第四章『たちのぼるある種の夢』

第一話「人の体に翼」

 感じたのは、強烈な違和感。何が、というわけでもないが、何かが違うという感覚。悪寒がする。そして、思い切って開いた目だけは違和感もなく、ただ当然のように私の目として機能した。

 私の目が捉えたのは、灯りだった。灯が点々と遠くに違和感は、さっきまで明るかった世界が急に薄暗い灰色の世界になってしまったことと、そこの空気は生きているように粘ついていてとても不快だということと、その灯りは見たことのないような赤紫の炎だったということ。それどころか、その灯りは柱一つなく、ポツンと空に浮いている。それ以外ははっきり見えない。ここがあの世。ならば、この先にあるのは地獄の審判か?

 進むかどうか、少し迷った。しかし、進むしかないと認識した。彼女はもう長くない。始まりの草原で倒れ、私が王都に立つその日までついに目覚めなかった。状況は一刻を争う。だというのに、どこにあるかわからない薬草をしらみつぶしに探す時間などない。この誰が作ったのか分からない道の先に行くしかない。

 そう決めて、私は灯りを追いかけた。その最中、興味本位で後ろを振り向いた。後ろも暗く良く見えない。確かなことは、門の後ろには灯りがついていないということ。嫌な予感がしたのは確かだった。しかし、それでも歩みを止めることはできない。

 灯りの先に現れたのは、階段だった。地面が四角に抉られ、その下に細い階段が続いていた。階段は、鉄と何かの骨を組み合わせてできていた。鉄という無機物。骨という有機物。それを組み合わせるという違和感が、私の心にあった不安の火を煽った。

 明らかに、人間の仕業ではない。しかし、行くしかない。私は顔を隠すためにコートを深く被り、階段を降りていった。

 螺旋の階段。一段、一段と足を進めるたびに聞こえてきたのは、人の声。しかし、それは安心につながらなかった。むしろ、一段足を落とすたびに不安の火は大きくなっていく。

 階段の構造が故に降りても降りてもその光景は目に入らない。しかし、永遠に続く階段などない。光が足元に忍び寄ってきた。影がなくなることが却<かえ>って恐ろしい。あと半周すれば、私はこの地下の中に足を踏み入れてしまう。

 私は勢いよく階段を下った。ふと、脳裏をよぎったのだ。あの少女はどれだけの不安の火を心に宿していたのだろう、と。それを隠して私と話すのはどれだけ辛かったろう、と。

 彼女に比べれば、私の炎のなんと小さいこと。自らが靴の裏で鉄を蹴り飛ばす高い音を聞いた。

 私はその炎を握りつぶした。そして、たどり着いた。

 そこは、商店街のように見えた。洞窟の丸い天井から紫色の炎が見えない糸で吊るされている。そして、その炎が暴れて、次に軒を連ねる異形の商店が見えてきた。私の目の前にあるその店は、鉄と骨とで構築され、赤黒い塗料で装飾された壁。真ん中に拳が通るかどうかの穴があるだけの壁。その横には、「つかみ取り」と一文。そして、その店の軒先に吊るされた炎に照らされ、もう一つの異形が見えてきた。

 一人の少女が、例の商店に背を向け立っていた。どうも相当嬉しいことがあった様子で、このまま行っていいのかな、という具合に時折振り返っては肩を上げる。その肩には翼が、手には人間の頭蓋骨が。少女はバサバサと羽を動かし、笑みを浮かべながら頭蓋骨を手の内で回転させ、顎の方を上に持ってきて、齧<かじ>った。ガリリ、という確実に骨を噛み砕いた音が聞こえた。そして、急いでフードを被り、少女は去っていった。

 人の体に翼。白く、しなやかで、どこまでも飛んでいけそうな翼。すると、今見たのは天使か。しかし、とてもそうだとは思えなかった。どちらかというならば、悪魔。今の頭蓋骨、古くて変色していたが間違いなく人間のものだ。彼女らは、人間を食べる。少なくとも骨は齧る。より深くフードを被った。周囲を見渡したが、全員が背中に翼があるわけではない。その細い命綱を握りしめ、私は商店街へと身を投じた。

 

 商店街を一人歩く。鼻をつく異臭は都会のゴミ臭さに血の匂い。傍<かたわ>らでは誰かが倒れ死んでいて、傍らでは誰かがそれを食っている。見たこともない大きさのドブネズミが死体から流れ出た赤い血を啜<すす>っている。それでも、人々は互いに話しながら、楽しげに買い物を楽しんでいる。しかし、その声は地を這うように低くハスキーで、声を出すのに向いていない声帯で人間が話すのを真似しているように思えた。

 その異常性と違和感に、心が戸惑いと恐怖の声を上げようとする。それを必死に押し殺し、私はゆっくり歩いた。急<せ>いてはいけない。ここに何をしにきた? 奇跡の花を見つける為だろ? なら、好都合だ。偶然入ったところが商店街。こんな幸運はない。私はゆっくりと左右を見渡しながら歩いた。

 そこで気が付いた。尾けられている。一定の距離で私の後を追い、その距離が縮まることも遠ざかることもないように私に合わせて立ち止まり、歩き出す何者かがいる。

 現実世界で尾けられたことは一度しかない。故に、正確に何人かはわからないが、一人ではない。一体いつからだ?

 歩幅を少しずつ大きくする。ゆっくりな歩き方なのは変えず、一歩一歩で少しずつ差をつけ、追っ手を巻くことにした。

 角を曲がる時、人混みができていた。角にある店からは耳慣れない動物の低音から高音に変わっていく「ギィーーーーー」という悲鳴と、鋸<のこぎり>を引く音が聞こえた。残虐な連想が頭をよぎる。しかし、それを見ないようにして私は群衆の中に紛れた。群衆は列をなしていない。このショーを見に来ただけだから、当然といえば当然だ。それが功を奏した。

 悪魔の服装は多様だった。翼を持つ悪魔の他に、細く長く、先端の部分が矢のような形になっている悪魔もいる。服も多様だ。隣にいる悪魔は武器商人のようにコートを広げ、そこには無数の骨が留められていた。幸いなことに、多少のファッションの違いはあるものの悪魔は全てコートを着込み、マスクを着けている悪魔はいないので完全に隠れるわけではないが、顔が見えないようにフードを被っている。どういうわけか「錆びた」コートである。そんなコートのどこから翼が出ているのか気になったが、それは今考えるべきことではない。

 考えるべきは、「私のコートは錆びているように見えるのか?」ということ。手元を見ても、明らかにそんな感じはしない。世界を跨いで素材が変わったわけではないらしい。なら、紛れているのも時間の問題か。

「失礼、ちょっと」

 突如、割り込みがあった。悪魔に雌雄があるのかは知らないが、男の声だ。無駄に事を大事にしたくない。私は男を通した。すると、その男は振り向いた。

「貴方、翼魔<よくま>でないことは明白ですが、尾魔<びま>でもありませんよね」

 フードの奥で、男は笑っていた。それも、恍惚とした表情で。歪み切った口角で。蕩け切った目で。

「私はもう帰るところです」

 こんなことに意味があるのかはわからないが、彼らを真似しできるだけ低く小さな掠れ声で言った。この男は異常だ。そして、尾けてきた人間である可能性が極めて高い。私は反転し、タックルで人の壁を強引にでも抜けようと思った。しかし、動かない。見ると、そこには男女構わず数人の悪魔。誰も彼も笑っている。

 そうか、こいつらは全員……。

 そう、面食らった時だった。後ろに引っ張られた。髪が? と一瞬思ったが、それは違う。引っ張られたのはフードだ。焦って手を伸ばすも、触れたのは自分の髪の毛だけだった。

「ああーッッッ! 人間、人間、人間だぁッ! 僕、みんなから怒られてばっかりで! ミスばっかで! 今回も角魔さんが角を隠してるだけかなってッ! そしたら僕、またボコボコにされんのかなって思ってたけど! 今回は『大当たり』だぁ〜ッ!!!」

 低い声が僅かに、裏返ったように高くなる。一瞬で周囲の視線が私を捉えた。目の色が変わり、空気の質さえも変化する。なんとかして前の悪魔を突破するしかない。もう一度タックル……と思考していた瞬間、背中に衝撃が走った。

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