廻赦渦兄妹の日常怪奇
見門正
第1話 おっさんと和解せよ
人面犬、というのがあるだろう。犬の顔が人間の顔にそっくり入れ替わっていて、違和感が凄くてキショイ。そういう都市伝説?の奴。
目が覚めた俺の目の前に飛び込んで来たのは、そいつのご同類だ。
「吾輩は猫である。人間よ、早く飯を運んでこい」そう主張するように俺の顔面をぺろぺろと舐めるのは漱石だった。名前ではない、見た目が文豪に似た、おっさんだった。
「おぉぉぉアッ!?」
思わずベッドから跳ね起きた俺はソイツの全身を確認する。と、いっても話の流れからしてもう正体はわかるだろう。人面猫だ。
白いスラっとした体系の我が愛しの飼い猫。ムラマサの顔面が人間のおっさんの顔面にすり替わっている。そこにあるはずのものが同じく見慣れた、そこにないはずのものにすげ代わっているアンバランスさ。非常に……気味が悪い。舌苔のむした舌をこれみよがしに見せるな。
「にゃあ。ふにゃふにゃ~ご」
ムラマサはいつものように鳴き声で可愛らしく餌を催促する。平常であれば俺は可愛らしさに負けてムラマサともう一匹に、ふにゃふにゃとした顔で颯爽と食事を提供するのだが……だが……。
今、ムラマサの頭部はおっさんなのだ。中年のおっさんが上目づかいで、男子高校生に甘えに来ているようにしか……見えない!更に言えば甘えボイスもいつもの高音ではなく、年季を重ねた人類低音ボイスに差し代わっている。これは何の拷問なのだろう。たまに痰が絡んでいるような音も聞こえて愛猫の健康状態が心配になる。
甘えんぼおっさんを正視できなくなった俺は、ムラマサを閉じ込めつつ部屋を出た。
正直、この程度の異変は日常茶飯事だ。特段慌てることはないのだが、精神衛生上よろしくない。状況は正確に認識する必要がある。面倒なことになったな、と欠伸している所に──
「おにい~!チョムチョムの様子が変~!!」
先に起きていたのだろう妹の声が、一階のリビングから響く。やれやれ、どうやらこの分だと、もう一匹も無事ではないらしい。
「おはよう恵。それで……その中小企業の取締役みたいなおっさんが」
「おにい遅い。うん、多分チョムチョム。朝起きたらこうなってて……」
妹、廻赦渦恵が猫じゃらしで弄んでいるのは、やはりムラマサ同様に顔面がおっさんになり果てた飼い猫であった。女子中学生が中年男性を弄り倒している様はそういった風俗店のようでもあり。実兄としては非常に複雑だったので引きはがした。
「問題は、これが俺たちにだけ起きているのか、それともどこでも似たようなことになっているかだな」
「さっきまでニュースとかSNS見てたんだけど、似たような話題で騒いでる人たちはいなかった。だけど動画とかで写った動物とかがみんなおっさんの顔になってて……」
恵が見せてきたスマートフォンの画面を確認すれば、恐らく犬の散歩風景を取ったのだろう画像があった。ただ、やはりというべきか。中年男性が鎖で繋がれて四足歩行でご満悦になっている、としか見えない状況になっていた。
「動物の顔が実際におっさんになっているが、誰もそう認識できていない……。もしくは、俺たちだけそう見えるようになってしまっているか、か。どっちにしろ誰かに話しても異常者扱いで終わりそうだな」
「今日は学校休んでお医者さんにいくとして、その後さー」
「ん?どうした恵ちゃん」
恵は俺に輪をかけて図太く、愉快犯的な性質を持つ。そんな彼女が好奇心を抑えられずに口元を歪めて笑っている。十中八九碌でもないことだろう。それでも先を促すのはやはり俺も同類ということだろう。
「動物園とか水族館いこうぜえ。檻とか水槽に入ってるおっさん見るの絶対面白いって」
「いくぅ~!!おっさんと記念写真取っちゃう~。餌やりもしちゃう~」
ほら見ろ即答だ。だが、言い訳をさせてほしい。どうせ何の得にもならない不条理に巻き込まれたのだから、せめてそれをプラスのイベントに転化する精神はもたないとダメじゃあないだろうか。そうではないだろうか。ダメか?
そうして俺たちは二匹のおっさんの餌をやり、トイレの誘導をした後、病院に向かった。
かかりつけ医からは、またアンタらか。と呆れられ、何も異常がないことを告げられた。その後の妹とのお出かけはやはり楽しいものとなった。
「だははははははははは!おっさんが笹食ってる!もっといいもの食え」
「見ておにい!あっちでおっさんがドラミングしてる!!胸筋ブルンブルンいってるって!」
少し遠出して向かった動物園も水族館も、期待通りのものが見れた。展示されている生き物たちはやはり、その全ての顔面がおっさんと化していた。非常に珍奇な絵面であり、また学校をサボって娯楽施設に兄妹揃って出かける機会というのは多いに楽しみがあった。そうして一日が終わり、また、数日がすぎた。
結局、数日経ってもおっさんはおっさんだった。我が家には相変わらずおっさんが二匹いる。
おっさん達は互いの顔を舐め合い、重なり、伸びたり、水を飲んでゲップしたりしている。知らない顔なのに我が家のように振る舞うのだ。いや、実際彼らにとっては我が家なのだが。
そんな状態に置かれ続けた俺たち兄妹だったが、変化があった。
「おにい。今日もご飯いらないから……」
「恵、ただでさえ妙な状況に陥ってるんだ。食事ぐらいちゃんと取らないと倒れちまうぞ」
「ゼリーはちゃんと飲んでるから……」
兄妹共々、外出や食事を控えるようになったことだ。状況が決定的に悪くなったのは医者に行ってから翌日。夕食に近所の食堂で焼き魚定食を注文したことだ。ああ、焼き魚定食。わかるだろう?頭ついてたんだ。焼かれたおっさんの頭が。
生気と毛根を失ったおっさんは、俺たちに人生の儚さというかなんかそういう感じのことを教えてくれやがったと思う。それからというもの、卵はおっさんから生まれ、肉はおっさんの肉であり、乳製品はおっさんの……俺たちは連鎖的に食べづらいものが増えていってしまった。
そうして、連鎖的に気づいてはいけないことに気づいてしまった。外に出れば、どこにいても視線を感じるのだ。中年男性の……視線を。それは元からあったものなのかもしれない。外には人だけでなく、鳥がいる、犬や猫がいる、虫がいる。それら全ての何か一つは常にこれまでも俺たちを見続けていたのかもしれない。それが、可視化されてしまった。カラスという名のおっさんは電信柱の上から俺たちを見下ろし、蟻という名の社畜達は隊列を組みつつ、地から俺たちの行く先を眺めている。おっさんは、見ているのだ。
そうして視線が気になり、最低限の外出しかしなくなった俺達だが、家の中でも落ち着くということはない。だって、他人がいるもの。おっさんとおっさんが仲睦まじくにゃあにゃあ言っている姿は一応受け入れはしたものの、家族としての受け入れ態勢……整っていないのだ。家という外と断絶した聖域ですら、俺達は精神的に裸になることを封じられたのだ。
俺も、妹もかなり精神的に参っている。そろそろ、解決に挑むべきなのかもしれない。
「恵、俺達はなんでこんな目に遭っているんだろうな」
「お父さんじゃあるまいし。おっさんと毎日会ってもハッピーにはなれないよお。汚いし」
ここで、俺のDHA不足の脳が閃いた。
「……それじゃないか?」
「それって?」
「おっさん差別だよ。俺たち兄妹は……いや人類は、おっさんを不当に扱いすぎたんだ」
「確かに……おっさんは、加齢臭だの、オヤジ狩りだの毛根薄いだの、ジェネレーションギャップだの、なんとなく酷い言葉を投げつけたり、笑いのネタにしたり、暴力を振るっても……どことなく可哀そうなイメージが薄くなる印象があって雑に扱われている場面が多い気がするよ」
「ああ、俺たちもついさっきまでそんな扱いをしていた気がする。これは……おっさんの祟りなんだ!そうに違いない」
そういうことにした。もうそういうことでいく。
「つまり今大事なのは、おっさんの念を沈めることだ。俺たちがおっさんを舐め腐っているから、こんな状況になってしまったんだ」
実際はなんの根拠もないのだが、駆け抜けることにした。
「おにい、でも私……一回舐めていい奴だって認識したら、その後見直すことなんてないよ。今だって、おにいのこと何言ってんだこいつって思っているし」
「暗にお兄ちゃんのこと舐め腐っているって言ってる?まあ、大事なのはおっさんを受容することだ、おっさんのことを当たり前のものとして思うんだ」
「言ってる。それで、どうするのさ」
「俺とおっさんになろう」
「やだよ!!!」
急に出た大声に二匹のおっさん達は退散していった。おいおい、そんな事じゃ解決は遠いぜ。
「そもそもおにいと違って私、女の子だよ?進化先におっさんは存在しないんだよ?一人で老いさらばえてろよ」
「認識が甘いな、そんなじゃ流行に乗り遅れるぞ。時代はおっさん系女子、ソシャゲの売上もそう言っている。おっさんは男だけの専門職じゃあないんだぜ」
「そんな職紹介してくるような神殿滅んだほうがいいでしょ……。ホントに流行ってるの?流行り病とかじゃないそれ?」
「天井っていう名の特効薬があってなあ。ぐちぐちいってるけどさあ。他にこれといったアイディアもないんだからやってみようや。な?」
恵は口をへの字に結びながら暫く悩んだ後。
「ん~、まあ、この状況がハウスキーパーさんが来るまで続くのもなんだし。いいよ。ちょっとだけだからね。それで、何すればいいの」
「おっさんを受け入れるには、おっさんになるのが一番だけどよ。現実問題、急な加齢は無理なわけだ」
「加齢しても無理だけどな。そこはわかってんだ意外~」
舐めた口は無視して。
「おっさんの良い点、リスペクトする点を見出して、それを目指すってわけ」
「あ~、エッセンスだけ取り出せばいいんだ。それじゃおっさんのいいポイントを上げていけばいいわけね。じゃあ、色々と人生経験を積んでて優しそう。大人」
「いいぞ、やればできるないか。やっぱ経験は大事だよな、長く戦場にいても生き残ってきたっていうのが強さの証明でさぁ──」
こうして俺たちは夜を徹しておっさんを研究し、俺の思う最強のおっさんキャラを纏った。
結果からいうと。事態は解決した。俺たちは正常な日常を取り戻し、愛猫の可愛さを享受できるようになった。
そしてその後に残ったのは、人生経験に見合わぬ背伸びしたファッションと厭世的な振る舞いを気取る痛い兄と、制服を改造し、ピンク色に髪を染めて風紀委員や先生に怒られた妹だけだった。
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