第2話 総督補佐官という役割
ブーツの踵がワックスを刷り込んだよく手入れされた廊下に小気味良く音を立てる。
教授の執務室がある廊下を、軽快な足音とは裏腹にげんなりとした思いで歩く。
向かうのはこの街の総督でもある教授の執務室だ。
窓からは相変わらず鈍い光が射す。すっきり晴れた日なんて生まれてこのかた見たことがない。それでも地べたにいるよりはよっぽどマシだ。
そんなことを考えていれば、早々に目的地についた。
凝った彫り物の入った両開きの大きな扉をノックする。ノックはえーと2回? いや3回だっけ?
まぁいいか。
「教授、俺だ入るぞ」
存在に扉を叩き、巣窟にすると同時にノブに手をかける。
ガチャリと重い音がして扉は開く。
「入室を断るならせめて返事を待ちたまえよテッド君」
髪をわしわしとかきながら踏み入れた先で、教授に呆れ顔が見えた。
執務机に向かって何やら書き物をしていたらしい教授のやれやれと言わんばかりの口ぶりにハンっと鼻を鳴らす。
「ノックはしただろうが」
この所、つまり俺がシェオル総督の補佐官とやらになってから、教授はやれマナーだの礼儀だの小うるさいことを言うようになった。
肩書きにふさわしい立ち振る舞いをしろと言うことなんだろうが、知ったこっちゃない。
当の教授も、「君にも困ったものだな」なんて苦笑いを浮かべてはみてもそれ以上責める気はないらしい。それよりも気になることがあるからだ。
「それで? 今回はどうだったね」
好奇の瞳が俺を見ている。
教授が言っているのは今朝の囚人兵の訓練の話だ。
まったく、囚人兵を訓練するだなんて馬鹿げてる。所詮囚人兵は使い捨ての駒だ。適当に使って使い潰しても構わない、元々そういう使われ方をされる代わりに死罪を免除された連中だ。連中に同情する気なんかさらさらない。
「酷いもんだ。連れて行った8人のうち生き残ったのは3人。いい加減こんな事無駄だと思うけどな」
辟易とした気持ちと一緒に吐き出した言葉に、教授は眉尻を寄せて落胆を露わにした。
「予想の範囲内だが--。ふむ、半数も生き残らなかったか。まぁいい。あとで報告書を提出したまえ。特に生き残った者については君の所感を詳細に頼むよ」
報告書、と言う言葉にピクリと眉が動く。苦虫を噛み潰したような気分だ。
「その報告書とやらってのはどうしても必要なのか? こうやって話に来てるだろう。それじゃダメなのか?」
俺が食い下がるのには訳がある。まぁ情けない話だが、俺は字が書けない。そんな俺が報告書とやらを用意するには、誰かに手を借りなきゃならないからだ。
「記録を残すことは重要だよテッド君。前任の総督が無能だったせいで、この街の過去についても異形についてもろくな記録が残っていない。そのせいで我々は一から調査せざるを得ないのだからね」
教授の言い分は正論だ。そう思う。
この街の呪いの源について何かわからないかと、教授は総督府に残る資料を探してみたらしい。が、結果は芳しくなかったらしい。原因は今教授が言ったとおりだ。教授がひどく不機嫌になっていたのを思い出した。
そのせいで囚人兵の訓練だなんて面倒を押し付けられているんだから、俺もとばっちりを受けていると言ってもいい。
それでも、だ。
上手い言い訳が思い当たらず言い淀む俺に教授は言葉を続ける。
「私の秘書官に口述筆記させればいいだろう。まぁ君たちに対する態度が悪いのは認めるが優秀ではあるぞ。それも嫌ならプリシラに頼んではどうかね。彼女は十分に読み書き出来たと思うが」
そう、そうなるんだ。
教授の秘書官に頼む。それは論外だ。あいつの見下した態度がどうにも我慢ならない。そうなれば、残る方法は一つ。
ため息混じりの教授の言葉に、バツの悪い思いをする。プリシラの名がでたとなれば尚更だった。
「--なんだ。まさかまだ関係修復できていないなんて言わないだろうね? 確かに今彼女をどう扱おうと君の勝手だが。君たちがそんなでは困る--」
「あーあー、わかったよ。とにかく報告書を出せばいいんだろう」
痛いところをつかれて乱暴に教授の言葉をさえぎり踵を返す。ドアノブに手をかけたところでまた教授の声が背中に投げかけられる。
「契約の更新も忘れずにな。あれはプリシラの異形化抑制のためにも必要なことだ。言わずともわかっているね?」
契約。人形であるプリシラの所有権を維持するための契約。その儀式。それもまた気の重い話だった。
振り返りもせずに手をひらひらと振って俺は教授の執務室を後にした。
教授との取引によってプリシラの所有権を手にしてもうひと月になろうとしている。
いい加減向き合わなきゃならない。それはわかってる。ただ、いつまで経っても心の準備ができないままだった。
ひどく暗鬱とした心持ちで俺はまた歩き始めた。
何故だか知らないけれど、偉い奴ってのは高い所が好きらしい。
まぁそれは置いておいても、地べたを
だからこの街で一番偉い総督の居室が一番高い所にあるのは頷ける話ではある。
廊下の窓から外に目を向ければ、シェオルの街並みが霧の中にそのシルエットだけを写している。
少し前まで地べたから見上げていた壁の天辺から、今は地べたを見下ろしているなんて、どうにも妙な気分だった。
この高みから見下ろしていれば、あそこが地獄のような場所だと言うことも忘れてしまいそうだ。なんて。
(何呑気なこと考えてんだ俺は)
小さくかぶりを振ってくだらない考えを頭から振り払う。
こういうつまらない事を考える時は、いつだって決まって考えたくない別の事がある時だ。
俺と同じように、総督補佐官の肩書きがついたプリシラは教授の執務室近くの一室に居を構えている。
廊下を歩けばさほど時間のかからない距離のその部屋への道のりはひどく遠いようで、心の準備をするには全然足りない。
教授の執務室の両開き扉に比べれば小ぶりな、しかししっかりとした作りの扉の前に辿り着く。
全く嫌になる程、俺って奴は情けない。大きく息を吸ってゆっくりと吐く。
とりあえずノックだよな。なんて考えていたときだ。
俺の不甲斐なさを嘲笑うかのように、運命って奴は底意地が悪い。心の準備が出来ていない俺に、その声が唐突にかかったのは当然のことだった。
「テッド……?」
聞き覚えのある、控えめな声。
せめて、これ以上みっともなく
声の主に振り返れば、そこには今は会わせたくない顔がある。
あんなにもう一度見たいと願った顔なのに。
まったく呆れちまう。我ながら酷い変わり身もあったもんだ。
正直あわせる顔もない。
「今日は、その。どうしたの?」
躊躇いがちに吐き出される言葉。そう尋ねるプリシラの表情は硬い。
目があったかと思えば逸らされる。いや、逸らしてるのは俺の方か。
「教授が報告書を出せってうるさくってな。それで、その……」
持て余す気持ちを誤魔化すように髪をワシワシとかき回す。
「あぁ、訓練の。大変だね。とりあえず入ったら?」
なんとも複雑な、ぎこちない笑みを浮かべながらプリシラは扉に手をかけて部屋の中へと誘う。
初めて入ったプリシラの部屋は、俺に割り当てられた部屋とそう変わらない作りだった。
ただ、書き物をすることがない俺には無用の机と、書棚。出窓には花が一輪生けてある。殺風景な俺の部屋と違って、なんと言うか温かみがある。それに微かに良い匂いがした。
暖炉に火を入れていそいそと支度を始めるプリシラの後ろ姿を目で追う。真っ白で清潔なシャツ。胸には青いスカーフ。濃紺のスカート。襟口や袖口から覗く人形らしさを主張する球体関節さえ見えなければ、それは俺のよく知るプリシラそのものだった。
「口述筆記だよね。ちょっと待ってて。ほら、テッドも座って」
そう言って微笑むプリシラは、ときおり伏せ目がちになる。どこか無理をしているように感じる。
俺の抱える後ろめたさがそうさせているのか、本当にそうなのか。確かめる気にはなれなかった。
進められるままにソファーに腰掛け、プリシラの支度が終わるのを待った。俺の部屋にもあるもっぱら俺の寝床とかしているソファーと同じものだった。
「じゃぁはじめましょうか」
机に向かい紙束に文鎮を乗せ、羽ペンを手にインク壺を引き寄せながらプリシラはそう言った。
「あ、あぁ。ええと、書き出しはどうだっけか。第5回囚人兵訓練の結果と所見? 記録者はテッド……」
口述筆記は初めてじゃない。今までは教授の秘書官。あのいけ好かない事務屋に頼んでた。読み書きに疎いことを散々バカにされたし、俺の言葉をそのまま文字にするだけの報告書を作りやがった。小難しい言い回しなんか俺に出来るわけないのに、だ。おかげで教授にまで揶揄された。今思い出しても腹が立つ。
慣れない言葉を選んでいる俺にプリシラはクスクスと笑った。プリシラが笑うところを見るのは随分と久しぶりだ。なんて考えていると目が合って、プリシラはまたバツの悪そうに目を背ける。
「言い回しは私が考えて書くからテッドはいつも通り話していいんだよ?」
そう言ってくれるプリシラの気遣いをありがたいとも思うし情けなくも思う。読み書きぐらいはこの際ちゃんと習うべきなのかと、少しは思うぐらいには。
「悪いな、じゃぁそうさせてもらうよ。まずは--」
そう前置きして、今朝の訓練に思いを馳せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます