謝罪

 ヒメナは泳ぎに自信が持てず、少年を救うことに尻込みしてしまった。一方、レティシアは一目散に少年を助けようとした。騎士として正しい行動を取ったのは、間違いなくレティシアだ。


「えへへ、ごめん」


 袖にギャザーが入った、オフショルダーのシャツを抓みながら、レティシアは肩を竦める。


「癖なんだよね。助けを求めてる人がいるって分かると、頭よりも先に身体が動いちゃうっていうか……」


「……そうなのか?」


「うん。って言うのもね、あたしにもそういう時期があったんだ。毎日つらくて、苦しくて、誰かに助けてほしかったけど、自分を助けてくれる人なんていないんだって諦めて」


 意外な話に目を丸くした。このレティシアにそんな時期があったのか。驚愕と疑念がないまぜになりながらも、ヒメナはそのまま耳を傾ける。


「でも、そんなときに助けてくれたのがグレゴリオだったんだ」


 魔女戦争の英雄、グレゴリオ・ディヘス。細部は分からず、尋ねることも憚られる。だが、困っている者に手を差し伸べるその姿はとても英雄らしいと言えた。


「あたしはグレゴリオに憧れた。グレゴリオみたく、助けを求めている人を助けてあげたいと思った。だから、騎士になろうと思ったの」


「アンヘル……」


 ヒメナは、レティシアを静かに見つめる。そのなかで、とある感覚を抱いた。

 それは形なくふわふわしていたものが、形を伴った感覚。捉えられなくなっていたレティシアという人間を、しっかりと捉えられたような感覚だった。


 ようやく分かる。最初に持った、レティシアへの認識は間違いだったらしい。それに気付くなり、後ろめたさが芽生えた。その後ろめたさは、喉から言葉を絞り出させる。


「すまなかった、アンヘル」


 シャツを着たレティシアは、きょとんとしていた。


「へ、なんで?」


「わたしが、君を、軽んじたからだ」


 ヒメナは目を伏せながら、言葉を紡いでいった。


「まず、君の力を軽んじた。戦闘以外は何もできないと決めつけた。だが、そんなことはなかった。君には戦闘以外にもできることがたくさんあった」


 ダミアンの家に訪れたときを思い出す。ダミアンの恐怖を和らげ、口を開かせたのはレティシアだ。彼女がいなかったら、ダミアンから話を聞き出すのにはもっと時間がかかっていただろう。最悪、聞き出すことができなかったかもしれなかった。


「そして、君の思いを軽んじた。君はただ剣の才能があったからという理由だけで、騎士になった人間だと思っていた。だが、それも違った。君には立派な志があった。それに気付かず、ここでも表面的なところだけで君を勝手に決めつけ、下に見た。わたしはわたしを恥じる。そして、この無礼を詫びたい。本当に、すまなかった」


 ヒメナは言い終え、唇を結ぶ。

 それは、覚悟の表れだった。この話で、レティシアはヒメナに何かしらの悪感情を抱くだろう。悪感情を抱いたレティシアは、きっと非難を向けてくる。その非難を甘んじて受け入れ、その上で耐える覚悟を固めようとしたのだった。


 しかし、非難は飛んでこない。


「ぷっ、あはっ、あははははははっ!」


 レティシアは腹を押さえながら笑っていた。


「な、えっ……⁉」


 ヒメナは困惑を余儀なくされる。


「なんだ、何がおかしいっ⁉」


「いや、ヒメナちゃん真面目すぎるって。別にあたしのことそんな風に見てたなんてさ、わざわざ言わなくてもよくない?」


「う……」


 確かに、それはレティシアの言う通りだった。何も言わないまま、そんなこと一度も思ったことはないといった顔でしれっと過ごすことはできただろう。


「でも、ヒメナちゃんはそれじゃ嫌だったんだよね? あたしに悪いことしたと思ったから、ちゃんと謝りたかったんだよね? 不器用だなぁって思うけど──」


 レティシアは、柔らかい笑みを向けてくる。


「あたしはヒメナちゃんのそーゆーとこ、好きだよ?」


「──っ」


 かっと頬が熱くなる。その言葉で、ヒメナの顔は赤くなってしまったらしい。


 なぜ、そのような恥ずかしいことを臆面もなく言えるのか。

 とにかく、赤くなっているところなど見られたくなかった。ヒメナはとっさに顔を背ける。


「あ、でも……」


 ふいにレティシアの声色が暗くなった。ヒメナは背けた顔を戻す。


「人を助けたい理由、もう一つあるかな……」


 レティシアは、眉をわずかに下げながら言った。ヒメナは首を捻る。その理由とはなんだろう。訊こうとしたとき、レティシアが唐突に焦った顔をしたのだった。


「げ! いま何時⁉ スターリーケーキのお店閉まっちゃうじゃん!」


 慌てたのは、ティーハウスの閉店時間が迫っていたからだったらしい。まだ行くことを諦めていなかったのか。


「ヤバヤバ! 急がないと!」


 レティシアは急いで着替えを済ませようとする。コルセットのようにウエストが締まったプリーツスカートを取り出し、穿こうとした。しかし、途中でそのスカートに足を引っ掛けてしまう。


「わっ、わわわ……」


 よろけながら、レティシアはヒメナに接近してくる。


「お、おいっ……」


 ヒメナはとっさに避けようとした。しかし、遅い。うつ伏せになったヒメナにレティシアが覆い被さる形で、二人は床に倒れ込んでしまう。

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