第4話 事件現場
会社を出た時間は、午後9時を回っていた。他の社員は、その日は皆結構早く、8時前には会社を出ていた。
というのも、
「最近の忙しさからか、週に一度は、ほとんど残業をしない日を作ろう」
ということでいたのだが、それでも、グループでの作業というものになってからというもの、
「定時に上がるということは、到底できない」
ということで、
「せめて、午後8時までには段取りをつけよう」
としていたところ、この日は、そのタイムリミットギリギリになったというわけである。
それでも、
「須藤さん、本当にいいんですか?」
とまわりの人がいうように、須藤の仕事は、彼らがやった仕事の後始末ということだったので、本当は明日一番でもいいのだが、
「急いで帰ったとしても、何かあるわけではない」
ということで、
「俺は9時をめどに仕事をしていくから、お前たちは帰っていいぞ」
というのだった。
そもそも、その日は、昼間から若手連中で、
「飲みに行こう」
という話ができていたのは知っていたし、須藤も誘われたが、あ、あまり酒が行けるようではない須藤としては、
「飲みに行くよりも、その間仕事をしている方がいい」
と思う方であり、逆に、
「一人の方が、仕事が進む」
と思っていたのだ。
だから本音としては、
「こっちの方がありがたい」
ということであった。
昼休みが終わってからの昼下がりともなると、若い連中は、
「飲みに行ける」
ということで、普段と違った気合が入っているのか、その作業工程は、いつもよりも、時間的にかなり繰り上がっていたのだった。
だから、定時の6時くらいには、中途半端となったので、その作業を終わらせると、
「ちょうど8時くらいでちょうどいい」
と皆思ったことだろう。
誰も口に出さないのは、
「これくらいのことは、今までの経験から自分で分かり切っているということだ」
ということなのだ。
だから、
「8時までに終わらせなければいけない」
ということのはずなのに、誰も慌てた素振りを見せない。
それを思えば、須藤も、
「皆、なかなか仕事を分かってきている証拠だ」
と考えたのだ。
須藤の仕事は、彼ら若手。つまりは、現場の第一線で開発している連中を束ね、その実績を上げるための、最終チェックを行う仕事だったのだ。
そういう意味では、
「現場の鳥仕切り役」
といってもよく、それは、
「先輩から受け継いだことだけではなく、自分の工夫というものを自分なりに組み合わせることで、発揮できるものだ」
といえるものであった。
その手腕を、課長クラスの人も認めていて、
「そうだよな、俺たちが歩んできた道というものだ」
ということで、須藤を温かい目で見ているのであった。
仕事の段取りがうまくいくようになると、課長クラスも、遅くまで残っていることはなかった。
会社からも、
「残業せずに早く帰れる人は帰れ」
と言われていた。
課長以上というと、出張先で会議などで、業務時間以降ということはあるが、会社にいる時、残業するということはほとんどなかった。
もっとも、
「仕事の成果物が出来上がり、リリース段階になれば、そこから数日は、何かあった場合の対応」
ということで、現場に詰めるということはあったが、それ以外には、ほとんど残業というのはなかったのだ。
だから、その日、午後9時くらいになると、自分で事務所を施錠して、警備を掛けて帰るという手はずで、これも、いつもの通りだったのだ。
この日、普段と少し違っているとすれば、
「いよいよイルミネーションの時期」
ということだけだったのだ。
須藤は事務所を施錠して表に出ると、いつものように、矢富公園を抜けて、駅に向かって歩いていこうとしているところであった。
矢冨公園に差し掛かると、これはいつものことであったが、ビルを出たところで、すぐに、自分の事務所を見上げるのであった。
というのは、
「キチンと戸締りができているか?」
ということを気にするからであり、これは、大学時代から怠ることのない習慣というか、いわゆる癖というものであった。
実際に見上げてみると、電気がついていない確認ができて、安堵するのだった。
事務所で最後の一人になるのは、毎週のことなので、当たり前のことであったが、大学時代にこのくせがついたのは、学生時代から一人暮らしを始めたことで、
「自分には関係ない同じ大学に通う学生の部屋から出火した」
という話を聞いたことがきっかけだった。
最初は、
「俺には関係ない」
と思っていたが、ふと、
「もし、俺が出火させていれば」
と思ったのだが、最初は、
「自分の部屋が丸焼けになったら」
というだけしか考えなかったが、そのうちに、
「アパート自体が全焼してしまうと」
と考えるようになると、ぞっとしてくるのだった。
「火事なんか起こすつもりはなかった」
といっても、誰が許してくれるというのか、もし、自分が逆の立場だったら、果たして、
「うっかり火を出してしまった」
という学生を許すことができるだろうか?
と思えば、だんだん恐ろしくなってくるのであった。
しかも、その出火によって、誰かが死んでしまうなどということになれば、それこそ、
「取り返しのつかない」
ということになるだろう。
それを思えば、
「誰かが責任を取らないといけないのであれば、それは自分しかいないだろう」
と、実際に火を出したのが自分ではないという、他人事のように考えてしまうのであった。
それでも、
「ちょっとしたことが、自分の命取りになる」
と思えば、
「用心に越したことはない」
ということで、
「用心をしてもし足りないということはない」
と考えるようになり、火の元に関しては、必要以上に気を遣うようになったのだ。
だが、一つ気になることがあると、それ以上に気になると思ってしまうのだ。だから、火の元だけは確かに必要以上に気にするようになったが、それ以外のことでも、
「神経質すぎる」
と言われるほどになったのだ。
高校時代までは、何を言われても、すべてのことを、
「余計なこと」
と考えて、最初から意識することはなかった。
しかし、その昼行燈のような、無神経なことが、逆に自分を恐ろしく感じさせるのであり、
「肝心な時に、判断ができなかったり、忘れてはいけないという肝心な時に忘れてしまっては、取り返しがつかない」
と感じることから、
「どうすればいいのか?」
と考えた時の結論として、
「忘れないように、日ごろから気を付けておく」
ということであった。
普段であれば、ここまでの結論になかなか至らないのだが、この時はさすがに、切羽詰まった状態になったことで、性根が座ったといってもいいだろう。
それを考えると、
「事務所の電気を消し忘れないようにする」
というくらいのことは、普通にルーティンの中に入っているといってもいいだろう。
実際に、見上げた時、すぐに、事務所の電気が消えているということに気が付いたのだった。
その理由は明白で、
「自分の会社が入っているビルの電気は、すべて消えていた」
ということであった。
というのも、
「このビルの退社で一番最後は自分だった」
ということになるからだった。
だが、
「おや?」
と、須藤は思った。
「自分が最後であれば、警備版から、自分が最後の退室者なので、施錠を促す声が聞こえてくるはずなのに」
と感じたのだ。
その時、無意識ではあったが、
「確か、3階が、施錠されていなかったな」
というのを覚えていたのだ。
須藤の階は5階であった。エレベータで1階まで直通だったので意識しなかったが。1階にある警備版で、確かに3階がついているということを無意識の中で記憶していたということであった。
しかし、気にすることはない。
「他の階が警備がかかっていないのだからといって気にしていては、自分が帰れなくなる」
ということであった。
そもそも、今までにも何度か、他の階で施錠せずに帰っているところがあったのを分かっているし、ひょっとすると、施錠していなかったのは、
「ちょっと近くのコンビニにでも買い物に行ったからなのかも知れない」
と思ったのだ。
電気だけは、癖で消し忘れる」
ということもあるだろう。
実際に、須藤も、
「俺も今までに、電気だけを消して出かけたこともあったっけな」
と思ったからだった。
問題は、自分のフロアがきちんと警備がかかっているかどうかということであり、そこは、問題がなかった。
「自分のフロアの電気はすべてが消えている」
というのは確認済みであり、ここの警備システムは、
「一つの階のすべての事務所に警備がかかっていれば、エレベータにロックがかかり、その階には止まらない仕掛けになっている」
ということであった。
非常階段は、エレベーターのすぐ横にあったが、そこは、いつも施錠されていて、入ることはできなかった。
それ以上に、非常階段は、普段から内側からロックされているので、侵入することはできない。
何といっても、警備がかかっている以上、非常階段の問題のフロアの扉を開けた瞬間に、警備会社に通報がいくというものだ。
しかも、防犯カメラもついているので、厳重な警備体制である。これで、鍵も持たずに、フロアロックも解除せずに、侵入することは、
「絶対に不可能」
といってもいいだろう。
それが、須藤の通うビルの警備システムであった。
最初こそ、
「どうしようか?」
と考えたが、思い悩むことなどなかった。
前述の理屈を、瞬時に思い出したことで、歩を休めることもなく、歩みを進めて、そのまま中庭でもある、矢富公園に差し掛かり、すぐに、ビルを見上げることを辞めた。
その時、いつものくせで。他のビルの電気も確認するのだが、その日は、気のせいか、いつもよりも少ない気がしたのだ。
ただ、それも、
「イルミネーションの明るさで、自分の目が錯覚を起こしたのかも知れないな」
と感じた。
あまりにも明るすぎて、窓の明かりを見る感覚がマヒしていたのだ。
普段は、真っ暗で夜の静寂に舞い降りた、まるで、
「蛍雪のような明かり」
というものに、ポツンと照らされた明かりも、それなりに明るく感じるものであるが、その日は、まったくその明るさを感じさせることはなかったのである。
ビルを出てから、公園の芝生にいくまでに、いつもよりも、
「結構早かったような気がするな」
と思ったのは、最近寒くなったとはいえ、その日はさらなる冷たさが、震えとともに、手のひらに襲ってくると感じたからだった。
少し歩いただけで、木枯らしが吹きすさぶようで、
「急いで通り過ぎた方が無難だ」
と感じさせるほどだったのだ。
実際に、ビルの谷間を風が吹きすさんでいた。
しかも、イルミネーションが明るいことで、明るさが、そもそも温かさを運んでくるものではなく、錯覚で作られているということを感じると、
「ゆっくり歩いていると、埒が明かない」
と感じるのであった。
「急いで通りぬけたとしても、その冷たさは、逃れることはできない」
と感じる。
手のひらを、まるで揉み手をするかのようにすり合わせ、
「サスサス」
という音が、静寂の中で響くのを感じると、
「木枯らしが吹きすさぶようだ」
と思うことで、背筋はどんどん屈んでいき、猫背にでもなったかのように感じるのであった。
「ゆっくりと歩くには忍びない」
と思って、急いでいこうとすると、視界は、おのずと狭くなってくるというものだ。
目の前の焦点をできるだけ狭くして、普段であれば歩くのであるが、その日は、あいにくのイルミネーションであった。
視線を一点に向けてしまうと、まわりの明かりがいくつかのスポットライトが当たったかのようになり、複数の、サーチライトによる影が未知の凸凹に影を作るということで、まともに見ることができなくなってしまうのだ。
それを錯覚といってしまえばそれまでなのだが、明るさを錯覚という形で見てしまうと、
「一度ひっくり返ると、立ち上がるまでが大変だ」
というものだ。
しかも、立ち上がるまでに、身体が固くなっているので、年というわけではないのに、
「ぎっくり腰になってしまう」
という懸念がないわけではない。
寒さで体が凝り固まってしまうと、一度下手を打つと、なかなか起き上がることができないということになるであろう。
それを考えながら、まわりも気にしながら歩いていると、今度は、
「必要以上なところを見ないようにしないといけない」
と考えるようになった。
必要以上に見てしまうと、
「錯覚を引き起こす可能性は高まってくる」
と考えたのだ。
「こういうサーチライトの中では、錯覚が一番怖い」
と思っていた。
というのも、
「普段は、真っ暗な道として意識して気を付けているのに、今日からはその必要はないということで、安心しきってしまうのが、一番の油断大敵というものではないか?」
と感じるからであった。
普段と違うということを意識してしまうというのは、
「自分が気を付けなければいけないということがどういうものなのか?」
ということを、必要以上にならない程度に気にする必要があるということであった。
普段という言葉、いつもであれば嫌いだった。
というのは、あくまでも仕事の上でということであるが、
「普段と同じことをしていても、成長はない」
と考えるからで。それは、自分が現場の第一線にいる頃には、先輩や上司から教えられ、今度は、自分がそれを部下に教える番だったからだ。
しかも、今の立場とすれば、口で説明するわけではなく、
「背中を見て、会得してもらう」
という立場に差し掛かっているのであった。
そもそも、自分も、
「口で説教を受けたわけではない」
ということであった。
「自分も、先輩の背中を見て、勉強し、独学で学んだのではないか?」
という、
「自分を顧みる」
ということで、
「人のふり見て我がふりなおせ」
ということわざにあやかって、
「部下の手本にならなければいけない」
ということを分かっているのであった。
だから、自分の行動も、
「なるべく意識しなくても、勝手に身体が動くというくらいにしておく必要がある」
と、
「仕事の上で」
という条件付きで、考えているのであった。
だから、その日も、
「公園の芝生を横目に見ながら、あまりまわりを見ないようにしながら、公園を一気に通り過ぎる」
ということを最優先で考えたのであった。
その日は、ちゃんと足元を見ていたので、危ないこともなく、まわりを下手に意識することもなく通り過ぎていった。
「一瞬のことだったな」
と感じながら、そのまま駅に行くための、地下道に近づいて行ったのだった。
翌日は、なぜか早めに目が覚めた。気が付けば午前4時頃、
「二度寝するか?」
とも思ったが、その気はなかった。
今までに二度寝をすると、起きるのにきついと思い、さらに、目覚めの時、頭痛が襲ってくる確率を考えると、
「このまま、会社にいくか?」
と考えたのだ。
今からであれば、始発電車に間に合うだろう。早く行って、仕事を始めて、公こそ早く変えればいいわけのことで、それを考えると、すっかり目が覚めていたのであった。
「何も残業したくてしているわけではない」
と思っていた。
できるなら、残業手当をもらうよりも、早く帰る方がいい。どうせもらっても、使う暇があるわけでもない。酒に消えるか、パチンコに消えるかということで、今のような残業をしていると、パチンコになど、いけるはずがない。
パチンコ屋は、だいたい十一時までが営業時間なので、残業なしで仕事を終えて、すぐにいかないと、時間的に中途半端である。
出始めが、閉店前くらいであれば、いくら大当たりが続いていたとしても、機械を止められてしまえば、それで終わりということになるのだ。
それを考えると、
「残業を終わってパチンコ屋に行くのは辞めた方がいい」
と思うのだった。
かといって、飲み屋というと、以前は、馴染みのお店もあったが、最近はご無沙汰であった。
そもそも、彼は人見知りなので、遠ざかってしまった店には、気を遣ってか、なかなか生きにくいというものだ。
普通であれば、
「あら、珍しいわね」
といって、久しぶりに顔を出したことで、喜んでくれると思うのだろうが、この時の、
「珍しいわね」
という言葉を、皮肉だと思い込んでしまうところがあるのが、須藤の悪いところといってもいいだろう。
だから、最近は、飲み屋に行くとしても、誰か一緒にいくくらいしかないのであった。
しかも、一緒に行く連中は、自分よりも忙しかったりして、部署も違うので、なかなか時間が合うこともない。そうなると、飲みに行くこともなくなってしまうのも当たり前だというものだ。
だから、最近では、
「残業するのが当たり前」
と思っていた。
普通であれば、
「残業手当がもらえるから、何とか頑張れる」
と思うのだろうが、須藤は、
「宵越しの金は持たない」
という感覚で、
「もらったものを貯金しよう」
という気はなかった。
だから、他の人から見れば、
「贅沢だ」
というようなことを、平気でしていたのであった。
というのは、
「疲れた時など、電車の時間まで間があるという時は、電車を待っているのが億劫になるので、タクシーを使って帰る」
などということを平気でしていた。
一回使えば、四、五千円ということで、
「本当にもったいない」
といえるだろう。
しかし、飲みに行っても同じくらいのお金を使うことになるので、
「別にもったいないとは思わない」
と感じていた。
もちろん、詭弁であることは分かっているが、逆に、
「モノは考えよう」
といってもいいだろう。
それを考えると、タクシーを使うことがいいことなのか悪いことなのか、その時の感情によって変わってくるのであった。
そもそも、
「残業代の分を使うのだから、別にもったいなくもない」
と思っていて、お金に執着がある人だけが、
「残業した分を使う」
と考えると、もったいないと思うが、
「元々あったお金を使う」
と思うと、そうでもない気がする。
同じお金であるが、考え方によって、もったいなさというものをいかに感じるかということが違ってくると思うのは、
「自分が年を取ってきた証拠なのか?」
と思うのだった。
前の日は、午後九時に会社を出ても、時刻表を見ると、電車が出たばかりで、次の電車まで、駅構内で、20分以上待たなければいけないことは分かっていた。
「タクシーを使うか」
ということで、タクシー乗り場のあるターミナルにいくと、タクシーは結構待っていて、客はいなかった。
最近のタクシー業界は、タクシー業界に限らずであるが、運転手の人手不足という問題が起こっていて、
「深夜に近づくにしたがって、客の方がタクシーの数を上回り、なかなか配車が手配できない」
という状態になるということを知っていたので、不安であったが、その日はラッキーだったということであろうか。
「いや、時間的に、穴場の時間だったのかも知れない」
とも思えた。
今回は、たまたま電車の時間の間が悪かったのでタクシーを利用しようと思ったのだが、実際には、電車で帰ってもいい時間帯ではあった。それは、自分に限ったことではなく、特に、金曜日の夜などという、普段から多い日ということであれば、そもそもが無理なのかも知れないが、そういうわけではないということで、タクシーもうまく拾えたということであろう。
おかげで、帰りつく前に、コンビニで軽い食事を買い込んで、食べていると、すぐに睡魔が襲ってきて、気が付けば、いつも寝る時間くらいになっていたのだ。
だからと言って、早く目が覚めたというわけではない。
そもそも、須藤は、
「ショートスリーパー」
であった。
夜中に何度も目が覚めて、トイレに行くか、そのまままた寝てしまうかということは、日常茶飯事、だから、この日も、4時前に目が覚めたのだが、それは、一つは、
「仕事のことが気になって」
ということでもあった。
昨夜は9時に退社することになったのだが、実際には、
「やりたいことをすべて終わった」
というわけではなかった。
あくまでも、
「キリが良かった」
というだけで、
「次の節目になるまで仕事を続けてしまうと、今度は、最終電車に間に合うかどうか」
ということであった。
「結局タクシーを使うことになるのでは?」
ということになるのだが、実際に、
「そこまで仕事をしても、それでも、終わったわけではない」
ということを考えると、
「明日に回した方が、仕事の効率がいい」
と考えたのだ。
無理にその日、仕事をするよりも、リセットする方がいいと思ったのは、
「最近、疲れがたまっている」
と感じたからであった。
疲れがたまっている時、仕事の段取りで、一度、
「このまま仕事をするか、リセットするか?」
ということを考えてしまった場合、
「リセットする方がいい」
ということを、自分で理解できるようになっていたからだった。
一度、どうしようかと悩んでしまって、無理にでも強行しようとすると、そこから先は、自分の中で、
「自由が利かない」
ということになるのであった。
それまでは、仕事に集中しているおかげで、
「気が付けば、もうこんな時間」
ということで、
「時間の有効活用ができている気がして、疲れというものが、充実感と満足感に変えてくれる」
ということになり、疲れも、心地よいものとなるのであったが、
「辞め時というのを間違える」
ということになれば、
「実際の時間は、感じている時間のわりに、なかなかすぎてくれない」
ということになるのだ。
自分では、スムーズに言っているつもりでも、実際の時間が過ぎていないのだから、
「まったく進んでいない」
という錯覚に見舞われてしまう。
そうなると、
「まるで、無駄な時間を過ごしたかのように感じる」
と思えてくるのだった。
もちろん、仕事をしているのだから、
「無駄な時間」
などというものがあろうはずがない。
それでも、そう思えてならないということは、自分の中で、
「何のために仕事をしているのか?」
という疑問を呈することになり、その感覚は、
「まるで、時間が逆回りしてしまっているかのようだ」
と思わされるに違いない。
そうなってしまうと、その日だけではなく、翌日まで尾を引いてしまうかも知れない。
仕事が気になって、睡眠が中途半端になってしまい、翌日はっ前の日の疲れと、中途半端な睡眠のせいで、自分で思っているほどの頭がまわらないということになり、それが憤りとなって、苛立ちに繋がると、
「余計なことしなければよかった」
と考えるのだ。
もちろん、
「プロジェクトを完成させるまでには、一度や二度くらいは、無理をしないといけない」
ということもあるかも知れない。
しかし、
「なるべくなら、そんな事態は少ないに越したことはない」
と思うので。
「無理を押し通すことはない」
と感じ、タクシーを使うのも、自分の中で無理をさせないということに結びついてくるのであった。
だから、その日は、
「通勤ラッシュに遭うこともないわ」
ということで、早めに家を出れるのがありがたかったのだ。
それに、もう一つ考えたのは、
「会社に行って、一仕事終わらせれば、ちょうど近くの喫茶店でモーニングが食べれるので、時間があったら、そこに行こう」
と考えたのだ。
そこは、最近では珍しい。まるで、
「昭和の純喫茶」
というものを思わせるところで、就職してから唯一といってもいい、
「馴染みのお店」
だったのだ。
だから、始発で会社にいくのは、今までにも何度かあったことで、プロジェクトのない時であれば、
「二度寝」
としゃれこむのだろうが、プロジェクト中は、自分が第一線で仕事をしている時も、始発でくることが多く、自分の中では、
「いつものことだ」
と考えているのであった。
だから、この日も、始発で駅までやってくると、
「駅までは真っ暗だったが、電車を降りると、ほぼ夜が明けるくらいまで明るくなっていた」
といってもいいだろう。
始発というのは、6時前くらいに都心部の役に到着する。自分としては、
「11月くらいだから、6時というと、まだまだ真っ暗だ」
と思っていたが、意外とそうでもなかった。
「そういえば、前に早朝出勤をしたのは、まだ暑さが残る時期だったかな?」
ということで、必要以上に日の出が遅いのではないかという感覚を持っていたのであろう。
というのも、それだけ、一気に寒さが襲ってきたからであろう。
さらに、帰りは、定時に帰れることはまれにしかなかったので、いつも、日が暮れてから会社を出ていた。
そういう意味で、季節感というものが、ほぼなくなっている中で、一気に寒気がしてくるのだから、錯覚も致し方のないことになるであろう。
電車の中は、一つの車両に数人しか乗っていなかったが、自分の中では、
「思ったよりも多いな」
という感覚であった。
そしてその時同時に感じたのは、
「この時間に乗っているこの人たちのほとんどは、毎日、この時間に出勤している人なんだろうな?」
ということであった。
スーツの人が多いことで、
「人によっては、7時出勤という時差出勤なのかも知れない」
とも感じた。
これは今に始まったことではなく、世の中が、
「24時間営業」
という店が増えてきたことで、都心部も、
「眠らない街」
ということになったことで、それだけ、シフト制の人も多いことだろう。
これが都心部が始発の電車であれば、
「飲んでいて、終電に間に合わなかった人が帰っているということなのかも知れないな」
と思ったので、
「上りと下りで、まったく違った光景がみられるかも知れないな」
と思ったのだ。
下りであれば、夜通し起きていて、疲れ果てて電車に乗り込んでいる人が多く、上りは、これから仕事ということで、頭の中は臨戦態勢が整っているといってもいい状態であろうから、頭の中もすっきりしていることだろう。
駅を降りてから、会社までは、普通に歩いて10分もかからない。普段であれば、地下街を通れば、信号を使わずに行けるということで、結構早く行けるのだが、この日は、地上から行くことにした。
普段は結構たくさんの人がいる地下道を、早朝の間ばかりの道ということで、閑散とした中をいくのは、あまり気分のいいものではなかった。せっかくの気合がそがれる気がするからだった。
だから、今までもそうだったが、
「始発で来た時は、地下道を使わない」
ということにしたのであった。
地上を使っても、信号に引っかかるのは、1度だけであった。
スクランブル交差点を対角線に渡ることができるので、そこから先は、ビル群の中に入るので、信号はなかったのだ。
その日は、信号で待たされることもなく、スムーズに行けたので、あっという間に、
「矢富公園」
までたどり着くことができた。
いつものように、中庭から見上げると、まだどこの会社の電気もついていなかった。
「昨日から、一番最後に帰って、翌日最初の出勤ということで、ここを誰も通った人はいないのかも知れないな」
と感じると、少し新鮮な気持ちになった。
その気持ちがあったからだろうか、須藤はふとまわりを見渡した。
すると、
「えっ」
と思わず声を挙げたのだ。
芝生は、公園のちょっとした丘のようになっていて、その丘の上に、何やら昔の長持ちのようなものが置いてあった。
いや、最初こそ長持ちだと思ったが、それ以上に最初に気づいたものがあったはずで、それを打ち消したいという思いから、
「長持ちだ」
と思ったのだろう。
恐る恐る近づいてみると、そこには、華やかな花が敷き詰められているようで、本来なら、
「きれいだ」
と思ってしかるべきなのだろうが、その光景があまりにも、その場所とかけ離れているという思いと、逆に、
「丘の上」
ということが、
「ふさわしいといえばふさわしい」
と感じたことで、
「まるで、棺桶ではないか?」
と感じたのだ。
最初は、
「こんなに小さなものに、人間が入るのか?」
と思ったほどであるが、それは、明るくなってきたといっても、まだまだ日が昇り切ったわけでもなく、しかもその場所が、中庭のようになっているということで、おぼろげに見えていて、しかも、
「すべてが影になっているようだ」
と思えるほど、見れば見るほど、すべてが影を感じさせた。
だから、本来であれば、
「大きく見えてしかるべきだ」
といえるのだろうが、影を意識したせいか、逆に第一印象が小さく感じられたのであろう。
要するに、
「大きさの感覚というのは、おぼろげなところであればあるほど、最初のインスピレーションにかかっているのだ」
といってもいいだろう。
「棺桶だ」
と思った瞬間、中に誰かがいるということは分かっていた。
本当はすぐにその場所から逃げ出したという衝動に駆られ、今日始発で来てしまったことを、後悔したくらいであった。
「中に入っているのは、誰かの死体だ」
と思うと恐怖でしかないのだが、その時、いろいろなことが頭をもたげた。
「何と奇妙なことをするんだ?」
ということであった。
「人を殺したのであれば、いくら計画的なことだとしても、どこかに隠そうとしたりするのが当たり前で、なるべく、発見されないなら、それに越したことはない」
と考えるのが必定であろう。
だが、見てしまった以上、逃げるわけにはいかない。中が何であるかということを確認して、警察に連絡をする必要がある。
そう思って棺桶の中を覗いてみると、そこには、想像通り、人が眠っていた。薄暗い中で、真っ白い顔が浮かび上がっていて、目を開くという感じはまったくなかった。
「死んでいる」
と思うと、すぐにケイタイを取り出し、警察に通報したのだった。
警察がやってくるまでどれくらいの時間が掛かったのか。そこにじっとしていなければいけないというのは、実につらいものであった。
少しすると、パトランプが複数聞こえ、警察がやってきたのが分かったのであった。
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