未来を摘む罪
マリアナは聖ユグドヴァニア連合王国の一貴族、フォーゼリア子爵家の次女として生を受けた。
貴族といってもこれといって特色のない家だった。ほどほどに歴史があり、何か大きな功績を残したワケでもなく、重用されているようなこともなく、しかし貧乏なワケでもない。
なのでマリアナも、ごく普通の貴族の子女として育った。
国教である聖夜教にも敬虔で、そのままならどこぞの家に嫁ぎ、不自由のない暮らしを続けていただろう。
運命が変わったのは、慈善事業として孤児院を訪れた時だった。
貴族は貴き者の義務として、弱者に施しをすることを義務づけられている。
マリアナもまた貴族の一員として、話だけには聞いていた孤児院を寄付と共に訪問した。
そこで衝撃を受けた。
自分とはまったく違う、貧しい子どもたちに。
継ぎ接ぎの服。痩せこけた手足。暗雲の所為で厳しくなった冬を越せずに亡くなることが珍しく無いという日常。
綺麗なドレスを着ることも。女性らしい丸みを帯びた体つきも。暖炉で火を焚いてとろとろと微睡むことも。
マリアナが当たり前だと思っていたのは、限られた人間にのみ与えられた特権だったのだ。
(私よりも遥かに小さな子たちが、こんなに苦しい思いをしているだなんて――)
それからだ。マリアナが弱者救済のために奔走するようになったのは。
まずは聖夜教に出家。そして寄付を募り、ボランティア活動に従事した。幸い育ちの良いマリアナは人から好感を持たれやすい性格の持ち主で、彼女が活動することで喜捨は大いに集まった。
その功績を称えられ、聖夜教の中でも異例のスピードで昇進していくことになる。
しかしマリアナにとってはどうでもいいことだ。
確かに使える権限が多くなったことは嬉しかったが、それだけだ。彼女にとって重要なのは一人でも多くの飢える子どもたちを救うこと。
魔王の暗雲によって世が乱れているからこそ、マリアナは弱き者を救うために駆け抜けた。
その甲斐もあって、マリアナは若くして自身の名を冠した教会を建て、そこに孤児院を併設することに成功する。
自分の名前を付けることはマリアナの趣味ではなかったが、そこはフォーゼリア子爵家のオーダーだ。何せ実家からの支援があってこそ、ようやく完成にこぎ着けたのだから。
マリアナにとってはプライドよりも子どもたちを助ける方が先決だ。
むしろ巣立った後の就職先も斡旋してくれるということで、マリアナは一二にもなく話に乗った。
マリアナの夢、その到達点の一つ。
これで、多くの子どもたちを救える。
そう、マリアナは善意に生きた人だった。
清廉なる信仰を捧げ、善行をなすために生きてきた。
ゆえに疑わなかった。否、疑えなかった。
ましてや家族を。
それが――悲劇を生んだ。
ある日マリアナは、孤児院から卒業した子どもを街中で見かけた。
話しかけようとするが、その子どもは怯えるように去ってしまう。
後を追いかけると――その子は、路地裏で人を刺し殺していた。
後になって判明した。
その子どもは――人買いの間を流れた末、非合法組織で暗殺者にされていた。
人身売買。
それが、フォーゼリア家が支出した目的。
職業斡旋という名の、商品化だった。
なんのことはない。
フォーゼリア子爵は普通の貴族だった。
普通に――特別善良でもなかったのだ。
真実を知ったマリアナはすぐに実家へ訴えた。しかし、まともに取り合ってもらえない。所詮フォーゼリア子爵家にとっては他人の子ども、それも貧民だ。
それどころか自分たちの罪をつまびらかにすれば、一族郎党全てが路頭に迷うことになるのだぞと脅しをかけてきた。家族に対しそんなことをするのかと。
善良であり、弱者を生むことを良しとしないマリアナには、一番良く効く文句であった。
結局、これ以上の人身売買をさせないことでこれまでの罪には目を瞑る、というところで話は落ち着いた。
しかしマリアナの胸には子どもたちを犠牲にのこのこと自分の夢を叶えてしまったという、強い罪悪感が残った。
それは乾いた血の跡の如く、決して消えない傷跡となって心に刻まれた。
そして支援が打ち切られたマリアナの孤児院も経営が傾き、更に不自然なまでの不幸が重なって閉院に追い込まれる。もう金を産まない施設を用済みとみなしたフォーゼリア家の手回しであることは、容易に想像がついた。
今やマリアナ記念教会という名前が、どこかでひっそりと残っているだけである。
マリアナはその事がショックであった所為か、その後の慈善事業も失敗だらけ。
位だけは司祭に上がったが、いつしか教団の中では腫れ物扱いされるようになってしまった。
そして――追いやられるようにして、イグニスで生まれた勇者の補佐を命じられた。
ストラと初めて会った時。マリアナが抱いた感情は絶望だった。
(ああ。またも私は子どもを犠牲にするのですね……)
十四歳。しかも見るからに壮絶な人生を送っている彼女を見て、マリアナの心は軋んだ。しかし聖剣を振るう役割は決して代わることはできない。マリアナにできることは、ただ支えることだけ。
またしても子どもの犠牲を見送らねばならない立場。
それはその後も続いた。
全滅した村から唯一救い出せた少年。
翼を手折られ、人を信用することができなくなった少女。
魔王との戦いに巻き込まれていくのは、常にマリアナより若い少年少女だった。
(どうして、神はこのような過酷ばかりをもたらされるのでしょう)
信仰を疑う夜さえあった。
しかしだからこそ、自分が支えなければいけないという強い想いも。
苛烈になっていく戦い。その中でもマリアナは懸命に勇者パーティを支えた。
魔法は勇者たちの身体を癒やし、純白の鎧を着込んでは前線に立ち塞がり、そして包容力を持って少年少女たちの心を解かした。
前衛・後衛両方をこなし、唯一無二の癒やし手であるマリアナは間違いなくパーティの要であった。
マリアナは戦った。
子どもたちの命をすり減らしていく、その罪悪感を胸に秘めながらも。
そして――。
※
マリアナは、目の前で首を傾げるあどけない少女を見て思う。
ああ、この子は神が私に遣わせた最後のチャンスなのだと。
無能にも今まで子どもたちの犠牲を見過ごしてきた自分に与えられた、慈悲であると。
孤児たちに悲惨な道を与え、ストラたちを矢面に戦わせ、そしてカリムを失って。
子どもたちを助けたいと願いながらも真逆の運命を辿ってしまった、愚かなるマリアナ。
しかしこうして、また助けが必要な子どもが導かれるように現われた。
カリムの妹と言うが、造形はあまり似ていない。
しかし、この左目。この片目だけは、カリムと同じ物だった。
「……あの、マリアナさん?」
「カリーナちゃん」
堪えきれず、カリーナのことを正面から抱きしめた。
「わぷっ!?」
カリーナは驚きながら豊満な胸に顔を埋めることになる。
「ああ、ああ、なんて……」
か細く、儚い体躯なのだろう。
故郷から引き離され、奴隷として虐げられ、そして兄を失った。
寄る辺なき少女、カリーナ。
この子こそまさに、マリアナが救いたいと願って止まなかった存在だ。
(絶対に、この子だけは)
失わせるワケにはいかない。
――もし、そうなるくらいなら。
(この命、神に捧げる覚悟など――!)
子どもたちのためならば、惜しくはない。
「んぶぶ……」
「あ、ああっ! ごめんなさい、カリーナちゃん。ごめんなさい、私ったら……」
乳圧に溺れかけた少女を離し、謝罪する。
とにかく、今は、この子の健やかなる成長を。
それだけが、マリアナの望みだ。
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