第4章 突然の変化と偽りのアイドル①
4.1 予期せぬ出来事
4.1.1 充実した日常
楽屋の大きな鏡の前で、俺はヘアセットを整えながら軽く喉を鳴らした。
「NOVA STELLA」のデビューから、もう数ヶ月が経つ。
最初は右も左も分からないまま突っ走るしかなかったけど、今はもうアイドルとしての自分に違和感はない。
いや、むしろこの生活がすっかり「当たり前」になっていた。
「おーい、星弥! そろそろ行くぞ」
楽屋の扉を開けて、昴が顔を覗かせる。
相変わらずのノリの良さで、俺の肩を軽く叩いた。
「おう、行く行く!」
今日は人気音楽番組の収録日。
NOVA STELLAとして出演するのも、もうこれで三度目だ。
初めて出演したときは緊張でガチガチだったけど、今はステージに立つことが楽しくて仕方ない。
楽屋を出ると、廊下の向こうからファンの子たちの声が聞こえてくる。
「NOVA STELLAだ!」
「星弥くん、今日もカッコいい!」
──デビュー前までは考えられなかった光景だ。
「すごいよなぁ。俺たち、こんなに応援される存在になったんだな」
私がポツリと呟くと、海翔がふっと微笑んだ。
「お前の努力の結果だろ。最初はダンスも苦戦してたけど、今じゃ立派なセンターだ」
「……まあな!」
リーダーに褒められると、なんだかこそばゆい。でも、その言葉が誇らしくもある。
本番前のリハーサルを終え、本番のステージへ。鮮やかなライトがステージを照らし、イントロが流れる。
──俺たちの曲だ。
(さあ、楽しもう)
マイクを握り、私はいつものように歌い出した。
収録が終わり、帰りの車の中。
「いやー、今日のステージも最高だったな!」
隼人が窓の外を眺めながらぼそっと言う。和真が隣で「マジでそれな!」と元気に頷いていた。
「星弥、今日のハイトーン、すごく良かったよ!」昴が嬉しそうに言う。
「ありがと。でも、昴のフェイクもヤバかったよ!」
「マジ!? じゃあ、後でまた動画見て振り返ろうぜ!」
こうして、私は今日もアイドルとしての一日を終える。
充実感でいっぱいだった。
──こんな日々が、ずっと続くと思っていた。
家に帰ると、お母さんがリビングでのんびりと紅茶を飲んでいた。
「おかえり、星弥」
「ただいまー」
「今日はテレビ収録だったんでしょ? ちゃんと録画しておいたわよ」
「ありがとう、でも見るのちょっと恥ずかしいな……」
そんな私を見て、お姉ちゃんがクスクスと笑う。
「なに言ってんの、アイドルが自分の姿を直視できなくてどうすんの?」
「ぐっ……確かに」
軽口を叩きながらも、家の中は相変わらずのんびりした空気が流れている。
家族はすっかり「星弥」としての私を受け入れているようだった。
ベッドに横になり、天井を見上げる。
男になったこと、アイドルになったこと──
いろんなことがあったけど、今の私は確かに幸せだ。
(明日も、また楽しい一日が待ってるんだろうな)
そう思いながら、静かに目を閉じた。
4.1.2 予期せぬ変化 〜 女に戻った朝
***
朝、目が覚めた瞬間、違和感があった。
なんだろう、この感覚……。
いつもと何かが違う。
まだ寝ぼけているのかもしれない。
そう思いながら手を伸ばしてスマホを取ろうとする。そのとき、自分の腕が妙に細く、華奢になっていることに気づいた。
「……ん?」
ぼんやりとした頭のまま起き上がり、無意識に髪をかき上げようとして…
——異変に気づいた。
髪が長い。
肩を超えて、胸元まで伸びるサラサラの感触。
心臓が跳ね上がった。
まさか、そんなはずない。
こんなの、ありえない。
勢いよく布団を剥ぎ取り、ベッドから飛び降りて、部屋の隅にある姿見の前に立つ。
そこに映っていたのは——
男の私じゃなかった。
「——えっ!?」
鏡の中にいるのは、紛れもなく“神田星華”の姿だった。
肩幅が狭い。
腕が細い。
指もほっそりしていて、以前のように華奢な体つきに戻っている。
そして、胸元には……。
「ちょっ……うそ、でしょ……?」
震える手で自分の体を触る。
喉に手を当てて小さく声を出すと、聞き慣れた“女の子の声”が響いた。
「どういうこと……?なんで……?」
たしかに昨日までは“星弥”だった。
男の体になって、男子として学校に通い、アイドルグループ「NOVA STELLA」のメンバーとして活動していた。
それが——
なんの前触れもなく、元に戻ってしまった。
いや、戻るなんて聞いてない!
「これじゃ……アイドル、できないじゃん……!」
混乱と絶望が一気に押し寄せる。
どうすればいい? どうしたら……。
ドアの向こうからノックの音がした。
「星弥ー、起きてる?」
お姉ちゃんの声だった。
ヤバい、どうしよう。
このままじゃ……。
そう思った次の瞬間、ドアが開いた。
「ちょっと、勝手に——」
「——あ、戻ったんだ」
お姉ちゃんは星華を一目見て、特に驚く様子もなく、のんびりとした口調で言った。
「え、いや、そんな、さらっと言う!?」
「だって、まぁ……戻るかなーって気もしてたし?」
「いやいや、こっちは大パニックなんだけど!?」
「まあ、朝ごはんできてるよ。お母さんも『あら、戻ったのね〜』って言ってた」
「そんなテンションで済ませる話!?」
パニックになっているのは自分だけで、家族は相変わらずのマイペースぶりだった。
なんなのこの家族……!
でも、のんびり構えている場合じゃない。
星弥としての生活が、アイドル活動が、このままだと全部終わってしまう。
心臓が早鐘のように鳴る。
頭の中がぐるぐると回る。
どうしよう、どうしたらいい——。
……いや。
どうするかなんて、決まってる。
(——戻れない。戻るわけにはいかない!)
このまま「神田星華」として生きるなんて、もう無理だ。
星弥としての居場所を守るしかない。
なら、やることは一つ。
星弥を続ける。
「——よし!」
星華は大きく息を吸い込み、クローゼットを開けた。
そこに掛かっていたのは、星弥として過ごしてきた男子の服。
手早くそれを取り出し、迷わず着替え始める。
ウィッグを探し、帽子をかぶる。
声も低く抑え、仕草も男のときのものを意識する。
女の体で男を演じる。
今までと同じように——
いや、今まで以上に気をつけながら。
鏡を見つめる。
映っているのは、確かに女の体。
「……やるしかないよね」
胸の奥にある不安を押し込めながら、私は、部屋を出た。
***
4.1.3 絶対にバレてはいけない!
「うわ、やっぱ女の服と男の服って全然違うね…」
鏡の前で男子用の制服に着替えながら、私は小さくため息をついた。
もともと男の体になっていたときは、自然に着こなしていた制服。
だけど、今の私は元の女の体に戻ってしまっている。
つまり、167cmの細身の男子用の服は、158cmの華奢な女の体には少し大きすぎた。
「まあ、仕方ないよね。女の体に戻ったんだから、サイズ感とかフィット感が違うのは当然でしょ?」
姉の桜月がベッドに寝転がりながら、スマホをいじりつつ言う。
「うん。でも、これくらい誤魔化せば……大丈夫、だよね?」
「んー、ちょっと待って。もうちょい詰められるかも」
桜月は起き上がると、私の服装をじっくりチェックした。制服の学ランは少し肩が落ちてしまうけど、中に少し厚めのインナーを仕込んで肩幅を調整。
シャツも若干ダボついていたから、さりげなくタックインしてスッキリ見せる。
「よし、これで違和感は少し減った。あとは…」
桜月はメイク道具を取り出し、私の顔をじっと見つめた。
「星華って、すっぴんだとちょっと中性的なんだよね。アイドル活動してたときもメイクしてたけど、それとは違う“男顔メイク”しないと」
「男顔メイク?」
「そう。例えば、眉をちょっと太めにして、影を入れて彫りを深く見せる。あとは、ノーズシャドウを軽く足して、顔の輪郭をシャープにする感じ」
桜月は手際よく私の顔にメイクを施し、少しずつ「星弥」に近づけていく。
仕上がった顔を鏡で確認すると、確かにちょっと男らしさが増している気がした。
「おお……すごい」
「まあね。メイクは誤魔化しの技術だから。でも、問題は“動き”と“声”だね」
桜月が腕を組みながら言う。
「そうなんだよね……声は少し低めに喋ればいいけど、動きは意識しないと自然に女っぽくなっちゃうかも」
「そこは慣れるしかないかな。あと、歩き方とかも気をつけて」
「うん……やってみる」
男装は完璧。
でも、それだけで乗り切れるわけじゃない。
今まで通りの星弥として振る舞えるか、それが問題だった。
***
「星弥、ちょっと動き鈍くない?」
ダンス練習中、昴がふとそう言った。
「えっ?」
思わず固まる。
昴は特に疑う様子もなく、私の動きを見ながら首をかしげた。
「なんか、前よりキレが落ちたっていうか……ジャンプもちょっと低くなった?」
「そ、そうかな? ちょっと寝不足かも」
私は慌てて誤魔化した。
けど、確かに体が軽くなった分、以前のようなパワーが出せていない。
ジャンプの高さやターンの勢いが微妙に違うのは、自分でも感じていた。
「無理すんなよ? 体調悪かったら休めばいいし」
「うん、大丈夫!」
私は笑顔を作る。
でも、昴の疑念は消えていなかったようで、まだ何か言いたげにこちらを見ていた。
そこへ、海翔が口を開く。
「星弥、お前……なんか雰囲気変わったか?」
心臓が跳ね上がる。
「え?」
「なんつーか、前より線が細くなったような……。まあ、気のせいかもしれないけど」
鋭い。―――
やっぱり海翔は、他の誰よりも私の変化に気づいている。
でも、確信は持っていないようだった。
「最近、悩みでもあるのか?」
さりげない口調。
でも、その眼差しは鋭く、私の内側を見透かそうとしているようだった。
「え、いや、大丈夫! ちょっといろいろ考え事してただけ!」
私はなるべく明るく笑ってみせた。
「……まあ、お前がそう言うならいいけど」
海翔はそれ以上突っ込んでこなかった。
でも、海翔の視線はどこか探るようで、まるで私の正体を暴こうとしているみたいだった。
このまま続けられるのか?
練習後、一人になった私は、大きく息をついた。
「……やっぱり、難しい」
完璧にごまかせたつもりでも、動きや声、ちょっとした仕草で違和感は生まれてしまう。
このまま星弥としてアイドルを続けられるのか?
それとも、どこかでバレてしまうのか?
不安は尽きない。
でも、私は決めたんだ。
絶対に、バレるわけにはいかない。
「大丈夫、私は星弥。私は、私のままでアイドルを続ける!」
自分にそう言い聞かせるように、私は拳を握った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます