4-3(1)

 翼が鋭い視線に射竦められていたのは、けれども、ほんのわずかのことだった。


 彼が、ルシファー……。


 実感がこみあげてくると同時に胸を満たした感情は、相手に対する畏怖でも恐懼きょうくでもなく、純然たる喜びだった。ここ数日、ひたすら捜しつづけてきた人物。彼にふたたび会えた嬉しさが、他のどんな感情をも凌いで翼を歓喜させた。


「こんにちは!」


 傍らに控えていたデリンジャーまでもが目を瞠ったくらいであるから、このときの翼の反応は、《ルシファー》に対するものとしては、かなりめずらしい部類に属すものだったのだろう。

 満面に笑みを湛えて挨拶した青年を、《セレスト・ブルー》の若き帝王はかすかに眉を動かし、意外そうな表情で見返した。


「ボスへの貢ぎ物よ。どう、気に入ってくれた?」

 黙って自分を顧みた年下のボスに向かって、デリンジャーは悪びれもせず軽口をたたいた。


「――呼んだおぼえはない、と言いたいところだが、少し話がある。デル、席をはずせ」

「はぁい、了解ですぅ」


 デリンジャーは軽やかに応じると、戸口に佇んでいた翼を部屋の中へ押しこみ、抗議の声をあげるレオを強引に連れて、さっさとドアを閉めてしまった。

 予想もしていなかった展開に、さすがの翼も戸惑ってその場に立ち尽くした。

 重々しい音をたてて扉が閉まると、室内には静寂が戻った。


「……新見翼。ユニヴァーサル・タイムズ本社社会部勤務。まだ駆け出しのジャーナリストってとこか。会うのはお互い、これで二度目だな」


 抑揚のない低い声が紡いだ言葉に、青年はさらに驚いて瞠目した。

 ルシファーは、つと立ち上がって冷蔵庫の中から冷えた缶ビールを取り出すと、プルトップをつまみ上げて直接口をつけ、中の黄金の液体を飲み干した。


 ふたりのあいだに、ふたたび静寂が舞い降りる。

 沈黙がつづく中、翼の胸の裡で、ここ数日抱いてきたひとつの思いが確信に変わった。


「あの」


 意を決した青年は、思いきってみずからの左腕を、相手に示すように胸のまえで上げて見せた。

「これを届けてくれたのは、ひょっとして、君?」

 翼の問いかけに対し、あざやかな色合いの瞳がその手もとを見やる。そして無言のまま視線を伏せると、かすかに口角を引き上げた。

 翼の左手首にある通信端末は、一度はたしかに彼の手から失われたものだった。


 入院の翌日には遺失届を提出し、端末とともに失われたIDチップの再交付手続も、後日あらためて行う予定だった。だが退院直前、病室のベッドサイドに、いつのまにかなくしたはずの通信機が置かれていた。半信半疑で起動させてみれば、放り出された際の傷がわずかに残るものの、問題なく正常に作動した。妻と娘のホログラムも、所有者の個体情報に反応して浮かび上がる。翼が病室に備えつけのシャワールームを使用しているあいだの、短い時間での出来事だった。

 いったいだれが。

 事件を扱っていた捜査当局は、この件に関知しておらず、病院側でも出入りした人間を把握する者は皆無だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る