5章 誤解と幻覚
第1話 休日お昼のお楽しみ
季節は冬。11月に入って、冷たい風が吹く様になっていた。
さらに体温や免疫を上げるお食事を心掛けねば、と、千歳はお仕事帰りにお買い物をする。今日は白ねぎをたっぷり使った炒めものを作ろう。お肉は牛肉の切り落とし。大阪しろ
大阪しろ菜は、なにわ伝統野菜のひとつに認定されている葉野菜である。江戸時代に
豚汁はもちろん作る。今日の具材は何にしようか。小松菜が良いかな、ちんげん菜も魅力的だ。お味噌はいろいろな具材を包み込んでくれるので、夏にはプチトマトを入れたこともある。甘さもだが、程よい酸味が良い味わいになっていて、夏にぴったりの豚汁になった。
ああ、そういえばお家に豆もやしがあった。先日ひと袋を使うのが多かったときに、ひげ根を取った半分を冷凍しておいたのだ。それを入れよう。
今や、もやしも生のまま冷凍できる食材である。ただ水分が多いからか、しゃきしゃきとした歯ごたえが失われるので、千歳は冷凍したもやしは汁物、主に豚汁に活用している。
こんなに豚汁ばかりで飽きないのか、と思われそうだ。しかし好きだから飽きない。とはいえ、中華や洋食のときには、それに合ったお汁物を作る様にはしている。そんな翌朝の豚汁はフリーズドライに助けてもらうのだ。
ひとり暮らしのときは中華だろうが洋食だろうが豚汁なことも多かった。だが拓嗣くんと一緒になってからは、頑なに、独りよがりにならない様に気をつけているつもりだ。
食生活にも相性というものがある。市販のお惣菜をメインに育った拓嗣くんと、お祖母ちゃんの手作りで育った千歳。当たり前だが全く違う味付けと内容で育っている。
ありがたいことに拓嗣くんは千歳の食生活、味付けを受け入れてくれているが、もしかしたらもっと味の濃いものを求めているのかも知れないし、不満があったっておかしくは無い。
それでも作るのが千歳なのだからと、それを良しとしてくれているのは、きっと幸いなことなのだ。美味しいと言ってくれるのも、嬉しいと感じている。
できることなら拓嗣くんにも満足してもらえる内容にしたいので、味付けの好みを聞いてみたこともあるのだが。
「千歳ちゃんのごはん美味しいから、今のままがええよ」
良い笑顔でそう応えられてしまう。千歳は安堵しつつも、無理をさせてやしないか、なんて思ってしまうのだ。心配し過ぎなのだろうが。
豚汁だけは譲れないが、千歳も味付けにそう強いこだわりがあるわけでは無い。良い具合に譲り合っていけたら良いのかな、と思うのだ。
数日後の土曜日、拓嗣くんは朝からお仕事に行ったが、千歳はお休みである。午前中から洗濯機を回す。お掃除は拓嗣くんが帰ってきてからしてくれることになっている。
千歳はひとり暮らしのときからそうだったのだが、お掃除の手間をできる限り少なくしたくて、家具などを買うときもそれを基準に揃えていた。今もそうで、いわゆる「飾る収納」なんて以ての外だった。
ほこりが溜まりにくい様に、棚などにはすべて扉が付いている。だから、拓嗣くんはお掃除がかなり楽だと言ってくれていた。
お昼が近くなり、お洗濯を終えた千歳はお家を出る。今日のお昼は
明石焼きは兵庫県
明石焼きは卵焼きと呼ばれるだけあって、卵がたっぷりと使われている。なので焼き上がりもほんのりと黄色いのだ。具は潔くたこのみ。それを和のお出汁に浸していただくのだ。
千歳とて大阪人なので、たこ焼きを食べる機会は多い。お家にもたこ焼き器はあって、休日の晩ごはんなどに拓嗣くんとタコパ、たこ焼きバーティーをしたりする。お家で作ると、たこ以外にもお餅やチーズ、明太子などを入れられたりするので、いろいろな味が楽しめるのだ。
だが明石焼きはお家で作るイメージが無い。それは千歳が大阪人だからなのだろうか。明石焼きは特にお出汁の美味しさが大切なイメージがある。なのでプロにお任せした方が確実なものがいただけると思うのだ。
目的のお店は、
今はお昼の時間、しかも土曜日なので列ができているだろうな、と覚悟をして、大阪メトロ
美味しいものを目の前にすると、わくわくする。今は11時50分ごろで、拓嗣くんはまだお仕事をしている時間だ。午前診療の受付は12時半までだから。なので少し申し訳無いな、と思いながらも、久々の明石焼きへの期待は止められない。
やがて自分の順番が来る。カウンタ席に通してもらい、生ビールと明石焼きを注文する。先に生ビールが来るのだが、明石焼きも時間的に焼き続けているのだろう、そう待たずして運ばれてきた。
熱々の大振りの明石焼きをお箸で割って、お出汁に浸し、はふはふと口に運んだ千歳は、幸せでにんまりと頬が緩んだ。
かつおと昆布をしっかりと効かせた滋味深いお出汁に、卵がたっぷり使われた明石焼きのほんのりとした優しい甘さ。素晴らしいマッチングだ。
ああ、平和だ。千歳は全身でこの美味を享受した。
食べ終えると速やかにお店を出て、あべのハルカスで拓嗣くんへのお土産でも買おうかと、また地下道を歩く。すると、見知った後ろ姿が目に入った。千歳は声を掛けようかどうしようか迷ったが、考えているうちに、その本人が千歳の視線を感じたのかぱっと振り返り、千歳と目が合ってしまった。
「……千歳ちゃん?」
「
千歳は驚いて、祐美さんと呼んだ女性に駆け寄る。美しい祐美さんの顔は、涙で濡れていたのだった。
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