9、薄水色の小さな花。

 陽が沈み、世界は赤く染まっている。俺は馬の手綱を強く握り、道を急いだ。


 後ろに乗っている聖女――アイリス・グレイシアが、楽しそうにはしゃいでいる。


「おじさま、風がとっても気持ちいい!」


「落ちるんじゃないぞ! しっかりつかまっていろ」


 俺がそう言うと、アイリスは「はーい!」と大きな声で返事をして、さらに腰に腕を回す力を強める。


 城の外を十分な護衛もなく出るのは初めてだから、解放感もあるのだろう。旅の準備も満足にできなかったので、まずは野宿よりも近場の村へ行き、食料や水を調達しないといけない。


 三時間ほど馬を走らせると陽は沈み、辺りは闇に包まれる。春先の夜風はやや肌寒いが、月明かりと星明かりが道を照らしてくれるのは幸いだ。


「星って、こんなにも綺麗に輝くのね……」アイリスがつぶやいたのが聞こえた。


 ようやく村の灯りが点々と見えてきて、目的だった村に辿り着いたようだった。かつて俺が魔獣討伐で訪れたことがある場所だ。当時は人も多く活気があったが、今はどうだろう。魔獣や盗賊などの被害で過疎化が進んだという噂も聞いている。それでも宿屋が一軒は残っているはずだ。


 俺は馬の速度を落として、アイリスの耳元で声をかける。


「フードを深く被ってくれ。目立つと厄介だ」


「うん、分かった」


 王女や聖女だと分かったら、この村の人々に迷惑をかけるかもしれない。できるだけ悟られずに、今夜は静かに寝床を確保するのが最優先だ。


 村は木製の柵で囲まれており、入り口には太くて素朴な木製のゲートが立っていた。俺は見張りをしている村民に近づき、軽く頭を下げて挨拶した。少しのやり取りの後、彼は快く宿屋の場所を教えてくれた。


 宿屋は村の中央の広場を外れたところにある小さな建物だ。幸い明かりがついているのが見える。俺は馬を厩舎に入れ、アイリスを後ろに立たせて宿の扉を押した。


 一階は質素な造りの食堂のようだった。夜も遅く誰もいないかと思いきや、左手のカウンターの奥に女将らしき人物がいた。


「こんな時間に……何かご用かい?」


 しゃがれた声で女将が尋ねてきた。酒の匂いがほんのりと漂ってくるところを見ると、晩酌でもしていたのだろう。


「部屋が一つか二つ、空いていないだろうか。旅の途中で宿を探してるんだ」


 俺はできるだけ穏やかな口調を心がける。後ろには少女――フードを目深に被った子を連れている。それだけで怪しまれるのは当然だろう。実際、女将は目を細めて、俺たちを値踏みするように見ている。


「こんな辺鄙な村、しかも夜中に訪れるなんざ、相当な物好きなのかね。あんたら親子かい?」


「まあ……巡礼みたいなもんでね。この子は俺の娘だ」


「え? 私は……」


 アイリスがなにかを言おうとしたが、俺は慌てて彼女の口に手を当て制した。女将は疑わしそうにしているが、やがて肩をすくめて言った。


「ふん、まあいいさ。部屋はいくつでも空いてるよ。ここ数年は魔獣が増えて、人が寄りつかなくなった。あたしらも暇で困ってるくらいさ」


 そう言って面倒くさそうに立ち上がり、壁にかかった鍵の束を手にしてくる。


「二階に部屋が並んでるから好きに使いな」と言って、代金については「明日でいい」とのこと。パンと少しの酒も追加料金なしでくれるという。


 女将に礼を言い、借りたランプの灯りを頼りに、俺とアイリスは二階へと上がる。古い木製の階段は踏むたびにギシギシと音を立て、壁にはところどころシミのような跡もある。どうやら相当年季が入った建物らしいが、この際贅沢は言っていられない。


 俺は廊下を見回してから、奥の部屋を自分用にする。敵の襲撃などを考えれば、すぐに外を確認できる角部屋のほうが望ましい。


「じゃあ、わたしはここにするね!」


 アイリスが嬉しそうに扉を開けると、ベッドに走り込んで飛び乗った。馬で二人乗りでの長距離移動は初めてだろうし、城を出るときから緊張や興奮が続いていたから疲労も大きいだろう。


「靴ぐらい脱ぎなさい……」と俺が言う前に、彼女はすっかり寝息を立て始めた。


「……やれやれ」


 俺は女将からもらったパンの入った籠を枕元にそっと置き、布団をかけてやる。その幼い寝顔を見て思わず微笑む。十五歳といえば王国では成人扱いされる年齢だが、見た目や仕草には子供のあどけなさが残っている。


 静かに部屋の扉を閉め、自分の部屋に行った。ランプを壁にかけ、窓の戸板を開ける。


 女将がくれた酒瓶を確かめる。どうやら薄めの果実酒らしい。一口飲んでみると、微かに甘い酸味が舌を刺激する。度数は大したことなさそうだが、酔えればなんでも良い。


「……ふう」


 ベッドに腰かけると、大きなため息がこぼれる。剣を枕元に立てかけ、肩を回してみるが、戦いと馬上の連続で全身のあちこちが痛い。


 これからどこへ向かうべきか……。思案しながら窓の外をぼんやりと見つめていると、コツコツと扉を叩く音がした。反射的に剣へ手を伸ばすが、気配に敵意がない。


「――入ってくれ」


 そっと扉を開けると、寝間着に着替えたアイリスがひょっこりと顔を出す。


「どうした?」


「……なんだか目が冴えちゃって。おじさまと、ちょっとだけお喋りしたいの」


 仕方なく俺は、「分かった。明日も早いから、少しだけならな」と部屋に招き入れる。


 彼女はベッドに腰かけ、軽く伸びをする。


「こうしていると、なんだかあの頃を思い出すね」


「……あの頃?」


「うん。お母様が亡くなって、しばらく何もできなくなっていたとき。二人きりで、お母様とよく座っていた庭のテーブルで、わたしもおじさまと一緒に、ぼーっとしてたよね」


 アイリスは、懐かしそうに微笑む。遠い記憶を覗いているように宙を見つめていた。


「私は小さかったけど、ずっとおじさまが側にいてくれて、本当に助かったんだよ。今でも思い出すの――」



 アイリスは微笑を浮かべながら話すが、当時の彼女も相当つらかったはずだ。当時は五歳ぐらいだったろうか。それまではよく笑い、よく喋る子だった。いつも母親の側にいて、元気に走り回っていた。十歳になったばかりの第一王子ガイゼルと二人で、たまに庭で一緒に遊んでいた。


 母親が亡くなったとき、彼女はまだ死について理解をしておらず、城のあちこちに行ってはアリシアを探し回っていた。通り過ぎる人に居場所を尋ねるものだから、聞かれた人は涙ぐんだり返答に困っていた。午前中は母を探し、昼は部屋で泣き続け、それから庭にきて、俺の隣でずっと黙って座っていた。


 この世界からアリシア王妃が失われた日から、俺だけではなく、関わった全ての人の心に大きな影を落とした。


 俺もあの頃は、生きる気力を失っていた。彼女が亡くなってから、一か月ほどだっただろうか。まるで抜け殻のように日々を過ごしていた。晴れの日も、雨の日も、庭に置かれた椅子に腰を下ろし、ただ何もせずに朝から夕暮れまでぼんやりと座り続ける。ときどき部屋で泣き疲れたアイリスがきて、テーブルに黙って突っ伏していた。


 剣すら握らず、夜になれば安酒をあおって気絶するように寝る。そんな自堕落な毎日を繰り返していた。


 一か月ぐらいが過ぎた。その日も椅子に座り、絶望感の中で救えなかったことを悔やんでいた。彼女が命を失うときに見せた微笑みと言葉が、俺を責めるように頭の中で繰り返される。


「これ、あげる……」


 そのとき、ふいに声が聞こえたので見上げる。そこには、泣きはらした目が赤いアイリスが立っていた。彼女は、椅子から立ち上がれなくなっていた俺に、そっと花を差し出してきた。


 いつかアリシアが束にして俺に手渡してくれた、水色の花だった。俺は震える手でそれを受け取る。


――私がいなくなっても、この子を必ず守って。


 あの時のアリシアの言葉が、聞こえた気がした。


「おじさま、元気出して……」、と小さい少女が言ったとき、俺は不覚にも涙を流した。


 俺は目の前で憔悴しきっている、幼い少女を見つめた。こんなにも小さく弱い彼女が、俺より先に立ち上がり、俺を元気づけようとしてくれていた。


「すまない……」


 俺は涙を流して、少女に懺悔をした。


「なんでおじさまが謝るの……」


 すまない……すまない……と俺はつぶやき続けた。彼女の母親が死んだのは俺の責任だった。どれだけ謝っても許されるはずはない。


 しかし幼い彼女は、花を持った俺の手を握りしめて言った。


「お母さまはいつも言ってたよ。勇者はとても強いんだって」


 とても小さな手だったが、何よりも温かかった。自分が情けないと思うのと同時に、俺はこの子に何かがあったとき、人生の全てをかけて守ろうと誓った。



 薄暗い宿屋の部屋で、王女アイリスはベッドに座り、足を揺らしている。


「おじさまは生まれたときから、ずっとわたしの側にいてくれたよね。だから塔で一人でいたときも、絶対に迎えに来てくれると信じてたの」


 そう言って彼女は鼻歌を歌う。この子の明るさには、勝てないと俺は思った。


「ところで、おじさま……。身体のほうは大丈夫? 無理してない?」


「年をとればガタもくるものだ。今日は久しぶりに無茶をしたからな」


「じゃあ目を閉じてっ」


 アイリスは楽しそうに声を弾ませる。


 言われるままに瞼を閉じると、青白い光が透けて見える。穏やかな春の陽気に包まれるように身体が温かくなり、先ほどまであった全身の痛みが少しずつ溶けていくようだ。聖職者が使う回復魔法とは違い、身体の芯から癒される。これは、そう、まるで前聖女アリシアの癒しの魔法と同じ――いくつもの戦いで救われた、懐かしい感覚が沸き上がる。


「はい、できた! 痛いところ楽になった?」


「これは聖女の回復魔法か? まさか、もうそんな力を」


「えへへ。お母様が残してくれた本に、聖女の魔法の使い方が書いてあったの。だいぶ練習したんだよ?」


 試しに肩を回すと、先ほどまでの鈍痛はなくなっていた。


「……すまん、助かるよ。正直、馬を走らせるのもきつかったからな」


「よかった。ちゃんと効いてるみたいで安心した! ……ふぁぁ、なんだか、眠くなっちゃった……」


 アイリスは大きなあくびを噛み殺して、俺のベッドにごろんと倒れこむ。慣れない旅でもあり、何時間も馬で移動をして、疲れが限界なのだろう。


「ここは俺の部屋だ。おまえの部屋は隣だろう? ほら、自分のところへ戻りなさい」


「やだ。ここで寝る」


「子供みたいなことを言うな。もう十五歳だろう?」


「子供じゃないから一緒に寝たいの!」


 俺は思わず手にしていた果実酒を吹き出した。


 アイリスは「あははっ!」と楽しげに笑っているが、こっちは心臓に悪い。慌てて彼女の腕を掴んでベッドから引きずり出し、部屋のドアを開けた。


「はいはい。まったく、大人をからかうな……。自分のベッドで眠るんだ」


「えー? 本気なんだけど……。分かんないかなぁ」


 拗ねた声を出しながら部屋を出ていくアイリスに、俺は大きくため息をつく。やれやれ……。


 俺は酒を飲み干すと、崩れるようにベッドに倒れ込み眠りについた。

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