第三話「心臓をぐらりと揺らした」
過ぎたことを悔やんでも仕方ない。今すぐ打たなくてはならない手があるのに、そんなことに時間を使う暇はない。
「あ、あの子からもメッセージが来てた……」
「なんて言ったっけ……」と勝手に通知を遡られる。「ほら」と言われて表示された名前を見て、私は思わず吐き気を覚えて、口を手で抑えた。
その子は、私の初恋の子で。気持ちを言えないまま彼氏を作ってしまったあの子だった。
「……返信は……してないよね?」
「それは、もちろんそうだけど……」
「私、正直こんなことして欲しくなかった」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ママが再び崩れ落ちる。けれど、私は淡々と話を進めた。
「でも、それはいいよ。善意でやってくれたわけだし。それよりさ、スマホの充電コード、短くて使いにくい。コンビニでいいから延長コードを買ってきてくれない?」
そして、夜になった。女医の説明によると、検査入院だが病棟は精神科のものになるとのことで、タイミングは今しかなかった。
夜。私はスマホの充電コードと延長コードを結び付け、首絞め自殺を図った。
苦しい。苦しい。ナースコールに手をかける。だけど、まだ押すな。これでは臨死世界に行けない。だけど、手遅れになってから押しても意味がない。本当に死んでしまうから。
脳に酸素が送られていないからか、意識が曖昧になってくる。苦しい。視線が揺れて、物がよく見えなくなる。苦しい。喉の痛み苦しみすら感じなくなって、なにも見えなくなってから私はナースコールを押した。
気がつくと、私は映画館に座っていた。
「成功……なのかな」
映画は初回に見たものと同じ、遅すぎる走馬灯。上映終了まで、私は目を瞑っていた。
ふと、手を握られた。温かい。
その時分かった。あの映画館には、温度がないのだ。冷たいとも温かいとも思わない、世界の一部が欠落した場所。そんな場所で手を温かいと感じる。理由はわかっていた。
目を開ける。その前に、何か言っておくか。
「私って凄いよね」
握る手が跳ね、力が入る。
手振りと共に「ばぁ」と目を開けた。
しかし、目に入ってきたのは私の想像とは違うもので、大いに戸惑った。確かに手を握っているのは岬で、彼女は私が起き上がった喜びからこちらに抱きついてきた。しかし、その奥には大名行列ができていた。みな、身なりが良く、恰幅が良く、堂々としていて、幾らかの兵士を携えていた。
「本当に蘇ったぞ」
誰かがそう呟いたことを皮切りに、列はざわめき出した。そして、先頭の背の高い男がおずおずと前に進み、
「謁見できて光栄です、来訪者様」
と挨拶した。
「来訪者様」。こいつは、私の存在を知っているのか。しかし、どうして? 私は自己紹介をしていない。岬が紹介したのだとしても、わざわざここで待つほどの根拠にはならないだろう。
「まずは、先程の行いについて謝罪をさせていただきたい」
「先程の行い……?」
復唱すると、ただでさえ温かい手がより温かくなった。見ると、岬は涙を流していて、それが冷えた指先にぽちゃんと落ちているのだった。
「困惑する状況でしょうから、まずは状況の説明をさせていただきます。私は国王陛下から外務卿として交渉を仰せつかっている者です。まず、あなた様はお連れの方によってここ、王都の病院に運び込まれました」
お連れの方。岬のことか。名前くらい呼んでやれと言いたくなる。
「ですが、金銭がなく医療行為が受けられる状況ではないということが判明しました。しかし、そこは幸運というのか、王立の病院でしたので、お連れの方はあなた様が来訪者であり国王陛下と面会するつもりだということを医者に伝えました。医者も信じてはいませんでしたが、報告があり、我々は一応使いの者を送りました。そして、使いの者にはこう命じました。『何かしらの形で不死性を試し、本物の来訪者様かどうかを報告せよ』と」
「そこから先は言わなくて良いです……!」
岬が取り乱したように叫ぶ。しかし、自称外務卿はそれに目もくれなかった。
「不死性を試すとは、即ち来訪者様を一度殺してみる、ということです。使いの彼は剣であなた様の胸を一突きしました。しかし、死なない。そういうわけで我々がやってきました。その方は申し訳ありません」
「は……? お前、それ死んでたらどうするつもりだったわけ……?」
外務卿は黙りこくった。後ろの誰も弁明はしなかった。岬は泣いていた。私は理解した。ああ、つまりは胸を刺して一人金のない庶民が死んでしまったとしても病院のベッドが一つ空くだけなのだ。彼らにとって命とはその程度のもので、だからこそ不死を崇めているのだ。
「後ろにいるのはみな噂を聞きつけてやって来た有力貴族の方々ですが……残念ながら挨拶する時間はありません」
くるりと踵を返し、外務卿は病室の外へと歩き出した。兵士二人がそれを追いかける。
「あなた様を王宮にお連れします。外には馬車を待機させております。さぁ、行きましょう」
医者は私を強制的に立ち上がらせた。丸一日寝ていたのだ、私は視界が真っ白になり、転倒した。しかし、床に顔面を強打することはなかった。
「岬……」
「大丈夫ですか……?」
ゆっくりと視界が戻ってくる。岬は倒れそうになった私の手を引き、抱きとめたのだった。社交ダンスのようなその構図に、思わず顔が熱くなる。別に、そんな目で岬を見たことはなかったけど、彼女が自然にとったその動作は私の心臓をぐらりと揺らした。
「も、もう大丈夫。ほんとに……」
「立てますか?」
「うん。ありがとね」
両足でしっかりと床を踏み締め、ぴょんぴょんと飛んで見せると、岬は年相応の喜びの表情を見せた。そして静かに、
「みぞれ様が生きてて良かった……」
と言って、彼女の重心がぐらりと揺らいだ。今度は、私が彼女を抱き止める番だった。目を瞑ったまま、彼女は小声で「ありがとうございます」と繰り返した。それが、母親と正反対に見えて、「私はやっぱり『ごめん』より『ありがとう』だな」と実感する。
罪の一族だとか来訪者の連れだとか、彼女は色んな言葉で形容されてきたが、私の胸の内にいる彼女は、やはり年相応の少女だった。見た目は、とても似ている。けれど、置かれている状況は全く違う。彼女は今中学生くらいだろうか。その十数年の間で何度差別を経験したのだろう。穴倉に押し込められ、恋をする相手にすら出会えない。
やはり、私は彼女の罪を精算すべきだ。彼女は確かに草花を乱暴にむしるかもしれない。けれど、今の彼女はまるで陽の当たらない花のようだ。
だとすれば、外務卿との交渉か。一筋縄では行かなそうだな、と思いつつも彼の背中についていく。
「お姉ちゃん……」
岬はうわごとのようにそう言って、ハッとしたように目覚めた。失言からかやけに顔を赤らめて、私からパッと離れる。
手まで真っ赤になっていた。
「手、蚊に刺されでもした?」
「多分……」
そう言って、彼女はワイシャツの袖を引っ張って手を隠した。
それから、私たち二人は絶妙な距離を保ちながら外務卿の後を追った。
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