。

 それにしたって、いつから走ることができなくなったのか。恋に気がついたときのほうが、俺はもっと無垢に穂架さんの眩しさに目を細めて、気炎を上げられていたような気がする。

 はぁと吐息を落とした文葉が、席へ腰を戻した。それから肘をついてこちらを見てくる。普段は、お互い自分の手元に夢中になっている。それでなくとも、顔を見合わせて話すことは少ない。

 だからか。こうしてまともに対面すると、心が構えた。


「章人くんはさ、人がいいんだよね」

「は?」


 非難されるとまでは思っていない。だが、呆れられたり発破をかけられたり、そういう言葉が出てくるのではと思っていた。

 当てが外れた俺に、文葉は片眉を上げて苦笑する。


「あたしのこと利用するくらい貪欲になればいいのに」

「それとこれとは別だろ」


 本当にそうだろうか。いや、別のはずだ。貪欲になるからと言って、同志を利用していい理由にはならない。

 だが、それくらい貪欲にならなければ、現状は打破できないだろう。それが分かっているから、持ちかけるように言われてしまうと自問自答が湧き出すのだ。無駄な問答でしかない。


「いい人過ぎてしょうがないから、今日は許してあげよう。でも、明日は覚悟決めてよ。カウンターにいる時間だったとしても、容赦しないからね」

「文葉のバイタリティには負けるよ」

「負けてくれるなら何より。っていっても、誤解にならないようにはしたいけどさ」

「覚悟を決めておくよ」


 突かれたときに、否定する言葉を用意しておくしかないだろう。誤解を解くのは、俺の領分だ。解きたいのは自分なのだから。

 渡会のときとは違う。曖昧に伏して逃してしまっては困るのだ。

 ……一方で、本当に誤解されるのかという疑問は拭えない。

 俺に対してそういう発想が育っているのか。そこまで成長を侮られているとは思いたくはない。その真実に手をかけるのでは、と思うと覚悟は決めなければならないのだろう。

 文葉は肩を竦めて、こちらの背を叩いてきた。洒落っ気のある仕草もさまになる。淑女に見えるほどに楚々としているのに、心意気は男前なのだ。

 敵わねぇなぁ、と苦味を噛み下した。

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