目撃者か否か
すっかり夜の帳が下りていた。
追い剥ぎの一人に案内され、ヒメナとレティシアはダミアンの家にやってくる。
ダミアンの家は、廃材がいくつか山を作る空き地の片隅にあった。
掘っ立て小屋だ。壁は色褪せ、いくつか罅割れが見られる。屋根は穴が空いてしまったのか、数枚の木板で補修されていた。
男が、家の扉を何度かノックする。
「ダミアン、いるか? 俺だ」
「グレスラーさん? こんな時間にどうしたの?」
中から声が返ってきたのち、扉が開かれた。そして粗末な羊毛で作られていそうなチュニックとレギンスを身に付け、ブラウンののマッシュヘアを持つ、中性的な顔立ちをした少年が現れる。彼がダミアンか。
「あれ、その人たちは?」
ダミアンは、ヒメナとレティシアを凝視してきた。
「え、騎士様? どうして僕の家なんかに……僕、悪いことなんてしてないよ……?」
不安や恐怖からか、顔を青くするダミアンを、ヒメナは安心させようとする。
「大丈夫だ。わたしたちが来たのは、君を捕らえるためじゃない。事件の解決に協力してほしかったからだ」
「事件って何の……?」
「レルマ支部が〝人狼事件〟と呼んでいるものだ。命名から分かるだろうが、その事件の犯人は人狼だという見立てがある。事件はいまのところ計四回。うち一回が二月の一日目に起きていた」
「二月の一日目って……」
遠くを見るような目になってから、ダミアンははっとした。
続けて、ヒメナは話す。
「彼から聞いた。その日、君は怯えた様子で家へ帰っていったそうじゃないか。事件現場を見たんじゃないか? であれば、見たものや聞いたものを教えてほしい」
「そ、それは……」
ダミアンの顔がさらに青くなる。唇や手は震えていた。
ヒメナは確信する。ダミアンが現場を目撃していたことは間違いなさそうだ。しかし、その際の光景がトラウマになっているのか、口を閉ざしてしまっている。
どんな言葉をかければ、口を開いてもらえるか。
被害者とのコミュニケーション術は騎士学校で習っていた。理論は頭に叩き込んである。ヒメナはその理論を元に、ダミアンへ掛ける言葉を選ぼうとした。
しかし、その理論を実践的な形で試したことはなかったからか、思考がまとまらない。時間がかかってしまう。ヒメナは焦れ出すが、そんななかで口を開いたのがレティシアだった。
「そっか、すっごく怖い思いしたんだね」
ダミアンと目線を合わせ、レティシアは微笑む。
「あのね、お姉ちゃんたちは君がもうそんな思いをしなくてもいいように動いてるの。君が安心して生きていけるようにって頑張ってるんだ。だからさ、一つずつゆっくりでいいの。お姉ちゃんたちに話聞かせてくんない?」
「……」
ダミアンはぽかんとする。その後しばらくして、変化があった。顔の青さが段々と薄れていっている。唇や手の震えも収まりつつあった。完全に様子が戻ってから、ダミアンは首を縦に振る。
「わ、分かった……いまでも思い出すのが怖いけど、頑張って話すよ……」
ヒメナも、驚きからぽかんとしてしまった。
それは、レティシアにはダミアンの口を開かせられないと思っていたからだ。彼女は、戦闘面以外では頼りにならないと考えていた。
しかし、それは決めつけに過ぎなかったらしい。レティシアは、ヒメナより対人能力に優れていた。まず、ここは認めなければならない。そして、その上で意外にも共感力や想像力を備えていたということか。
レティシアは、ヒメナにも微笑みを向けてくる。悔しさからか、恥ずかしさからか、ヒメナは顔を背けてしまった。しかし、直後に途轍もなく幼稚な自覚が湧く。その自覚から、すぐ顔の向きは戻した。そして声量は小さいながらも、口から言葉を溢す。
「た、助かった……」
「どいたま!」
レティシアは微笑みを満面の笑みにしてから、ダミアンに向き直った。
「んじゃ、教えてくれる?」
「うん、けど……」
ダミアンは一瞬、言葉を詰まらせる。
「その前に一つ、間違いを正しておきたいんだ。あのね、僕は事件の現場を見たんじゃない……たぶん、事件の被害者になりかけた」
「なんだって……?」
ヒメナが瞳を見開く。
「僕、拾い集めたゴミを平民街にいる業者さんに買い取ってもらうことでお金をもらってるんだけどさ。その日はゴミを買い取ってもらうため、夕方に平民街へ行って、夜に貧民街へ帰ろうとしてたんだ。その帰り道で、僕は襲われた」
ダミアンはごくりと唾を吞む。
「背中に冷たい感覚を味わった。それで振り返ろうとした瞬間、後ろから押し倒されたんだよ。抵抗なんてできなかった。大人の男の人だからとか、そういう次元じゃない。崩れ落ちてきた瓦礫の下敷きになってるみたいだった。それぐらい力が強かったんだ。そのまま、首筋に尖った何かを突き立てられた。そのときの傷跡がこれだよ」
服をずらし、首筋を見せてくれる。確かに、そこには鋭利な刃物で抉られたような傷跡が残っていた。
「僕もいままでなんだったのか分からなかったんだけど、そうか……あれは牙だったんだね」
ダミアンは、得心がいったような顔をした。
確信が深まる。やはり間違いない。ダミアンを襲ったのは人狼だ。
じわじわと興奮が湧いてきた。事件の被害者と会えたことは大きい。これで捜査は一気に進展するはずだ。いろいろと質問攻めにしたくなる。しかし、ヒメナは衝動をぐっと堪えて、先に訊くべきことを訊こうとした。
「なぜ、君は生還できた? 助けてくれた者でもいたのか?」
「ううん、それは違うよ。人狼は自分のほうから去ってくれたんだ」
「それはどうして?」
「えっと、僕も分からなくて……」
ダミアンは、すまなそうな顔をする。ここから嫌な予感が募っていった。
「結局、君は襲撃者の姿を見たのか……?」
「ごめん……起き上がって、振り返ったときにはもう犯人がいなかったんだ。だから、姿は見てないかな……」
ヒメナは落胆に襲われる。人狼の姿を見ているかどうかが肝心だった。ダミアンからも有力な手掛かりを引き出すことはできないか。
「なら、なんでもいい。人狼の正体に繋がるようなことで、他に感じたことや気付いたことはなかったか?」
問われたダミアンは額に皺を作る。だが、その皺はすぐ均された。
「それもごめん。思い出そうとしたけど、感じたことや気付いたことは特に……」
「そうか……」
ヒメナは後悔する。質問を重ねたが、それは落胆をさらに重い落胆へと変えただけだったからだ。悄然とするヒメナの傍らで、レティシアは肩を竦めていた。
「そっかー。期待した分、がっかりだね」
「そうだな。とりあえず、もう夜だ。騎士舎へ戻ろう。話した通り、聞き込み調査は打ち止めだ。明日からは別のやり方を試す」
しかし、ヒメナは話しながら思った。その別のやり方とはなんだろう。公開捜査に切り替えて、もっと大々的に市民から情報を集めるか。犯人の心理や行動パターンを分析することで、容疑者を絞り込んでいくか。
正直、どれもしっくり来ない。ヒメナは悩み、眉間に皺を寄せていた。そのとき、レティシアから声を掛けられる。
「てかさー、最初から思ってたんだけど」
「なんだ?」
「こういうときって、キキコミチョーサ? が、王道なのかもしんないけど、あたし的にはなんていうか、もっと簡単な方法があると思うんだよねー」
レティシアの言葉に、ヒメナは目を瞬かせた。それから、ほとんどは疑いながらも、わずかに期待を抱いて、彼女に訊く。
「その方法というのは……?」
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