第4話 あの日の真相
この部屋から隣の部屋に通づるドアを開け、平泉は中へと入っていった。先ほどまで真紘が使っていたコップを持ってだ。
数分ほどすると彼女はドアから出てくる。手にはお盆。その上にコーヒカップが二つ乗っていた。先ほど『ミルクティーお好きですか?』と聞かれて頷いたからだろう、甘い匂いを漂う。
机にソーサーを置き、その上へカップを乗せる。カップの表面は彼女の髪色と同じだ。
「ありがと……ん、今、入れたのか?」ほんのり湯気が昇り、持ち手が温かい。
「はい。昔ここは、生徒会室だったようで、隣に給湯室があるんです」
「へぇ〜、使っていいのか?」
喉にミルクティーを流し込む。匂いだけでなく、後味も良い。
「おそらく。真紘さんが『大丈夫大丈夫』って言ってましたので__」
「ちょっ」ソーサーにカップを置く。「アイツの言葉を真に受けるな」
大体、大丈夫を二回言う奴は怪しめと両親から教わらなかったのだろうか。
「えぇっ。……でも、そうですね。先生にしっかり尋ねようと思います」
この子がトラブルに巻き込まれる片鱗が垣間見えた気がする。
平泉がカップを鼻に寄せて嗅ぎ、ソーサーへ戻す。飲まないのかよ。
「では、あの一件について整理します」ソーサーを右へとズラす。
「謎は大きく二つです」人差し指を立てた。「一つ、なぜ、彼女のいる清水さんがラブレターをしたためたのか」中指を立てる。「二つ、なぜ、あのように本がバラバラになったのか」
平泉がわかりやすく謎を列挙する。
「一つ目の謎から考えます。まず、明智くんは清水先輩がわたしを脅す目的で観察していた、と考察をしましたよね?」
「あぁ。だがそれは、告白の相手を晒されたくないという大前提での話」
付き合っている彼女が居ると知っていれば、その結論に至らなかっただろう。無論、彼女持ちがラブレターを誰かに渡すなんて発想は流石にでてこない。
だからこそなぜ、清水がラブレターをしたためたのかが分からない。
「わたし、恋愛小説が好きでして」
「おい、急になんだよ。話飛びすぎだ」
ツッコミを入れるも、彼女は立ち上がり、棚に入れてあった自分の鞄をゴソゴソと探り始めた。『あった』とまるで少女が、お気に入りリップを探し出したような声をあげる。
平泉が席に戻ると、ニヒっと笑顔で本を突き出す。二冊の『放課後の初恋』があった。単行本と文庫本の二冊。文庫本の方は、かなりヨレている。
「その本は……」単行本の方を見ながら口遊む。
「はい。図書室の本です。実際にあの場所にあったのは、自前の『放課後の初恋』にフィルムと貸し出し簿をくっつけたフェイクでしたが」今は丁寧にフィルムが貼り直されている。
平泉、また借りたのか。
いやそれよりも、清水はしっかりこの本を図書室に返したのだ。
「前回の貸し出し人は……」机に置き、裏表紙の裏にある貸し出し簿の箇所を開き、机へ置く。
そこには、『平泉理沙』の下に『
「誰だこの、加藤ってのは」
「清水先輩の彼女さんです」
土曜日に清水の手元にあったものが月曜日に返されたのだから、候補は絞られる。近しい人物に限られ、それが彼女である加藤静香となれば、納得する。そのために平泉は、わざわざ借りてきたのだ。推理の裏付けを提示するために。
「……まさかほんとに彼女がいるなんてな」
平泉は目元を緩ませ、『仕方ないです』と口遊む。
「清水先輩と加藤さんが付き合っているの、あまり知られてないようなので」
「……じゃあなんでそれを、平泉が知ってんだよ」
「えっと、まぁ、それはその」両方の人差し指の爪先を擦り合わせ出した。「そういう噂に、聞き耳を立てるのが好きなので」
「すごいカミングアウトだな」
「いいじゃないですか。人が恋しているのを聞くの楽しいですし」
「まぁうん、人の趣味は色々あるからな」と、引き気味な声でフォローする。
「わたしへの告白じゃない、と知るまでは、『告白』という文字で頭が埋め尽くされてました」
告白される緊張状態だったから、頭がパニックになり、加藤という存在が頭から出てこなかったのだろう。
……待てよ。
であれば、平泉は俺の答えが誤りであることをあの体育館で分かっていたのではないか。
告白を知られたくないから、平泉を脅すために観察していたという推理は違うと、俺に伝えることが出来たのではないか。
目の前にいる少女が微笑んでいることに、軽い鳥肌がたった。
平泉はもう一つの文庫本を小さな顔の横まで持ち上げた。
「わたしも大好きな一冊です。何十回読み返したかわからないほどです」
手が小さいのでいつも文庫本の方を読みます、と付け加えた。
小説を読み返すなんてしたことない。違う本を読んだ方が有意義だと考えてしまうからだ。
「この小説の内容を知っていれば、なぜ、清水先輩がラブレターを書いたか。第一の謎が一気に解決できるんです」
「はっ?」
「あらすじを話しますね__」
平泉から聞いた『放課後の初恋』の内容はこうだった。
幼馴染の男女が中学に入り、自分の恋心に気づき始める。周りのサポートの末、ふたりは結ばれた。ぎこちなくも一歩一歩、情愛を深めていった。
高校に入ると環境や人間関係も変わり、二人は徐々にすれ違いを起こしていく。
連絡する頻度も、顔を合わせる頻度も減り続け、自然消滅に陥っていた。
「読者であるわたしたちは『ええぇえなんでぇ〜もっとイチャイチャしてヨォぉ』という嘆きを抱いていることを補足します」無駄に饒舌だった。
「あっ、はい」
主人公である男が廊下のすれ違いざまに彼女へ視線を向けるも、目を合わせてくれなかった。彼女の方はすれ違いが発生する前に色々と主人公に仲直りのキッカケを作っていた。だが、それを無下にしたのは主人公だった。新しい環境とクラスメイトに慣れよう慣れようと必死になったが故に、彼女を蔑ろにしてしまったのだ。
「……」そう話す平泉は口元を歪ませていた。もしかすると、まだクラスメイトと仲良くなれていない自分とを重ねているのかもしれない。
だから、主人公はもう一度、告白をすることにした。自分の今まで抱いた感情を、一枚のラブレターへ文字に起こして。そのラブレターは彼にとって一世一代の大勝負だった。拙い言葉を一枚に落とし込んだ。
主人公は、彼女に堂々と渡した。『読んでもし、少しでも可能性があるなら、来て欲しい』とだけ呟き、彼はその場を去った。
場所は放課後の体育館。当日は部活動禁止の日なので誰もいない。彼は待った。
しかし、指定した時刻に彼女は現れなかった。
平泉は涙ぐんでいた。あらすじを話すだけでよく感情移入ができるものだ。
体育館の中央で彼は蹲った。独りで啜り泣く声が体育館に響く。
不意にその縮こまった体がギュッと抱きしめられた。彼女だった。
彼女は体育館のステージへと通ずる小階段に隠れて彼をじっと見つめていたのだ。
自分に対する愛が本物であるかを判断するために、彼が来るよりずっと前からいたのだ。
そこで二人は、お互いの気持ちを確かめ合った。
ふたりはそこで、初めてのようなキスをした。
「良い話」平泉はハンカチで目元を押さえている。
「要するに、清水加藤カップルもこの小説と同じように倦怠期に入っていたのか。清水はこの本を図書室で借りた末に、この主人公と同じように自分の今の想いをしたためた。だからこそ、宛先は書かなかった。同じようにするなら、直接彼女である加藤に渡すだろうからな」
「はい。ラブレターが本に紛れ込んだのは、何度もラブレターを書いたからだと思います。だから、その一枚が部屋から失くなっても、気づかなかった。この主人公も丸一日ラブレターを書いて捨ててを繰り返していましたから」
容易に想像できるな。清水が自室で『放課後の初恋』を読み、ラブレターを書こうと決心する。便箋を認める中で、机が便箋で溢れ、スッと本に入り込んだ。平泉が持っていたラブレターはおそらく捨てる予定のものだったのだろう。
「だとしても、平泉がラブレターを見た時点で、自分に対してのラブレターじゃないって気づかないか?」これは平泉が天然であるが故に、あの時は聞かなかった質問だ。
平泉はぶんぶんと顔を横に振った。
「清水先輩はこの作品と同じく、初恋のような純愛さで便箋を認めています。笑顔が可愛いとか、優しい性格が好きだとか、負けず嫌いな性格が好きだとか……テヘヘっ」
自分を愛でるように髪の毛を撫でている。
「なるほど、ストーリー仕立てのラブレターじゃなかったから気づかなかったのか」
それにしても、その文章が自分に向けてのものだとよく思えたな。
平泉は『ド』がつくほどの楽観家なようだ。
『放課後の初恋』をなぞれば、清水が加藤にラブレターを直接渡す。体育館で彼女が来るのを清水は待った。
「加藤さんへ渡した復縁のラブレターとわたしが見たラブレターには時間差があったと思われます。おそらく加藤さんの方が早い時間帯だったのでしょう。あの場に清水さんがいたからそう推察できます」
あの時、自分が発した解が様変わりしていく。
「となると、真相が見えてきませんか?」
カップを持ち上げた平泉は、ミルクティーをふうふうと冷ます。
一口飲んでは、『美味しいです』と呟き、ほぉっ、と息を吐いた。
「まさか……あの場から……体育館の小階段から清水が出てきた理由って」
俺は清水だけがいたと思い込んでいた。だが、この『放課後の初恋』を知れば。
平泉が本を返した後に、彼女である加藤がこの本を返したのであれば。
「あの場所に居たのか。加藤が」
「はい」
全てを見通した瞳をしていた。
「ラブレターを受け取った加藤さんは体育館に向かいました。ふたりはそこで、愛を確かめ合ったのです。復縁の証拠は言わなくても良いですよね」
「あぁ」俺が帰ろうとした際に、恋人繋ぎをしたふたりを見れば上手くいったのは確定だろう。
それが結論として平泉が言った『あの体育館で二人は復縁したと思われます』に繋がる訳か。
「なるほど。筋は通ってる」第一の謎である、彼女のいる清水がなぜラブレターを認めたかが明らかになった。「だが、もう一つの謎が残ってるぞ」
「はい。第二の、なぜ、小説が体育館の中央でバラバラになっていたか、ですよね」
まるでその結論が既に出ているような聞き返し方だ。俺は肩を竦める。
「そこで考えました。体育館で本をバラバラにした一件の主犯は、加藤さんではないか、と」
「……どういうことだ?」
「そうですね。まず、なぜ、加藤さんが本を借りたのか。そこから考えてみましょう」
確かに平泉が金曜日に本を返した後に偶々、借りるなんてのはまず、有り得ない。
状況を整理すると、この『放課後の初恋』を借りたのは、清水、平泉、加藤の順番。
「わたしが考えるのは、加藤さんがこの本を好きだ、と清水先輩に伝えていた場合です」
平泉は一口ミルクティーを飲む。
「清水先輩はこの本を読んでいなかった。ですが、加藤さんとの復縁を決意する中で彼女が好きなこの本を手に取った。対する加藤さんは、『放課後の初恋』になぞらえたラブレターを書いたと知り、この本を借りに行った」
貸し出し簿には、自分の彼氏の名前があった、か。
その推理は憶測でしか無いと思ったが、俺は平泉から本を借る。
「貸し出し簿は二年間分を残しているだろ」
裏表紙の反対にある貸し出し簿の古い方を取り出す。
そこには、一年前に何度も借りた加藤静香の名前があった。もっとも、それを清水が借りたような形跡は無かったのを平泉と確認する。平泉が借りる前の一回しかないのだ。
「もしかするとこの本を読んで、加藤は復縁を何度も試みていたのかも知れないな」
借りられる期間は最大で一週間と決まっているから、何度も借りるのは有り得る。
「ロマンチック、です」両手を握り天井を見上げる平泉。
俺は右耳の上辺りを掻く。自分がロマンチストのようで気恥ずかしくなった。
もっともこの証拠は、平泉が出した論理のより強力な説得材料になる。
「この本を清水先輩が読んだと知り、加藤さんはどう思ったでしょう」
清水が借りたことに気づいた場合、加藤はどう動くだろう。
そのまま原作通りに、体育館ステージへと上る小階段に身を隠しているだろうか。
平泉が何も言葉を発さなくなったので、暫し、頭を働かせてみるも、想像できない。色々な予測はできるが、これだ、という想像ができないのだ。
だって俺は、加藤ではないのだから。誰かと付き合ったこともなければ、誰かに恋心を抱いたこともない。故に、分かるはずがない。
「やはり明智くんは……」平泉がボソッと何かを呟くも、彼女は佇まいを直した。
「わたしが加藤さんでしたら、愛を確かめたいと思った筈です」
「……」
なぜ、そんなことが分かる。
君は、加藤ではないではないか。
君がやっているのは、ただの創作だ。
物語を綺麗に読み解ているのではなく、物語を作っている。
加藤がどういう考えを巡らすのか、どういう感情が芽生えているのかなんて、分かるはずがない。
「この小説は、敢えて時間を空けるということで愛を確かめたと思いますが、加藤さんは違う方法を選んだと思われます。だって、清水先輩はあの小説を知っているのですから。それでは確かめることにはなり得ません」
巧く論理を組み立てているようだが、結局は憶測でしかない。
「そこで彼女は選択したのです。彼が読んだ『放課後の初恋』を体育館の中央でビリビリに引き裂き、清水さんがどういう行動に出るかをもって確かめる、と」
「……ん」
自分の胸の奥底でズキンと痛みが走る。今までの人生でも感じたことのあるものだったが、他人を想像して感じることなど今までにはなかった。
目の前にいる平泉という少女が、仮説を述べていく。
「それは言い換えるなら、答えだったと思います。貴方とは寄りを戻しません、と返事を既にしているのと同義です。いや、それ以上かも知れません。清水先輩はその場で、どういう感情を抱いたのでしょう」
体育館を訪れた清水がその光景を目の当たりにし、棒立ちになっている絵が頭をよぎる。
だが、その後の行動をどうしたか、自分には想像できない。
「おそらく、悲しんだのでしょうね」
シンプルなその答えすら俺には懐疑的だ。
怒ったかも知れない、本をビリビリに破いたのだから。然も、自分が読んでいたであろう図書室の本をビリビリに引き裂いているのだから。
呆れたのかも知れない、幼稚な行動に。
恋が冷めたかも知れない、そんなことをする人だったのだと知り。
「その悲しみに暮れた清水先輩を見て、加藤さんは小さな階段から姿を出して駆け寄った」
俺の脳が、平泉の出した感情を元に思考し始めた__。
『放課後の初恋』とは別の『向日葵の殺人』がバラバラになっていた理由。加藤は愛を確かめたかった。清水は悲しんだ。あの時、小階段から清水が姿を現した。達成感を得たようなあの清水の表情。清水が体育館からすぐに距離をとった理由。清水が俺の推理を肯定した理由。
全ての謎が一つの結論を導いた。
「『放課後の恋』とは違う『向日葵の殺人』という本が破れていた点から紐解くと、違う答えが見えてくる」
「えっ?」華奢な身体を机に乗り出してきた。意外に平泉ってデカ……。咳払いをする。
まるで子供が紙芝居の続きを待ち望んでいるように、平泉は口を開けていた。
これはあくまでも推論だが、と前置きをしてから言葉を紡いだ。
「清水は破られたページが別の本であることに気づいた。『放課後の初恋』が破られなかった意味を平泉みたく解釈すると、貴方と寄りを戻したいです、とも取れる。まだ彼女が自分を見捨てていないのではと、清水は小階段へ駆け寄った」
「……」
「もしかすれば加藤は、違う本だと気づくかどうかも、見ていたのかも知れないな。彼女なりの彼への愛ゆえに生まれた奇妙な謎の正体」
まさか違う本が破られていたことにそんな理由があったとは、自分でも驚きである。
今の推理であれば、引っかかる点はない。
それに加え、体育館で清水が発した言葉もその推理に沿っているように思える。あの場を早々に清水が立ち去ろうとしたのも、加藤と自分が、あの場で愛を確かめていたのをバレないようにするためだろう。本を破ったという悪を一身で引き受け、加藤から目を逸らそうとしたんだ。
故に、清水は、俺が作り上げた陳腐な推理を肯定した。
「清水が来る、ずっと前から、加藤はあの小階段にいたんだろうな」
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