1-2(3)

「どいつもこいつも、ぶち殺してやる。地獄に堕ちやがれっ」

 低い呟きとともに、少年はみずからの口許に手榴弾を持っていった。

 やめろっ! 翼は夢中で叫ぼうとした。しかし、殴られた痛みと背中を強打した衝撃で、声を発することさえままならなかった。


 ピンを咥えるため、少年はわずかに首を傾ける。その動きが、そこでぴたりと止まった。

 訪れたのは、不自然に長い間。

 動きを止めた少年は、その場でじっと硬直したまま、血走った両眼をカッと見開いていた。その頭から、突如、大量のどす黒い血液と脳漿のうしょうが飛び散った。

 固まった体勢のまま、少年の躰が鈍い音を立てて横倒しに地面に沈んだ。その顔の周辺に、溢れるような血溜まりがひろがっていった。


 かろうじて悲鳴を呑みこんだ翼は、り上がる恐怖に平常心を奪われかけ、遺体からあわてて顔を背け、視線を引き剥がした。

 これはいったいなんなのだ。自分はなぜこんな場所で、こんな恐ろしい目に遭っているのか。

 吹き出す冷や汗と全身のふるえが止まらない。躰が竦み上がり、心臓が破れそうなほどの動悸が激しく左胸を叩いて鼓膜の奥で大音量に鳴り響いている。

 崩壊しそうになる理性をなんとか己の裡に押し止めようと、翼は視線を泳がせた。意識を逸らせるなにかを見つけなければ、とても正気を保ちつづける自信がなかった。


 狂気と正気の狭間はざまで、翼は縋れるなにかを見つけ出そうと、切迫した思いに駆られた。あてもなく彷徨さまよっていたその目が、不意にある一点で静止した。

 視線を彷徨わせたことで、翼は自分のいまいる場所が、幹線道路わきにある建築関係の資材置き場だったことをはじめて認識した。その、大量に置かれた建築資材の一角、積み上げられた鉄材の上。


 一度流れかけた視線が、吸い寄せられるように引き戻された。そしてそのまま、そこから動かすことができなくなった。

 鉄材の上から、ひとりの人物が冷ややかにこちらを見下ろしていた。


 黄金に輝く見事な髪。冷たく冴えわたった青紫スカイブルーの瞳。均整のとれた肢体と彫刻めいた美貌。


 翼のうちに沸き起こっていた恐慌は、その存在に目を奪われた瞬間に跡形もなく消え去っていた。


 ひと目で、〈それ〉とわかった。

 彼こそが帝王(ボス)なのだ、と。


 生きている人間の頭を顔色ひとつ変えず撃ち抜いた、冷酷な、悪魔のように美しい少年。

 その存在が発するつよい光は、あきらかに他の少年たちとは異なった、圧倒的な力を秘めていた。

 自分もまた殺されるかもしれないという思いは、心のどこかにあった。けれども翼は、彼から目を離すことができなかった。



 なんという存在感。なんという、耀き――



 目を、逸らすことなどできなかった。そうするにはあまりにもその光は勁く、目映すぎた。

 銃口を向け、冷ややかに翼を見下ろす瞳には、なんの感情の色も浮かばない。おそらく照準を当て、引き金を絞るその瞬間にも、透明に澄んだガラスのような瞳に殺気が閃くことはないのだろう。

 無抵抗の小虫一匹潰すのに、そんなものは必要ない。


 恐怖は、不思議と感じなかった。抱いた感情は、むしろ恐懼きょうくに近かったかもしれない。

 すべてをひれ伏させずにはおかないような、完璧な王者の風格。

 ただのストリートキッズのボスというには、彼はあまりにも、自分の認識する範疇の『少年』とはかけ離れすぎていた。


 選ばれし者。


 こんな人間が、本当に存在するのだ。

 翼は、ただひたすらそんな思いに圧倒され、その存在に魅せられて、声もなく氷のような瞳を見つめかえしていた。永遠に時が止まったような気さえした。だが、実際にふたりの視線が絡んだ時間は、さして長いものではなかった。

 あざやかな青紫の瞳が、不意に翼から逸らされる。耳をそばだてるようにわずかに首をかしげた彼は、次の瞬間、鋭い指笛を鳴らした。ほぼ決着がつきつつも、さらに徹底した掃討戦をつづけていた仲間の少年たちが、その音にいっせいに反応する。そんな彼らに向かってさっと合図をすると、彼は鉄材の上から身軽く飛び降りて、近くに停めてあった青いバイクにまたがった。

 青い車体は周囲を威嚇するように一度強く噴かすと、翼のすぐわきをかすめて路上へと飛び出していった。仲間の少年たちが次々とそのあとにつづく。それは、あっというまの出来事だった。


 ひとり取り残された翼は、その場に座りこんだまま呆然とするばかりだった。

 なにが起こったのか、まるで理解できなかった。けれどもその心には、強烈な印象が刻みこまれていた。

 すれ違った刹那、勁い眼差しが翼を射貫いたような、そんな気がした。

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