第12話 Stratagem(聡史)②

「せっかくだから、うちに泊まってもらえばよかったのに」

 帰り道、美也子は腑に落ちない様子で言った。

「だって、どのみち結婚するつもりなんでしょ? 問題ないじゃない」

「そういうわけにはいかない」

 僕は首を振った。

「結婚するつもりだからこそ、きちんとしないと」

「そういうもの?」

「うん。つまり、ひとみちゃんの周囲の人たちの信頼をきちんと得る必要がある、ということだよ」

「ああ……なるほど」

 美也子は納得したようにうなずいて、僕の顔を見た。

「やっぱ頭いいなぁ、お兄ちゃん。だからあたしに名刺渡してくれって言ったんだね」

「利用して悪かったよ。でも、助かった。ありがとう」

 美也子が勤めている新聞社は、地元では誰もが知っている大きな会社だ。左右極端な思想の偏りもなく、記事はいたって中道路線で多くの人に愛読されている。つまり、社名の入った美也子の名刺は効果絶大というわけだ。

 実は、川辺を出てから家へ向かう前にも、一度さっきの教会には挨拶しに行っておいた。神父に僕の名刺を渡して、事情をかいつまんで説明した。国立大学の専任講師、かつ、Ph. D.(博士)の肩書も効いたらしく、警戒されることもなく、思っていたよりもあっさり信用してもらえたようだった。さらに、教会史が専門だと話すと、いたく興味を持たれてしまい、話が弾んで引き留められてしまうほどだった。

「頑張って去年のうちに博論通しておいてよかったよ。結婚を申し込んでおいて、まだ学生というのはさすがにみっともないし」

「いやー、お兄ちゃんのこと見直したかも」

 こうも素直に感心されるとちょっと気味が悪い。こっそりそう思っているのがばれたようで、軽く睨まれた。

「本気で言ってるんだよ? 心底感心したよ」

「それはどうも。いつもがいつもだから、裏があるかと思うだろ?」

「失礼だなー。あたし、これでもお兄ちゃんのこと尊敬はしてるよ、一応ね」

 美也子は「一応」を強調して横目でちらっと僕を見た。

「昔から見てるからさ、あれだけがつがつ勉強し続けられるのは、ある意味才能だと思うし。あっさり3年ストレートで博士課程修了しちゃうし。しかも、大した苦労もしてません、ってなんでもなさそうな顔しちゃって」

 なんでもなさそうな顔、というのがなんとなく面白くないから、言い返しておいた。

「顔は関係ないだろ。それに、苦労はそれなりにしたよ。まあ、好きなことだから苦痛ではなかった、というだけだよ」

「好き、は偉大だねぇ」

 意味ありげに美也子はにやにやする。

「お兄ちゃんさぁ、超絶美少女に成長したひとみちゃんに、一目惚れでしょ?」

「……うるさいな」

「やっぱ図星? まあ、わかるけどね。あれは破壊力ありすぎるもん。ズキューン、とハート射抜かれちゃったんだね。わかる、わかるよ。だって、お兄ちゃんって根っから象牙の塔の住人で、免疫ないもんね。いきなりあんな綺麗な子が現れたら、そうなるよねー」

 ぺらぺら勝手にしゃべり続ける美也子にうんざりしながらも、まったく的外れというわけでもないのが腹立たしい。ただ、完全に誤解されたままでは癪だから、正直に言うことにした。

「一つだけ言っておくけど、別に、今日いきなりってわけでもない」

「え?」

「たぶん、昔から気にはなってたんだ。あの時は認めたくなかったんだろうな、おそらく」

「ひとみちゃんのこと?」

「そう」

 ばつが悪いが、美也子にはきちんと言わねばならない。さっきは協力してもらったし、これからも味方になってもらうつもりだから。

「さすがに21の時に、9歳の子を好きです、なんて言えるわけはなかったけど、どこかで気にはなってた。なんとなく、特別な感じがしていた、というか。あんなことがあって離れ離れになってしまった、というのも大きいかもしれない。ずっとあのままお隣に住んでいたら、こうやってプロポーズしたかどうかは、疑問だけど」

 ああ、さすがに正直に言い過ぎたか、と少し後悔しかけていると、美也子はどういうわけか誇らしげな笑みを浮かべた。

「やっぱ、昔からまんざらでもなかった、ってわけね! ふっふーん」

「気持ち悪いな、なんだそれ」

「約7年越しに光源氏は若紫を手に入れた!ってわけか」

 またそれか、とうんざりしつつも、僕はお約束の返しをする。

「どうせ、僕はイケメンでもなければ、雅でもなければ、女にマメでもないよ」

「ひとみちゃんには思いっきりマメじゃん」

「それはそうだよ。好きだし大事だから」

「……さらっと言うね」

 疲れたように深々とため息を吐かれてしまった。僕としては、ごく当たり前でしかないのだけれど。

「逆に言わせてもらえば、好きでもない相手にどうやったらマメになれるんだ? 面倒くさいだけじゃないか」

「確かに、そうかもしれないけど。でもまあ、古今東西、モテ男はマメって相場が決まってるし」

「というか、なぜむやみやたらとモテたいのかが、僕にはさっぱりわからない」

 大真面目に言っただけなのに、美也子は「いやいやいや」と首を振る。

「好きだって言われて、悪い気はしないじゃん」

「なんとも思っていない相手から好きだと言われても、困惑しこそすれ嬉しいなんて思わないな」

「モテてれば、選り取り見取りだよ?」

「選択肢が多ければいいってものでもないよ」

 いい機会だから、持論を展開しておくことにする。

「相対的に見てどの程度好きかで恋愛の相手を選ぶというのは、おかしいと思う。そもそも、愛情は純粋かつ絶対的だし、そうであるべきだ。あれこれ比べて順位をつけて選び取るものじゃない。そういった意味では、真の愛情は宗教的信仰と似通っているところもあるけれど、やはり決定的な違いもある。それは……」

「あのさ。大学の講義みたいなの、勘弁してほしいんだけど」

 うんざりしたような顔でため息を吐かれてしまった。正直むっとしたけど、まあ、伝わらないことには意味がないか、と思い直す。

「本当に大事なひとはひとりだけでいい。それ以外は別に必要ない、ということだよ」

 きっぱり言い切ると、打って変わって美也子は目を丸くした。

「やばい。ほんの一瞬だけ、お兄ちゃんがカッコよく見えた。熱でもあるのかも、あたし」

「失礼だな」

「ほめてるんだけどなぁ、一応」

「どこがだよ」

 毎度毎度のやり取りに、さすがに疲れてきた。いろいろあって、今日はまるでジェットコースターのような一日だった。

 気づくと、家のすぐ傍まできていた。ああ、ようやく休めるな、とほっとしていたら、美也子がぽつりと言った。

「あたし、安心したよ」

 続きを促そうと黙っていると、美也子は空を仰いで「うーん」と伸びをした。

「ひとみちゃんはちゃんと幸せになれそうだ、って安心しちゃった。相手がお兄ちゃんだ、っていうのはやっぱり気に食わないけど」

「最後のは余計だ」

「っていうか、お兄ちゃんと結婚したら、ひとみちゃんってあたしの……」

「義理の姉。妹じゃなくて残念だったな」

「うっそ……まじかぁ」

 言葉とは裏腹に、美也子はなんだか嬉しそうだった。


 ようやく家に着いて、風呂、先どうぞ、と美也子を促した。ようやく本に集中できそうだから、さっき読めなかった分までまとめて読んでしまうつもりだった。僕は昔から風呂から上がるとすぐ眠くなってしまうたちで、ベッドでの読書は20分が限界なのだった。

 ソファーに座ってテーブルに置いたままだった本を開くと、タオルや着替えを抱えて二階から下りてきた美也子が声をかけてくる。

「じゃ、遠慮なくお先にお風呂もらうね。お兄ちゃん、明日朝早いの?」

「いや、大学は午後から。美也子は普通通りなの?」

「実は、一日休みもらってるんだー。先週は日曜に出勤したから、代休なの」

 そう聞いて、いい考えが浮かんだ。引き受けてもらえれば、ずいぶん助かる。

 浴室へ行きかけていた美也子を「あのさ」と呼び止める。

「頼みがあるんだけど。明日は、何か予定はあるの?」

「ううん。疲れてるから、ゆっくり寝腐ねくさろうかと思ってただけ」

 見れば、今もすでに眠そうだ。大あくびして、少し間抜けな顔になっていた。

 確かに、先週はずいぶんと忙しそうだったし、こっちの都合で連れまわすのも申し訳ないか、と思い直す。

「そうか……それなら申し訳ないから、いいよ」

「え。なになに?」

「いや、実は買い物行こうかと思ってね、午前に」

「ああ、さっきそういえば、ひとみちゃんに言ってたね。午前、迎えに来る、とかって」

 僕は頷いて、説明した。

「ひとみちゃん、明後日の夕方に横浜に戻る予定なんだ。それで、そのとき僕も一緒に行って、向こうの教会の神父さんに挨拶しようかと思ってる。土曜だから、仕事も休みだし」

 美也子はびっくりしたように目を見開いて、慌てた様子でソファーのところまでやってきた。

「わーお、お兄ちゃん、行動速い!」

「さっきも言ったけど、ちゃんと周囲の信頼を得ないと。それでその際に、結婚するというこちらの意志がきちんと伝わるようにしておきたいと思ってね」

「それって、つまり……」

「指輪。一番わかりやすいだろう?」

「きゃぁぁぁ」 

 叫び声のようなはしゃぎ声のような、曰く言い難い声を上げて、美也子は僕に詰め寄ってきた。

「つまり、エンゲージリングだね!」

「まあ、そうなるか」

「ダイヤモンド?」

「なのかな、普通は」

「うわぁぁぁ」

 またしても奇妙な声を上げて美也子は興奮しきりだ。

「ひとみちゃん、知ってるの?」

「いや。明日買い物に行こうか、って誘っただけだから」

「そういうことなら、一緒に行くよ。さっきの頼みってそれでしょ?」

「ああ、まあね。あと……ほら、少し前だけど、駅前のデパートの特集記事、文化欄に載せたことあっただろう?」

「うん。あれ、あたしがいる班でやったんだよ」

 誇らしげに胸を張る美也子に、僕は言った。

「図々しくて申し訳ないけど、美也子、伝手つてとかないかな?」

「伝手?」

「そう。お金のことじゃなくて、納期。明後日の夕方までに、指輪のサイズ変更をお願いしたいから」

 指輪を買ったことは一度もないけれど、おそらくひとみちゃんの指は平均よりもかなり細いはずだ。

「なーるほど」

 うなずいて、美也子は少し考えるしぐさをした。

「1階に入ってるお店なら、あたしが取材したからだいたい顔利くかも。ちょうどいいよ、アクセサリーとか貴金属系のフロアだもん」

「助かるよ。追加で料金がかかっても別にかまわないから、なんとか間に合わせてもらえるように頼みたくてさ」

「っていうか、ひとみちゃん連れてったら、ぜったい店員さんたち無理聞いてくれそう。なんたって、あんなに綺麗なんだもん。それにさ、16歳の花嫁なんて、もう注目の的じゃん。相手がお兄ちゃんだ、っていうのが気に食わないけど」

 またそれか。もう10回目くらいじゃないか、とため息を吐きかけて、今は美也子を味方にするのが先決だ、と思い直す。最後のは、聞かなかったことにした。

「まあ、そうかもしれないけど」

「今時めずらしいよ、そんな若くして結婚するの。っていうか、ひとみちゃん、高校行かなくていいのかなぁ」

 美也子の顔が少しだけ曇った。僕も小さくため息が出てしまう。

「それは僕も思ったよ。だから、さっき外で食事したときに、修道院に入るのをやめるんだから、高校に入りなおしたら、って勧めたんだよ。結婚するにしても、別に今すぐじゃなくてもいいと僕も思ったしね、最初は」

 でも、何度勧めても「今すぐ聡史くんと結婚したい」とひとみちゃんは言い張った。勉強はしたいけれど、学校に行きたいわけじゃない、と。せっかく再会できたんだから、もう絶対に離れたくない、と。

 今すぐ結婚したい、と言ってくれたのはものすごく嬉しいけれど、ひとみちゃん自身のことを考えると、手放しで喜んでいいのか少し困ってしまったのだった。

「意外と頑固なんだ。それにさ……」

 やはり言いよどんでしまう。冷やかされるのは目に見えているから、あまり言いたくない気持ちもある。当然、「え、なになに?」と美也子は興味津々だ。ここでやめたところで、追及されるに決まっている。

「子どもがほしいみたいなんだよ、すぐにでも」

「うっわ……で? お兄ちゃんは?」

「ひとみちゃんが望むなら、やぶさかでない」

 言ってしまってから、すぐ後悔した。美也子がにやにやしてこっちを見ている。

「ってか、犯罪にならないのかなぁ……未成年とそういうのって」

「結婚するんだから、犯罪なわけないだろ」

「まあ、結婚すればね、何してもいいけど。つまり、結婚するまで、絶対に手だしちゃだめだよ、お兄ちゃん。わかった?」

「当たり前だろ。お前に言われる筋合いはない」

 まったく、余計なお世話もいいところだし、下世話なことこの上ない。

 ほんと品がないな、新聞記者のくせに、と言ってやろうかと思ったら、美也子は急に真顔になってテーブルの上の折り鶴二羽を手に取った。ひとみちゃんが置いていったものだ。『並べると、仲良しに見えて嬉しいね』と言って。

「これ、ひとみちゃんが?」

「うん。何かの包み紙だと思うけど」

「チェルシーだね。懐かしい」

 美也子は花模様の鶴二羽を手のひらにのせて、しばし眺めていた。

「……ひとみちゃん、ほんとにお兄ちゃんのこと好きなんだねー」

 やがて、ぽつりとそんな言葉を口にした。

「ただ一緒にいたいだけじゃなくて、家族になりたいし、一緒に家族を持ちたいってことでしょ?」

 あー、いいなぁ、そういうの、とうっとりした顔で言ってから、美也子はふっと素に戻った。

「まあ、お兄ちゃんはもういい歳だし、子どもいたっておかしくないよね」

 確かに28だし、いい歳と言われれば、いい歳か。

 いけない、話が逸れた。時計を見れば、10時をとっくに回っている。

「じゃあ、とりあえず、明日は頼むよ」

「オッケー」

「僕は、4講目が2時50分からなんだ。指輪選ぶのにどのくらい時間がかかるのか、いまいちわからないけれど……」

「ま、大丈夫じゃない? 品揃え、すごくいいよ、あそこの1階に入ってるお店。ちゃんとしたエンゲージリング扱ってる貴金属店は、3つくらいはあったはず。とりあえずまわってみよう」

「ありがとう。僕はよくわからないから、美也子がいてくれると助かる」

「任せて! お兄ちゃんは、お金の心配だけしててくれればいいから」

 普通に6桁は覚悟しといてね、と冗談めかして言ってくるが、そのくらいは想定内だった。

「大丈夫だよ。普段ほとんどお金のかからない生活してるから、使うに使えずいつの間にか勝手に貯まってる。さすがに際限なくいくらでも、ってわけにはいかないけど、ひとまずひとみちゃんが好きなのを選んでもらおうと思ってる」

 なぜか、美也子はいたく感心したようだった。

「わーお。そんなお金持ってたとは知らなかった」

「有り余るほど、ってわけじゃないよ。ただ、修士の後半から講師はやっていたし、ちりも積もれば、ってやつだ。まあ、確かに、駆け出しの学者は貧乏だ、というのが世間のイメージかもしれないな」

「早く教授にならないとねー、博士さま」

「まずは准教授だよ。なるべく早くなりたいものだね」

「お兄ちゃんなら、すぐなれるでしょ?」

「簡単に言ってくれるね」

「ひとみちゃんのためにもさ」

 確かに。そう思えば、ものすごく頑張れそうな気がしてきた—— なんて思っていたら顔に出ていたらしく、またしても美也子はにやにや笑ってこっちを見ていた。

「やっぱ、好き、は偉大だねぇ」

「いいから、風呂、早く入ってきなよ」

 はいはーい、と美也子は折り鶴をテーブルに戻して、浴室へ向かった。僕は本を開いて読みはじめかけて、ふと、その折り鶴に視線を向けた。

『並べると、仲良しに見えて嬉しいね』

 ひとみちゃんの言葉と、大事そうに鶴を並べていた可愛いらしい様子を思い出して、知らず知らず僕は微笑んでしまうのだった。

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