第28話 再開する兄妹

 ついて来いと、さっさと先を歩き始めた教授を追って俺は執務室を後にした。

 たどり着いたのは、作りのしっかりとした扉の前だった。

 総督の執務室から廊下を少しばかり歩いた所にあるその部屋は、総督に充てがわれる私室の一つなのだと教授は言った。


 この中に、プリシラが居る。

 そう思うとなんだか胸が詰まるようで、俺は深く息を吸い込んだ。

 ガラにもなく緊張している自分に気が付く。

 だけど、いつまでもこうして扉を眺めていても始まらない。プリシラの無事な姿を早く見たかった。


 固唾を飲んで、遠慮がちにそっと扉を叩く。

 けれど、中から返事はない。

 部屋の中に人の気配はある。プリシラは中にいる。それは間違いがない。

 また初めて会ったときみたいに、人形のように戻ってしまったのか。

 そんな疑念がよぎる。けど、それなら変だ。

 教授は手を焼いていると言った。人形のプリシラは教授に絶対服従のはずだ。

 だとしたら--。


 (一体どういう事なんだ?)


 胡乱な視線を向けた先で、教授は廊下の壁に背を預けたまま、かぶりを振りながら肩をすくめた。

 いつもならば饒舌じょうぜつに何かしら語り出しそうなものだ。それなのに、どういう腹つもりなのか、成り行きを見守るだけで口を挟む気はないらしい。

 俺は扉に向き直り、大きく息を吸った。


「プリシラ? 俺だよ、テッドだ。入ってもいいか?」


 意を決して声をかけた途端、部屋の中からガタンと音が響く。

 椅子か何かが倒れるような、そんな音だ。


「--テッド、本当に、テッドなの?」


 一瞬耳を疑った。

 聞き覚えのある--。いいや、絶対に聞き間違ったりしない声が、酷く狼狽して震えている。

 それからゆっくりと、気配は扉に近づいて来る。


 (プリシラが話してる⁉︎)


 思わず振り返り教授を見た。

 教授はただ頷いただけ。

 これがどういう事なのかよくわからない。

 そう言えば、プリシラの異形化を解こうとして相対した時も、プリシラは俺の名を呼んだ。

 人形の身体の中で、プリシラの心と呪いの力が拮抗する瞬間を、俺は確かに見た。

 結局またも気を失って、あの後プリシラがどうなったのか俺は知らない。

 でも、少なくとも今、プリシラが牢に入れられていないという事は異形化は収まったという事なんだろう。

 だったら、呪いが弱まった今ならもしかしたら。

 わずかな希望が胸の中に生まれて、高鳴ってゆく鼓動に声を上げずにはいられなかった。


「そうだよ、テッドだ。プリシラ、お前もしかして--」


「テッド! 無事なのね!? 私……私てっきりあなたを--」


 俺の言葉を遮る、プリシラの取り乱した声。

 取り乱している。そうだ、感情があるって事だ。

 思わず笑いがこみ上げる。


「殺しちまったと思ったか? あいにくまだ生きてるよ」


 軽口を叩く。

 嬉しかった。俺の声にプリシラが答える。その事がただただ嬉しかった。

 感情のこもった声がする。プリシラが生きている。その事が何よりも。


「なぁ、顔を見せてくれよプリシラ」


 ドアノブに手をかける。

 会いたい。プリシラに会いたい。

 抱きしめて、無事を確かめたい。

 酷く焦れったかった。この向こうにプリシラが居るのに。

 だけど--。


「ダメ……ダメだよテッド。だって私、テッドに合わせる顔がないもの」


 返ってきたのは拒絶。

 酷く沈んだその声に、胸騒ぎがする。

 殺してしまったかもしれないと思うほど、俺をボロボロにしたことを気に病んでいるのか。だったらそんな事気にしなくていい。


「何言ってるんだよ。二人とも無事で、生きてる。終わったんだプリシラ。それで良いじゃないか」


 そうだ、プリシラは帰ってきた。

 呪いが無くなったわけじゃない。身体だって人形のままなんだろう。ロクでもない結末をただほんの少し、先送りにしただけなのかもしれない。

 でも今はそれで良い。心の底からそう思う。

 それなのに。


「ダメなの! だって……、だって私! 全部覚えてるんだもの!」


 ドア越しの悲痛な声は、俺を拒絶する。

 自分の笑みが引き攣るのがわかった。


「私、テッドを殺そうとした。それだけじゃない、私……私は! テッドを犯そうとしたんだよ!」


 あのときの光景が目に浮かぶ。

 プリシラは俺を押し倒して、それから--。

 でもそれは。


「そ、それは呪いのせいだろ」


 震える声で反論した。

 そうだ、そうに決まってる。

 自分の浮かべた笑みが、乾いてひび割れていくような感覚。

 わずかな沈黙が流れる。ほんの一瞬だったんだろうけど、酷く長く感じる沈黙だった。


 沈黙を破ったのはプリシラだった。


「違うのテッド。あれは……、あの衝動は私の中にあったモノなんだよ。ずっと、ずっとどこかで、テッドを私だけのモノにしたいって思ってた。呪いはそのたがを緩めただけ」


 ダメだ、そんな風に考えるのは。

 だって仕方のない事じゃないか。プリシラにはどうにも出来なかった。


「やめろよ……」


 力無く制止する声も、プリシラの声にかき消される。


「私は……私の中の醜くて浅ましい衝動をテッドに知られたくなかった! だから! 何度も殺してってお願いした。も、この間も! それでテッドがどれほど傷付くか、痛いほどわかってたのに。酷いよね……。私はずっと自分の事ばかり……。わかったでしょテッド。私は--」


「やめろよっ!」


 プリシラの声をかき消すように、俺は怒鳴った。

 せきを切ったように叫ぶプリシラに、その悲痛さに。俺にはまっすぐ受け止める事ができなかった。

 情けない。ほんと情けない。


「ごめんね……テッド。最初からこうすれば良かったんだよね」


 扉から遠のいて行く声に、胸の奥が酷くざわつく。

 掴みかけた希望が指の隙間からこぼれ落ちていくような。


「テッドが無事なの、わかって嬉しかった。今度は自分で出来るから。ちゃんと……終わらせるからっ!」


 うわずった声は遠ざかってゆく。

 それから聞こえたガタガタと軋む窓の開く音。

 息苦しい。浅い息を何度も吐いて、冷静さを保とうと腐心しても、まるで上手くいかなかった。


 (待てよ……、終わらせる? 何する気だプリシラ--)


 頭がクラクラする。

 良くない予感にみっともなく狼狽うろたえて、足がすくむ。


「テッド君!」


 教授の叱咤するような声に我に返った。

 一瞬の目配せ。

 教授は頷いたような気がする。

 別にどうだって良い、プリシラのことに比べたら些細なことだ。


「止めろプリシラっ!」


 俺はドアを蹴破って部屋の中に飛び込んだ。勢い余ってもんどり打った先で、窓辺に半身を乗り出したプリシラの姿が目に映る。

 悲嘆に暮れて涙を流す姿に胸が締め付けられた。でも、それでも--。


「止めるんだプリシラ。俺たちは自殺なんかできない。そんな事をしたら、生きる事を諦めてしまったら、すぐに異形フリークスになってしまう。わかっているだろう!」


「それで良いの! テッドを傷つけるだけの私なんて居なくなれば良い!」


 (何でだよ、何でこうなるんだよ!)


 血が滲むほど唇を噛みしめる。

 わかってる、全部呪いのせいだ。

 俺や、プリシラの中にある呪い、なにもかもそのせい。

 憎い、俺たちを縛るこの呪いが。

 それをどうすることもできない自分の無力さが。


「俺の……俺の気持ちはどうなるんだよっ!」


 やり場のない怒りに任せてがなり立てた。

 プリシラの華奢な体がビクリと震えたのが見えた。


 (はは、とんだお笑い種だ……)


 俺も結局、自分の事ばかりだ。

 そんな自己嫌悪が首をもたげても、もう止められなかった。


「じゃぁ何のために助けたんだよ! 居なくなりたいなんて言うなよ! 生きていてくれよ! 生きようとしてくれよ……。でなきゃ俺は……」


 胸が締め付けられて、息苦しくて息が上手く吸えない。

 怒鳴るようだった声も枯れて、最後には消え入りそうになる。

 

「嫌だ、もう嫌なんだ……。頼むよ……俺を、置いて行くなよ……プリシラ……」


 涙をためた瞳が俺を見る。

 震える腕をプリシラへと伸ばした。

 でも、プリシラは俺に差し伸べた手に自分の手を伸ばしかけて、やめた。

 ぎゅっと華奢な体を抱きしめるように肩を抱いて俯いた。小さな身体が震えている。

 悲しみに暮れた瞳が俺から逸らされる。


「俺の血でも肉でも、他の何だって構わない。お前にやるよ……俺の全部! 何もかも! だからっ--!」


「もうやめてっ! いつだってそう……テッドは優しいの。でも……ダメなんだよ……。私、テッドの優しさに甘えて、傷つけてばかり……。ごめんね、ごめんなさい。そんな自分が嫌なの。優しいテッドに醜い感情を抱いてしまうことも。もう耐えられない。私なんか、いない方がいいんだ」


 涙を流しながら微笑んだプリシラの前に、俺はがくりと膝を折る。

 なんで、なんでこうなる。

 膝の上で握り締めた拳に、涙が落ちた。

 泣いていた。

 外聞も気にせずに、涙が溢れ出すのを止められなかった。

 どうしてこうなってしまうんだ。

 怒りと悲しみと、遣る瀬無さと。色んなものが胸の中で嵐みたいに好き勝手に吹き荒れて、どうすることもできない。


 でもその時だ。

 赤ん坊のように背中を丸めてうずくまった俺に、教授の声が聞こえた。


「--まったく、聞いていられないな」

 

 呆けたように見上げて目にした教授は、酷く不機嫌そうだった。

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