第2話 パリジェンヌへの憧れ
パリ留学のきっかけは高校時代、図書館で見つけたフランス料理の本だった。
ページをめくるたび、美しい盛り付けの写真に目を奪われた。
エスカルゴのブルゴーニュ風、キッシュロレーヌ、ブイヤベース。
見たこともない料理の数々に、私の心は躍った。
そして決定打は、パティスリーのページ。
マカロンやエクレア、繊細な装飾が施されたケーキの数々。
それは料理というより、まるで芸術品のように思えた。
「芸術の都」と呼ばれるパリで、本場の料理を食べてみたい。
日本と違うおしゃれな街並みや文化に触れながら、いろんなことを感じて、自分の世界を広げたい。そんな夢を抱くようになった。
「せっかく留学するなら、アメリカとかイギリスのほうがいいんじゃない?」
母は心配そうに言った。
確かに、当時は英語圏への留学が主流だったから当然だ。
でも、私はフランスについて調べるなかでパリジェンヌにも惹かれていっていた。
少女漫画が大好きな私は、素敵な恋愛に憧れていたのもある。
しかし当時、私は男性ウケを気にしたフェミニンな装いをする日本で求められる女性像にどこか違和感があった。
それに比べて、カジュアルな装いで髪型もメイクも簡素で自然体なまま恋愛も日常も楽しむパリジェンヌは、日本女性とまると違う存在だと思った。
かわいこぶりっこしない自然体なのに、なぜ愛されるのだろう? なぜ男の人は夢中になるのだろう?
それを肌で感じてみたかった。
「パリには、世界中から料理人が集まってくるの。フランス語だけじゃなく、英語も自然と使えるようになるよ」
両親を説得するため、そう伝えて留学費用の計画書を作った。
アルバイトを掛け持ちし、留学資金を貯めることにした。フランス語の勉強も独学で始めた。パリの現地の治安情報も集めた。
最後に父が言った言葉は今でも覚えている。
「わかった、行ってこい。そこまでするなら、本気なんだな」
そして迎えた留学生活。
確かに不安もあった。
でも、パリの街角に立った瞬間、ネガティヴな感情全てがふっとんだ。
マルシェに並ぶ新鮮な食材、路地裏のビストロから漂う香り、パティスリーのショーウィンドウに輝くスイーツ……。
わたしは今日、ここでパリジェンヌになるんだ!(そして素敵な恋愛もするの!)
胸がときめいた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
語学力の壁もあり、授業でも発言できない日々。本国の子たちは自分たちの輪の中で盛り上がり、留学生の私とは距離があった。
パリに来て、せめてクロエのような奔放な女性に出会えて良かったね。パリジェンヌがモテるのをちゃんと理解できたじゃない、と心の中で自分を皮肉った。
だから、私は食べ物に逃げ込んだ。
パリジェンヌにはなれなくても、美味しいもので溢れているフランスにいて、味覚だけは、確実に自分のものにできると信じて。
夜、パリの小さなアパルトマンで、いつ帰ってくるかもわからないルームメイトを少し気にかけながら、私はよく一人で夕食の支度をしていた。
「今日も一人か」
窓の外では、カフェテラスで談笑する学生たちの声が聞こえる。私のルームメイトやクラスメイトたちも、きっとどこかで楽しく過ごしているのだろう。
絶対に寂しい思いはしたくないと思った。
だから代わりに、私は市場通いに熱中した。新鮮な食材を見極める目を養い、地元の八百屋さんと片言のフランス語で会話を交わす。
フランス語力を鍛えられたのは、正直学校よりも、こうして街中での会話でだ。
マルシェで見つけた見慣れない野菜を料理し、味の研究に没頭した。
そして、少しでも時間ができると、パリ中のビストロやブーランジェリーを訪ね歩いた。一皿の料理に込められた技法を観察し、一人の家で再現を試みる。
誰もいないキッチンで、私は独り言のように呟きながら、味の分析を続けた。
華やかなパリの街で、私は地味な日々を送っていた。
そんな日々が、まちがいなく「私」を作っていた。
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