闇中で囁く者たち
白昼。今日も天には抜けるような青空が広がっている。
魔王が討たれたことで、ようやく取り戻した蒼天。
降り注ぐ日差しは百年来の暗雲で痛めつけられた草花を癒し、久方ぶりの栄養をたっぷりと与えている。次の季節には、大いなる恵みをもたらすことだろう。
晴れた空はくすんだ空気を取り払い、大陸に平和の風を吹かせた。
しかし、陽の光が届かぬ場所もある。
地下深く。岩肌が覆う暗がりの中に集まる者たちがいた。
「……まさか俺たちがこんな見窄らしいところに籠る羽目になるとはな」
「それもこれも、あの忌々しき太陽の所為だ。日光さえなければ、こんなこと」
「いや、人間どもの……いや、勇者の所為だろう。全ては魔王様を討った奴らが諸悪」
暗所の中でも、彼らは目配せをし合う。夜目が効くからだ。
呻くように囁き合い、太陽と人間を呪う。天敵と害獣であるからだ。
角や翼という、人ならざる部位も装飾ではない。本来は人間よりも遥かに強靭で、長命な種族。
魔族。人類の大敵。その生き残りが、ここに集結していた。
「北西へ逃れた者たちとの連絡は?」
「一向にない。向こうからは寄越さないだろう」
「引きこもりか。所詮は復讐を諦め一目散に逃げ出した連中」
「人間どもの様子は?」
「三大国は自領を固めておるわ。攻めるよりもまずは安定を、ということだろう」
「距離的にも戦力的にも、現実的ではないか」
「ということは、やはり開闢都市こそが目下の仇敵か」
魔族たちは忌々しげに現状を語り合う。
彼らにとって現状は屈辱以外の何物でもない。
ほんの少し前までは、魔族は大陸の支配者だった。
暗雲が世界を覆い、太陽を克服した彼らはまさに無双の強さを誇っていた。霊長だと嘯いて繁栄する人間共を蹂躙し、逆らえば玩具扱いで殺戮する。血と悲鳴に酔いしれる、魔族の強さに相応しい日々。
それが今や、こんな穴倉で日中を凌がなければならない。
そんな屈辱的な日々を脱却するには、やはり人間の排除が必要だ。栄光を取り戻すためにも、溜飲を下げるための怨念返しにも。
目下の標的は魔王を討ったにっくき勇者共。そして魔族を追い詰める喉元の剣、開闢都市。
特に本来の根拠地である西方へ大きく後退してしまったとはいえ、現状魔族領に一番近い人間側の都市だ。早急に何とかせねば、魔族の現状はより悪くなってしまう。
そのために、開闢都市周辺に未だ生き残っている魔族たちはこうして集まり、論を交わしているのだが……。
「やはり今すぐ攻め込むべきだ!」
「いや人間も馬鹿じゃない。無策で行ったところで返り討ちに遭うだけだ」
「せめて壁内の警備状況さえ分かれば、あるいは……」
「そんなアテはあるものか。人間は皆我らを恨んでいよう」
「何を弱気なことばかり言っておる! 魔族の誇りを忘れたか!」
「力で捩じ伏せれば良い!」
「その力が足りないからこうして策を練っている!」
洞窟に反響する怒声。
所詮は生き残りが寄り集まっただけの集団である彼らは烏合の衆。それぞれの主義主張も大きく違う。どれだけ話し合おうと一向に決着がつかず、まとまらない。
こうして結論の出ない議論を随分続けて、貴重な時間を無駄にし続けていた。
魔族は知能も人間と同等の生き物だ。
いや、寿命の長さから蓄えられる知識量を鑑みれば、それ以上に賢いとさえ言える。
にも関わらずまとまりを欠くのは、ひとえにその賢さと寿命の所為だ。
人間でも幼い頃は親の言うことを素直に聞く良い子であっても、老域に入ってしまえば頑迷な頑固者に変わってしまうように。
肥大化し、凝り固まった自我を持つ彼らは連携を取るということが苦手だった。
ゆえに彼ら魔族を纏め上げる法則は、一周回って原始的な理屈になる。
即ち、力。
力が強い者に従う。それがシンプルな魔族のルール。
それが可能なのは、今この場ではただ一人。
「埒が開かない! 貴女の意見はどうなのですか……“粛清”殿!」
洞窟内。その奥まった場所に座る、一人の女魔族。
灰の肌、黒い髪。そして狼めいて鋭い眼差し。
“粛清の”ワードリア。八魔将の一人。
そして魔王の最期に侍り、勇者と戦った者である。
「……あ゛ぁ?」
意見を求めて話しかけてきた魔族へと、ワードリアは凶暴な眼差しを向ける。
射抜くような視線に魔族は怯むが、それでも魔族故の我の強さで引き下がらない。
「ですから、貴女の意見を聞かせていただきたい! すぐ攻めるのか、期を待つのか……!」
「……煩いッ!」
「ッ、ぎゃああっ!?」
ワードリアが苛立たしげに眉を顰めた瞬間、魔族の身体を魔力で作られた剣が貫いた。
魔力の剣は深々と突き立ち、魔族は手足をバタつかせて踠き苦しむことしかできない。持ち前の生命力もあって死ぬことはなかったが。
その様子を視界にも入れず、ワードリアは髪を掻き毟る。
「クソッ! ……勇者め、よくも魔王様を……!」
ワードリアもまた、勇者に恨みを持っている魔族の一人だ。
否、敬愛する魔王を討たれたのだから、この場にいる誰よりも憎しみは深い。しかも同じ城内にいながらである。屈辱も、悔恨も、重く深い。
それでもすぐに行動を起こさないのは、勇者と正面から渡り合って負けた記憶があるからだ。
聖職者の支援。魔法使いの大魔法。
そして勇者の聖なる炎。
どんなに憎くとも認めざるを得ない。勇者たちの連携は恐るべきものだ。同じように再び戦ったとして、勝てる見込みはなかった。
「ぐ、ぎぎ」
「……煩いと言っている」
「ぎゃ──」
顔を顰めて魔法剣を走らせる。
貫かれたまま藻掻いて苦しむ魔族は、首を一息で刎ねられて絶命した。血飛沫を上げ、ゴトリと首が転がり落ちる。
それを見た魔族たちは当然戦慄する。しかしワードリアの様子に変わりはなかった。依然、苛立たしげにしたままだ。
何の躊躇も感慨もない。
例え同族だろうが、殺すことに抵抗はなかった。
何故なら──
「相変わらずですね、ワードリア。“粛清”の異名通り、魔王様の意にそぐわない身内を殺し続けただけはある」
「! ──貴様」
洞窟に深く落ちる、影の中。そこからぬるりと新たな魔族が姿を現す。
燃え盛るような紅蓮の長髪。打って変わって静かで怜悧な青瞳。額からは生えるは黒い一角。面立ちは細く、女と見紛いそうな美形。
そこには手を後ろで組んで優雅に立つ、執事服に身を包んだ魔族がいた。
ワードリアはその魔族の姿を認めた途端、牙を剥いて立ち上がる。
「“伴星の”プロトオン!」
“伴星の”プロトオン。魔王直属の幹部、八魔将の一角にしてたった二人の生き残り。
つまり、ワードリアと同格の、魔王に最も信頼された魔族の一人だった。
「貴様、よくもおめおめと顔を出せたな……!」
「何の話でしょう」
「惚けるな! 肝心な時に魔王様の元を離れていた不忠者は貴様だろう!」
間髪入れず魔法剣が奔る。しかし顔面目掛けて振るわれたその切先は、プロトオンが立てた指二本によって容易く止められる。
間近で輝く燐光の刃を涼しい顔で見つめながら、プロトオンはワードリアに向き直る。
「魔王様を討たれたことは当然、私にとっても大変な遺憾です。しかし魔王様の元を離れていたのは魔王様自身のご命令でした。魔王様が信頼されて託された命、当然背くワケにはいきません。ですので、仕方のないことです」
「いけしゃあしゃあと……!」
「それに……顔を出せないのは貴女の方でしょう。側にいながら魔王様を守れず、あまつさえ敗れ去った敗走者は」
「ぐ……!」
ワードリアは苦渋の表情を浮かべ押し黙る。それを見ながらプロトオンは魔法剣を指で掻き消し、奥歯を噛み締めるワードリアの眼前に立った。
「しかし、それはいいでしょう」
「何……?」
「過ぎたことです。重要なのは、その魔王様を討った勇者をどうするか……です」
言いながらプロトオンは、手にした袋を持ち上げた。袋は何の変哲もない物だが、中に入っている物は重いのか、自重で垂れ下がっている。
「私が今まで貴女たちに合流しなかった理由は二つあります。一つはコレ。魔王様から与えられた命令を果たすこと」
「何? ……コレが?」
「ええ。苦労しましたよ。何せ貴重品ですから」
プロトオンは小さく笑みを浮かべ、袋を下げた。
「そしてもう一つ。それはまごついている貴女たちに相応しい協力者を募るためです」
「協力者、だと?」
「ええ。復讐するにも敵の警備が厚いというのなら……それに講じる策謀はいくらでもあるというものです」
プロトオンは背後、己が今し方歩み出てきた暗闇を掌で指し示す。
そこにはもう一人、気配があった。
「こちらの方が手配してくださるハズです。勇者のいるところまでの……筋道を」
酷薄な笑みを浮かべ、プロトオンはワードリアの反応を待つ。
少し考えた後、ワードリアは顔を上げた。
「……正直、貴様のことは恨めしい」
「そうですか」
「平等であるハズの八魔将。しかし貴様は魔王様より格別の信頼をされていた……私たちが知らないようなことも、貴様は知っているのだろう」
「さて」
プロトオンは肩を竦め、ワードリアの問いを受け流す。その様が更にワードリアの柳眉を逆立てたが、彼女もまた続けることを優先する。
「貴様への信頼はただ一つ。魔王様への忠誠だ……そのことに偽りが無い以上、この策謀もまた魔王様へ確かな手向けとなるのだろう。いいだろう、乗ってやる」
ワードリアはプロトオンへ向けていた殺気を解き、プロトオンの手から袋をふんだくる。
「これは私たちが使っていいのだろう?」
「ええ。魔王様への捧げ物でしたが、有用に使った方が喜ぶでしょう」
「そうか……」
ワードリアは袋を握り締め、遠くへ祈りを捧げるように目を瞑る。
「魔王様、ご覧になっていてください。今、このワードリアめが……」
そして再び開いた時には、嵐のような憎しみの光が宿っていた。
「勇者へと、格別の苦しみを味あわせて見せましょう」
憎悪を燃やす、ワードリア。
それをプロトオンは、静かに見つめていた。
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